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ちくわランド

 遊園地で「ちくわ」を咥えている。馬鹿みたいに見えるかもしれないが、誰も笑いはしない。馴れとは恐いものだ。

 温暖化が進みに進み、ついに空気中の酸素濃度は人類が生きるに満足するものではなくなった。そのまま絶滅するものかと思われたが、テクノロジーが人々を救った。空気中の二酸化炭素を、瞬時に酸素に変換する機械が生まれたのだ。「ちくわ」と呼ばれるそれを、人々はいつも口に挟んでいる。最初は間抜け、格好悪い、と罵られもしたが、最終的にはプライドよりも命が重んじられたのだ。

 私は遊園地のベンチで「ちくわ」を咥えながら一人ラブレターを読んでいる。もう何十年も昔の青二才時代に書いたものだ。ほんの学生だった私は、迂闊にも意中の人に思いを伝えようとしたのだが、当時の流行り病のせいで卒業式は中止になり、それも叶わなくなった。時々私は、あの時のセンチメンタルな気分を思い出すために、一人で遊園地に来てはラブレターを読んでいる。まあ狂っているのだろうが、「ちくわ」を四六時中していることに比べたらましだろう。

 もしあの時ラブレターを届けていたら?もし流行り病が収まらず、世界中の遊園地が閉鎖されてしまったら?もし温暖化が人々の口内に酸素変換装置を装着させることを強いなければ?わたしはこんなことをしていない。そうだ。私はもうずっと、こんなくだらない妄想をいっつもしている。それは多分、人生で大切な時間を滅茶苦茶にされたからであるだろうし、私が下らない人間であるからだろうし、「ちくわ」のせいだろう。一体私は何を言っているのだろうか?……いやしかし、なぜ人間はそこまでして生きなければならないのだろう?

 その時、声を掛けられた。視線を挙げると、そこには私がラブレターを渡すはずだった人がいた。信じられなかった。こんなことがあり得るのか……?いや、「こんなことがあり得るのか……?」なんて事態は、とっくの昔から続いている。人生とは、最後には上手くいくものらしい。

 「……あの」動揺しながら私は彼女に喋りかけた。思わず、口からちくわを落としてしまった。

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