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小説:年齢を重ねると感想って変わるもんだなぁ

谷崎潤一郎『春琴抄』
まさかもう一度読むとは思ってなかったんだけど。読みました。笑

初めて読んだのは25歳くらいの時だったかなぁ。まだ独身で、近所の図書館で借りたやつを読んだのです。

その頃はなぜか、
国語の教科書に出てくるような日本文学をちゃんと読んでみようと思っていた時期で、
その中で「題名が可愛い」と思ったのと、ページ数が少なさそうですぐ読めそうと思ったのとで借りることにしたのでした。


当時の感想は

きーもちー わるーーーーい!

でした。爆笑。

は? なんでこんな自滅的なの?
春琴 性格悪すぎ!
佐助 お前もお前で全部ヘラヘラ受け止めた挙句にその暴挙(?)は ないわー。
マジでないわー。

共感できるところが一切ないし、なんでこれが
日本文学として読み継がれてるの?
高校の教科書で舞姫 読んだ時も は? って
思ったけど、
春琴抄はそれの更に上をいくわー
意味わからん。

みたいな感じでした。


だけれども。
なんだろう。
10年以上経過した今、偶々読み返してみて。
結末を予め知ってるからかもしれないけど、
そこまで不快感も、
理解不能な感じはしなかったのです。

なんていうのかな、
「本人(春琴と佐助)達がこれで良いなら、
こんな幸せの形もあるんだなぁ〜」
くらいのライトな読後感でした。

昔初めて読んだ頃というのは、
"何に幸せを感じるかはその人次第"
だと言うことは、頭では分かっていたけれども、
まだまだ
"とは言え、自分が思う幸せの形がイチバン! 
他の人も私の真似をすればいいのに!"
くらい思ってたと思う。笑
若さですね。

それがまぁ、年齢を重ねたからなのか、
ここ数年、本当に幸せとか最善て人それぞれだなぁと思い知ったからなのか(苦笑)、

こういう幸せもあるんだなー
とちょっと距離をおいて、春琴と佐助の関係を眺めることができるようになっていました。

もう、ある種、ぴったり息の合ったプレイだよね。
他人には到底分からない愛が、春琴と佐助の間にはあるんだろうな。
そうやって思って眺めるように読んでみれば
二人ともとても幸せそうだ。

どちらかが欠けていたら、

佐助はここまで卑屈にならなかったのかもしれないけど、幸せでもなかったのかもしれない。
春琴はここまで高飛車にならなかったかもしれないけど、幸せでもなかったのかもしれない。

不思議なもんだね。
私の心持ち次第で、こんなに感想が変わると思っていなかった。

昔読んだ時は、なんでこんなのが日本文学にカテゴライズされているのか分からなかったけど、
今なら少し分かるかもしれない。

そう思わせてくれる、楽しい読書体験でした。


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