僕たちは表現するための『方法』に縛られすぎていたのかもしれない


シェアハウスで一緒に住んでいる友人が映画『インターステラー』をオススメしてくれた。

彼曰く、めちゃくちゃおもしろいらしいけど、正直あまりそそられることもなく話を聞いていた。

だけど『インセプション』と同じ監督が手がけていると話してくれたあたりで少し興味が沸いた。
『インセプション』は以前観たことがあったからだ。


実際に映画を観て思ったけど、

つくり手の『伝えたいこと』

それを表現するための『方法』

さらにそれを実現するための『表現技術』のうち
音楽、読書、絵画などの『方法』ごとにコミュニティができがちだけど、『伝えたいこと』で集まるコミュニティも楽しそうだよね。

たとえば僕にとっては、ダンスはまったくなじみがない『方法』だけど、「これは今『愛』を表現してるんだ!」っていう『伝えたいこと』を聞きながらダンスを見れば「なるほど。この次の展開が予想できなくて、観客を食いつかせる感じはまさにクリストファー・ノーラン!」とか言って興味がそそられる表現方法の新規開拓ができるかもしれない。

『伝えたいこと』で集まると、表現方法がどんなのであれ、そもそも根本的なテーマなので興味持ちやすいしね。


一方で『表現技術』ごとに集まると、それは方法ありきなのでもしかしたらピンとこないかも・・・

なんてことを考えながら余韻に浸ってました。


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