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仕事辞めてロシア留学したら戦争始まって計画パーになった話〜高校入学即進路選択失敗編〜

第五腰椎分離症という試練と高校受験の失敗を乗り越えた私は、滑り止めの私立高校とはいえ、あこがれの高校生活に胸を躍らせ、初登校の日を迎えたのだった。
中学校までの古ぼけたそれとは異なる、新しくて綺麗な体育館。
背の高い上級生や、着飾った保護者、年齢の幅の広い教師陣など、右を見ても左を見ても見知らぬ顔が並んでいた。

中学生の頃の、パトカーが常に待機していた行事ではあり得なかった厳かな雰囲気の中、国歌斉唱、校歌斉唱、来賓の挨拶などが行われ、つつがなく入学式は終了した。そして私を含めた新入生とその保護者は、教師に案内されるまま、入学後の進路選択をすることとなったのだった。


高校三年間で学ぶ科目、志望する大学の為の進路選択だった。


入学したその日に、志望する進路が理系なのか文系なのか、選択せよというのだ。

その時、つい数週間前まで中学生であった私には、自分自身が選択するべき進路が理系なのか文系なのか、全く分からなかった。
世間の中学三年生の中に、自分が理系か文系かを自覚して日々過ごしている子が一体どれだけいるのだろうか。
私は居合わせた母に「どうしよう」と相談したら、母はなんの躊躇いもなく理系を選択しておけ、と応えたのであった。
曰く「理系から文系になれても、文系から理系になるのは難しいから、理系なら潰しが効く。」というのが理由だった。
確かにそれももっともだなと、この時私は母の薦めるままに理系への進路をを選択したのであった。

今思えば入学初日に進路を選択させるということは、よほどの秀才高校ならまだしも、田舎の高校ではかなり無茶苦茶な話だろう。
私はこの時、よもや母のこの言葉通りになろうとは知る由もなく、ただただ新しく始まる青春の1ページに心を躍らせていたのであった。


クラスメートは私と同様、本命の高校を滑った者ばかりであった。
その点で彼らには親近感を感じたので、すぐに仲良くなったのであった。
そんな中でもガンダムオタクのJ君は、事あるごとに「今日から俺のことは”Kind Boy J"と呼んでくれ!」と言うのが口癖で、掃除の時間に箒を振り回してはGガンダムごっこを始めるアブナイ奴だった。私自身もガンダムは大好きだったので、一緒に流派東方不敗の掛け合いや、「石破ラブラブ天驚拳」の恥ずかしい掛け合いをしょっちゅう行っては、女子からよくドン引きされていたものだった。
他にも、カレーの食べ過ぎでカレーが大嫌いになったインド人ハーフのS君や、お昼の弁当にマクドナルドを持って来て教室をフライドポテトの匂いで染め上げたTさんなどがおり、愉快な人間に囲まれた高校生活であった。
だがそのような愉快な同級生とは対照的に、授業はあまり愉快なものではなかった。

自称進学校であった私の母校は、終業後にも半強制の自習時間があったし、土曜日の午前中も通常授業があったのだった。高校3年間のカリキュラムを2年間でこなし、最後の1年間は大学入試に備えて受験対策を主に行うというのであった。

このやや詰め込み気味とも言えるカリキュラムは、徐々に私の科目に対する向き不向きを露わにしてくれた。勉強をしていて楽しく感じるのは、地理、歴史、現代文などの文系科目ばかりとなっていったのだった。
2年生の中頃にはこの事が決定的となり、受ける授業と受けたい授業とのギャップや、返却されるテストの結果に悶々としたものであった。
結局2年間の授業の中で高校3年間分の理系高校生としてのカリキュラムは修了したが、その内容がしっかりと身に付いていたかと言われると、その自信は全くなかった。

しかし2年生までにカリキュラムを終えている点は、3年生への進級の際に思わぬ恩恵を私にもたらしてくれた。3年間の高等教育課程を修了しているということは、つまり、3年生からの授業を真面目に聞かなくても、内容的には問題はないのだった。
加えて3年生からの授業は難易度別に授業が選択できるようになり、同じ科目でも志望校や成績に合わせて、任意のクラスが選択出来る様になっていた。私のこの制度を逆手に取り、理系科目の授業では一番難易度の易しいクラスを敢えて選択したのだった。そうしてそれらの授業時間を自習時間として全力で活用し、文系科目の自習を行ったのだった。
数学の授業だろうがなんだろうが、なりふり構わずに地理や日本史等の参考書を解いた。
それに難易度の易しいクラスの授業だから、特段授業の話を聞かなくとも定期試験で高い点数を維持できたので、先生も授業態度の点以外で文句を言う事は出来なった。先生からすればなんとも扱いに困る面倒な生徒だっただろうと思う。しかし大学に行くのは私であって、小言を言う教師ではないのだ。とにかく教師の小言は無視をして、我を貫き通したのだった。

やがて志望大学の希望をすり合わせる為に、担任と面談する事となった。
志望大学と志望学部を聞かれたが、どうしても理系の学部でやりたい事はなかった。
どうしても近代史や地理などを学びたかった私は「文学部に行きたいです」と回答したが、担任はこれに難色を示したのだった。

文学部を受験するためにはセンター試験で二科目の社会科科目のB科目を受験する必要があったのだが、私が元々いた理系クラスでは地理Bしか学習してこなかった。その為に日本史Bや世界史Bを受験することが困難だと、担任は思ったのだ。

担任はさまざまな地方国立大学の理工学部を薦めてきた。えり好みしなければ合格ラインに乗れる大学はいくらでもあったが、どうして大学に入ってまでやってて楽しくもない科目を学ばねばならないのだろうか。
大学は「やりたい事」を学ぶところであって、誰かに指図されて進学するところではないはずだ。
私は担任の薦める大学に進学するのを嫌がった。
しかしあくまでも現役合格にこだわる担任は、どうしても理系の学部を薦めてきたものであった。また残念ながら、私自身、文学部に行く為に必要な歴史科目の知識が不足している点は、紛れもない事実であった。


しかし誰に対しても絶対的に平等なのは時間である。


センター試験の日程はあっという間に迫ってきた。
しかし未だに自身の志望する大学は決め切れていなかった。
担任はあくまでも理工学部への進学を薦めるのであったし、私は半端な知識でも、文学部になんとかして進学したいと思っていたのだった。


そんな環境の中で受けたセンター試験などはうまくいくはずもなく、私は試験当日に取り返しのつかないミスをしたのだった。


国語の試験の時のことだった。
すべての問題を解き終わり、見直しも一通り行い、試験時間が終わりに差し迫った頃に、マークシートの解答が一段ズレているということに気が付いたのだった。

問題用紙の最後の番号と、マークをした解答用紙の最後の番号が1つズレており、解答用紙の途中にはマークされていない箇所があったのだ。
最初は見間違いかと思ったが、二度三度も見返す売りに、ようやく事態を理解した。
途端、血の気はサッと引いていき、一気に体温が下がっていったのを覚えている。そして次の瞬間には、カッと体温が急上昇し、心拍数は極端に跳ね上がり、寄せ返す津波の如く汗が吹き出したのであった。

しかし書き直す時間の余裕などあるはずもなく、間もなく試験終了の時間となり、問題用紙は無慈悲にも淡々と回収されていったのだった。


試験会場の片隅に、文学部を目指して理系科目の勉強を疎かにした為に理系学部にすら入学が出来ず、初歩的なミスにより文系学部にすら入学できない、情けない哀れな学生がポツンと、天を仰いで座り込むのであった。自業自得と言えばそれまでではあるのだが。


かくして二次試験を受ける前から浪人生になることが決定した私は、親に笑われながら、次の入試に備えるため、県内の予備校と、中学生の頃に通っていた学習塾に改めて通うことになったのであった。


しかしこんな所にも不思議な縁があるものだった。
父もかつては浪人生を経験しており、父が通った予備校の、まさしく父が通った校舎に私も通うことになったのであった。


「腰椎分離症になった時は、俺と同じく身体に苦労する道を歩むのかと心配したが、なんでわざわざ通う予備校まで真似するんだ」と父には呆れられたが、私だって真似をしたくて浪人になったわけではない。


この予備校では改めて文系進学のクラスに入り、改めての受験勉強となった。予備校には例のJ君を含めて数名の同級生が入学していたが、彼らは私と違って真っ当に理系進学を選択したので、以後の接点は徐々に少なくなっていったのだった。

そしてこの浪人生活は、この先訪れる就職浪人へと続く大浪人時代の第一歩となり、私のしくじり人生の中の、ほんのささやかな1ページに過ぎないのであった。


〜高校入学即進路選択失敗編〜 完

つづく・・・


あとがき

ここまで読んでくださってありがとうございます。
どこに出しても恥ずかしい、私の半生を読んで下さる読者の皆様に、改めましてお礼申し上げます。
また記事に「スキ」を下さったり、サポートを下さる多く皆様には足を向けて眠れません。本当にありがとうございます!


私の思春期は高校受験の失敗に始まり、入学後の進路選択失敗、センター試験での失敗と、失敗にまみれたものばかりでした。
しかしそんな失敗だらけの学生生活も、今思えば全てが楽しかった青春時代の1ページです。同級生のJ君とは、本文にもあった通り、Gガンダムごっこを一緒によくやったものでした。
今思えば相当頭のおかしい高校生であったと思いますが、人間というものは頭のおかしいことをしていている時が、人生で一番楽しい瞬間かもしれません。

また学校の先生の言う事を聞かずにずっと内職や自習をしていた3年生の時の私は、先生の立場からしたら殴り飛ばしたいくらい腹の立つクソガキだったことでしょう。
とは言え入学式当日に進路選択を迫る高校側も相当無茶な気もします。
しかし今になれは理系進路を最初に選択し、後に文転をしたことは、苦労は多かったものの、決して間違った選択ではなかったと思えるものです。
理系科目と文系科目、高校教育で学べる一通りの科目を修められたなんて、なんて贅沢なことなのでしょうか。

とはいえ今風俗店の受付をしている事を思えば、なんの成果にもつながらなかったわけですが・・・。

ともあれ進学先がなく、違う意味で泣きながら卒業式を迎えて、晴れて浪人となった私は、1年後に無事に大学生となります。
大学ではそれまでの苦労の反発からか、数々の悪行三昧を同期や後輩相手に行ってしまうのですが、その話は次回の「浪人生・大学生編前半」まで少々お待ちください。
皆様からのコメントをお待ちしております。
誤字脱字等ありましたら、遠慮なくご指摘くださいませ。

それではまた続きのお話にて・・・。

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