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金色の冠石…フリーメイソンとオベリスク「ピラミッドにダビデの星を」!?〜トーマス・クックシリーズ (番外編)⑬


1900年頃のカイロのイブラヒーム・パシャ広場(オペラ座広場)
その百年後の同じ場所、、、嫌になっちゃうなあ


 トーマス・クック最終回の前に、最後の番外編です。
 パレスチナの土地を巡り、ユダヤ人とアラブ人が揉め続けていることは有名です。

 では、ギザのピラミッドも
「エジプト人が建てた?ユダヤ人が建てた?」

で随分長い間、論争が起きているのをご存知でしょうか?

建設メンバーにユダヤ人が加わっていたとしても、不思議ではないと思います

 1931年に、ユダヤ系のフリーメイソンメンバーがピラミッド建設省(Ministry of Antiquities Pyramids)が設立して以降、ギザのクフ王大ピラミッドにこれまで幾度としてダビデの星を飾られようとされてきました。

 ちなみに、私が中東で出会ったユダヤ人は誰もが
「自分たちの先祖がピラミッドを建設した」
と断言していました。

 砂漠の不毛の土地に短期間であの先進国イスラエルを作り上げた民族です。彼らなら、確かにピラミッドを建てることは可能だったのかもしれないな、と思ったりもします。
 そもそも、モーゼが大勢のユダヤ人を「出エジプト」させるまでは、彼らはエジプトに住んでいたわけですし。

 今回はユダヤ、フリーメイソン、エジプトにまつわるとんでも仰天実話です。


2011年11月11日の午前11時11分

「2011 年 11 月 11 日、天国の11の門のうち最後の門が開く」

映画『イレブン(11-11-11)』(2011年公開)

 この日の朝から、ギザの三大ピラミッド周辺はいつもとは雰囲気が違いました。

 パピルス屋の店頭には目つきの鋭い私服SPや治安部隊らが張り込み、
 ピラミッドのチケットセンター前も機関銃を構えた兵士たちが勢揃いしていました。兵士のラクダ部隊もぐるぐる警備をしています。
「ああ、噂は本当だったのだな」

 そう思いつつも、一応チケット売りのおじさんに
「なんで今日はこんなんなの?今日はピラミッド見学できないの?」
「ああ、今日はクローズだ、立ち入り禁止だ」
「なんで?」
ピラミッドのメンテナンスだ」
「はっ?」
「ああ、11時間かかるから、今日はピラミッドは入場できない」
2011年11月11日の11時11分から11時間かかる’メンテナンス’なのね?」
「…」

 しいん…
 考古学庁や発掘調査隊がおらず、軍隊しかいないのに何がピラミッドメンテナンスなんだ。しかもただの石の山のどこを’メンテナンス’するのか…。

 まあ仕方ないや、と数年ぶりにエジプトにやって来た私はそこを立ち去りましたが、ふと足を止め後ろを振り返りました。巨大ピラミッドが見えています。それを見上げながら、考えました。
「本当に今日の11時11分に、このピラミッドの頂上にダビデの星が付けられるのかな?」

ピラミッドの王の間

 かつて、ガイドのバイトで毎日クフ王のピラミッドに入っていたことがありました。一日二回入ったこともあります。ラマダン明けにはピラミッド登山も開放されたので、そういう時は上部まで登りました。

 百回近くはピラミッドに入ったかもしれません。いまだに内部の石の感じだとか天井のシミなど鮮明に思い出せます。
 そして、これだけピラミッドに入っていると「おなじみの光景」にも幾度もぶつかりました。「儀式」です。

 クフ王の大ピラミッドの王の間に上がると、世界中のスピリチュアルグループや新興宗教団体がよく儀式を行っていたのです。

 大体、パターンがありました。
 手をつないで輪になって石棺を取り囲み、お教を唱えているか、目をつぶって瞑想している、または座禅を組んで「ああああ」と唸っているだけのグループ。 

 フリーメイソンの儀式は皆無でした。
 なぜなら彼らは第三者に目撃される場では絶対儀式を行なわないので、もし彼らがそこで儀式を行うとするならば、完全に貸し切り状態にするはずです。 

 ちなみに、ピラミッド、博物館、神殿の「貸し切り」自体はよくあることでした。 私がトーマス・クック(ドイツ会社時代)で働いていた時も、各国の政治家や要人の観光手配がよく舞い込みましたが、毎回ではないものの、よくそれらを貸し切りをしました。 
 VIPでなくとも、貸し切りは行なわれており、JTB LOOKツアーも毎回エジプト考古学博物館を借り切っていました。

フリーメイソンの観光客

 ところで、ヨーロッパなどの大都市ではよく「学会」に出席する医者などのお客さんも多いものです。しかし、カイロとなると、そもそも「学会」自体が開催されることがなかったので、何かに「出席」する目的でやって来たとするならば、それは「会合」でした。

 ロータリークラブ、ライオンズクラブ、フリーメイソンの皆さんはそれぞれの会合への出席にあわせて、遺跡観光もしたいという考えでエジプトに飛んで来ておられました。 

 しかし、どのクラブのメンバーも似た感じの男性ばかりで、違いといえば、ライオンズクラブとロータリークラブに属する会員の方は、あっけらかんとその団体名も、会合場所も口にしました。

 ところが、フリーメイソンメンバーの方はそうではなかったので、ただ「会合があってね…」しかつぶやかない人だと
「もしかしたら、この人はフリーメイソンメンバーなのかな?」
と思ったりしました。

国外へ持ち出されたフリーメイソンのオベリスク

 1791年、フリーメイソンメンバーだったモーツァルトは、ピラミッド内部でフリーメイソンの通過儀礼を通過し、イシス・オシリスの座につくという秘教的オペラ「魔笛」を発表しました。

 このように、フリーメイソンと古代エジプトの接点は多く、そのため1831 年、上エジプトのルクソール神殿から巨大オベリスクがパリのコンコルド広場に移されました。

 それは、当時のシャルル 10 世のたっての要求でした。
 とはいえ、何しろ巨大な石ですから、オベリスク専用の船を特別に誂え、パリに運ぶのに二年間もかかりました。

私が生まれて初めて訪れた外国の観光地がコンコルド広場。フリーメイソンは無関係、「べるばら」漫画の影響だけです。イギリスはノービザだったけれども、フランスはビザ取得が必要でした。

 オベリスク設置場所として、コンコルド広場が選ばれた理由は、2つありました。

 「ギロチン」のイメージを払拭するのに、ロマンのあるエジプトの古代遺跡のオベリスクがぴったりだと考えられたのと、
 ルイ16世を断頭台に上がらせたフランス革命の革命家たちの多くも、そしてシャルル10世もフリーメイソンだったからです。

 19世紀後半に入ると、フリーメーソンによってエジプトから新たな2つのオベリスクが国外に持ち出されました。
 その一つは有名な「クレオパトラの針」です。
 現在では、片方はロンドンのビクトリア堤防、もう片方のオベリスクはニューヨークのセントラル パークで見ることができます。

 ロンドンのオベリスクは、著名なフリーメーソン、エラスムス・ウィルソン卿によって発注され、費用が支払われました。
 1878 年 9 月のロンドンでの建立式には、ユナイテッド グランド ロッジのグランド マスターでもあったウェールズ皇太子の後援のもと、数百人の英国フリーメーソンメンバーが出席しました。 ,

 ニュヨークの方は、 1880 年 10 月に新しく建てられたメトロポリタン美術館の外にオベリスクが立てられ、式典には 1 万人以上のフリーメーソンがフリーメーソンの礼服を着て出席しました。

 なぜ彼らにとって、オベリスクが重要なのか。
 それは、その大きさや高さではありません。オベリスクの小さなピラミッドのような形をした頂部が重要なのです。

 ピラミッドは、特にその中に「摂理の目」が組み込まれており、彼らの儀式で非常に顕著に特徴付けられています。このシンボルは、米国の 1 ドル紙幣の表面と米国の国章にも見られます。

 フリーメーソンでは、輝くピラミッドと「目」はいわゆる宇宙の偉大な建築家、または至高の存在を表しており、どちらも神の形容詞です。

ナポレオンのエジプト遠征がもたらしたフリーメイソン

 フリーメーソンの「象徴」(シンボルとなるあれこれ)は、1789 年の革命中にフランスで顕著に使用され、人権宣言の表面に浮き彫りにされました。
 例えばです。1793年に行われたフランス革命の最初の祝典では、パリ中心部やルーブル美術館の中庭に多数の仮設「ピラミッド」が建てられました。

 ところで1798年、ナポレオン・ボナパルトが率いるフランス軍がエジプト・キャンペーン(遠征・侵攻)を行いました。

 イギリスからインドを奪いたかったフランス軍は、地理的位置の関係でまずエジプトを獲ろうと、考えたからです。
 この時、エジプトの宗主国だったオスマン帝国はロシアとクリミア戦争をしており、エジプトに注意を払っていませんでした。このタイミングを敢えて狙い、ボナパルトはエジプトに上陸しました。

 ナポレオン・ボナパルトは結局、わずか数年しかエジプトを支配できませんでしたが、その短い間にフランス軍がこの国にもたらしたアルコール、オペラや演劇文化はすっかり根付き、そしてフリーメイソンも普及しました。

 もし学校の試験に「ナポレオンのフランス軍がエジプトに持ち込んだものは何か?3つあげよ」
という問題が出たら、
「お酒、舞台、フリーメイソン」です!

 中でも、とりわけクレベール将軍がエジプトで非常に熱心にフリーメイソンを広めました。
 クレベールはストラスブールの石工(または煉瓦工)のせがれで、父親もフリーメイソンです。なお、この団体の発祥はもともと石工屋、建築家です。

 ボナパルトの率いるフランス軍とともにエジプトにやって来ると、彼はギザに住まいを構え、カイロの街中に「イシス・ロッジ」を設立し、エジプトの初代マスターになりました。

 最終的にクレベールはカイロの町中で、イスラムの狂信者のシリア人に殺害されてしまいます。1800年でした。だけども、その後もエジプトにおいてフリーメイソンの活動はどんどん広がり、最盛期にはロッジは600も設立されました。

エジプト最後の王朝もフリーメイソン

 エジプトでこんなにフリーメイソンの入会者が増えた最大の理由は、この国ではムハンマド・アリ一族とチェルケス人等ではないと、上に立てないシステムがあり、それをもがくエジプト人がこのような力のある団体に入るしかなかったからです。
 実際、この時代のエジプト内閣の顔ぶれを調べてみますと、アリと同じアルバニア系、前王朝から権力を誇るチェルケス系、そして宗主国のトルコ系ばかりで、生粋のエジプト人はまずいません。

 しかし、かたやそのムハンマド・アリ一族もフリーメイソンだったという説があります。それだけフランスと親しい関係にあったため、そのように信じられているのですが、少なくともタウフィク副王はグランドマスターでした。

 タウフィクはスエズ運河開通の時のイスマイール副王の息子なのですが、タウフィクの死去の時、グランド・ロッジからお悔やみのメッセージが公に発表され、エジプトの全てのフリーメイソンメンバーは7ヶ月間、喪に服すように発令されています。

タウフィク副王がフリーメイソンメンバーだった証明書
イシスロッジ。壁にエジプト最後の国王ファルークの写真

ナセルがエジプトのフリーメイソンロッジを潰す

 1952年に入ると、アレクサンドリアの貧困街にある泥レンガの家で生まれたナセル将校がクーデターを起こし、王政を共和制に変え、エジプトを牛耳っていたムハンマドアリ一族とイギリスを蹴っとばします。

 ところで、カイロの街にはシャンポリオン通りなどフランス人の名前を付けられた通りはいろいろありましたが、フリーメイソンのロッジは大抵そういった、フランス名のついた通りの住所に建物(ロッジ)を構えていました。

 クーデターの2年後。
 エジプト大統領に就任したナセルは、フランスに由来した通り(ストリート)の名前自体をエジプト古来の名前に変えていき、そしてモルモン教やエホバの証人といった新興宗教団体の活動を禁止にし、ユダヤ系エジプト人の財産を没収して国外へ追い出し、国内のフリーメイソンロッジ全ても潰していきました。 

 ちなみにナチス・ドイツもフリーメイソンを禁止にし、そのためドイツの裕福なユダヤ系のフリーメイソンは大勢パレスチナに流れました。これもイスラエル建国実現の要因の一つでした。

ナポレオンのエジプト遠征200年周年目のフリーメイソン行事

 1998 年 5 月。
 ナポレオン・ボナパルトのフランス軍によるエジプトキャンペーン(エジプト侵攻)の200周年目です。

 エジプトのホスニ・ ムバラク大統領が主賓として招かれ、パリ中心部のコンコルド広場に立つエジプトのオベリスクの頂上に、黄金の冠石が儀式的に設置されました。20 万人がそこに集まりました。

 エジプト文化大臣のファルーク・ホスニ氏もそれに出席しており、ホスニ氏はすっかり感極まり
「今年の12月31日に、千年紀の祝賀会として、ギザの大ピラミッドでも同様の式典が行う
と発表しました。

 その後、この計画は順調に進められました。このことはものすごくよく覚えています。

 というのはこの前年、エジプトで大規模なテロが相次ぎ、初めて日本人ツアーも狙われ、日本人ツアーがバタッと来なくなりました。
 するとエジプトの観光地全てでは閑古鳥が鳴き、当時は日本人ツアーにものすごく頼っていましたし、観光で成り立っている国ですから、その状態は困るのです。
 そこで「巻き返し」「イメージ払拭」の狙いもあって、ピラミッドで大規模なイベントを行うと、ホスニ氏は息巻きいたのだろう、と報道を見て私はそう思ったからです。ところが…ああやっぱりエジプト!

大ピラミッドの頂上に金色の冠石を!

イスマイール副王の狩猟ロッジで、その後ホテルに。1952年のクーデターのとき、「このホテルだけは燃やさないでくれ。ここの宿泊客らのおかげで、我々は生活しているんです」と地元のラクダ業者らに懇願され、クーデター集団は放火しませんでした。

 パリのコンコルド広場での祝賀会の5ヶ月後、エジプト公式観光局は、
「フランス人作曲家ジャン=ミシェル・ジャールが総額1,000万米ドルで「太陽の12の夢」というタイトルの12時間(!)のオペラを作曲し、ギザのピラミッドのところで演奏をする」
と発表しました。

 余談ですが、その約10年ほど前?にも
「ギザのピラミッドの前でマイケル・ジャクソンがコンサートを開く」
と発表がありましたが、セキュリティなどの関係上で具体化しませんでした。

 エジプト公式観光局は続けてこう発表しました。
「ジャール・クレッシェンドの作曲したオペラは電子楽器で演奏され、真夜中に空からヘリコプターが飛来します。ピラミッドにはレーザー光線のスポットライトが当たり、星々の光も当たっています。(←何言っているんだが。スモッグといった公害で実際は星はあまり見えません)

 その中をヘリコプターはホバリングしながら、巨大な金色の冠石を大ピラミッドの頂上に据える予定です。

 その金色の冠石は高さ約 28 フィート (2 階建ての家ほどの大きさ) です。ピラミッド構造を保護するために特別に建設したので、重みなど問題ありません、大丈夫です。そして太陽がエジプトに昇るときに、金色の冠石に光を受ける計算です。

 日の入りと日の出のタイミングに合わせて、ピラミッドの蓋(頂点)を金色の冠石で覆うことは、古代エジプトのファラオの伝統の一部であり、非常に意味のあるものです」

「写ルンです」で撮影🤣しました。逆光ですが、ちょうどスフィンクスとクフ王の大ピラミッドの真裏に🌄

 ちなみに、この大ピラミッドの新しい金色の冠石のアイデアを提案したのは、ギザ遺跡担当国務次官ザヒ・ハワス博士です。べらべら本人がメディアで語っていたので、間違いありません。私もよく覚えています。

 エジプト観光庁は当初、このイベントには30万人を無料で招待する予定でしたが、警察や軍の反対に遭い、最終的に「安全上の理由」から2万5千人に制限を設けました。人数がまるで変わりました…。

 さらに、最初は「神秘的なイベントにお金を取るのはいかなるものなのか」
と言っていたくせに、さすがです。いつの間にか、無料のはずが有料にもなり、チケット 1 枚あたり 400 ドル、近くの砂漠の「立ち見」席用には、15 ドルの安いチケットも販売 しようとなりました。ツッコミ満載です。

「フリーメーソンの演出じゃないか!」

 1999 年 9 月まではすべてが計画通りに進んでいました。ところがです。

 予想以上に費用がかかることが分かった上、イスラム暦のイスラム教のラマダン月と重なることも発覚しました。
 あらかじめラマダンがいつなのか、おおよその予想がつくものなので、なぜもっと早い段階でそれに気が付かなかったのだろう、と思いますが、
「ラマダン中にそんなイベントだなんて…」
と案の定、批判が殺到しました。

 慌てたファルーク・ホスニ文化大臣は、
「外国人見学者もアルコールを禁止し、断食の終了が正式に発表されるまで音楽は演奏しない」
と必死に説明をしました。あれれ、「12時間」のオペラはどこに行った!?

 「ラマダン中の開催問題」については、ホスニ氏のあれこれの妥協により、折り合いがつき、この騒動は一件落着するように見えました。
 そんな矢先。
 急進派のアル・シャーブ(人民)新聞が、イベントの中で計画されている「ある演出」を知ってしまいました。

「フランス人作曲家のジャン=ミシェル・ジャールがレーザー光線でいわゆる「ホルスの目」を大ピラミッドに投影するつもりだ」

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 その記事が掲載された時、人々はぎょっとしました。
 「おいおい、フリーメーソンの演出じゃないか!

 さらに、アル・シャーブ新聞は
「「ピラミッドの目」は米国の1ドル紙幣の有名なフリーメーソンのシンボルをあからさまに想起させる」
と主張し批判をしました。

 ちなみに、なぜ一般のエジプト人までもがフリーメイソンに過敏に反応するのかといえば、

 フリーメーソンは、エルサレムのソロモン神殿に関連する古代ヘブライの儀式を隠し持っていることも知られており、「シオニスト」の浸透に結びついて考えられていたからです。

 文化大臣ファルーク・ホスニも首を横に振り、ピラミッドの責任者であるハワス博士も慌てて否定しました。
 ハワス博士は
「いえいえ、この祝賀行事はフリーメーソンの教訓とは何の関係もありません。そもそも、アメリカの米ドルのデザインは中王国のピラミッドを模倣した欠陥品です」(←本当にテレビのインタビューでもそういいました👏)

 彼らはなんとか必死にフリーメイソン疑惑の噂を消そうとし、一旦は収まりそうになりました。それなのに、ある人々がこの騒動の火に油を注ぎました。エドガー・ケイシー財団です。

アメリカの霊能者エドガー・ケイシー


 1945年に亡くなっているケイシーは生前、
大ピラミッドに金色の冠石が設置される日が訪れる。(省略)それは、スフィンクスとキリストの再臨を起こす

 この預言内容だけでも問題なのに、ケイシーは大ピラミッドに金色の冠石の設置を、フリーメーソンの原則に基づいた、一種の新世界秩序の確立と関連付けました。

「世界はフリーメーソン教団になるだろうが、その中で受け入れられる原則が、新しい平和秩序が確立される基礎となるだろう…」

 さらにケイシーは、イエスと洗礼者ヨハネ(6月24日の聖ヨハネの日に新年を祝うフリーメーソンの「守護聖人」とみなされている)をギザの大ピラミッドとも関連付けました。

 そこで、待ってましたといわんばかりに、アメリカのエドガー・ケイシー財団が登場し「ピラミッドの祝賀行事は間違いなくフリーメイソンの儀式だ」と首を突っ込み、騒ぎが拡大しました。

「フリーメーソン」の影響に対する国民の怒り


 その結果、1999年12月初旬、ザヒ・ハワス博士は、「黄金の冠石を置くことはピラミッドを傷つけることになるので、私たちはそれをしません」 と、ころりと発言を変えました。

 ハワス博士がイベントを諦めた後、「フリーメーソン」の影響に対する国民の怒りのため文化大臣も折れ、混乱を避けるためにも黄金冠石の儀式は中止されることを認めました。

 そして、考古学協会は黄金の冠石をクフ王大ピラミッドの頂点ではなく、科学委員会に置く決定を下し、なんとか面子を保つ立場をとりました。
 
 いずれにせよです。12月31日の夜は、大ピラミッドの上には濃い霧が立ち込めました。なので、例え開催をしていても、ヘリコプターが頂上のキャップストーンを降ろすことは不可能だったでしょう。それにしても、天気予報のことも考えていなかったとは…。

 これがナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征200周年目をギザのピラミッドでも祝賀しようとした、1998年プロジェクトの顛末です。
 そして今度はその13年後の2011年…

フリーメーソンのコンサート「11/11」

「2011年11月11日の午前11時11分、天国の11の門のうち最後の門が開く」

 実のところ、当初、このイベントはフリーメイソンとは関係がありませんでした。そもそも主催はフリーメイソングループではなく、考古学研究を支援するポーランドの財団DAR SWIATOWIDA(以下、DS)でした。

 DSのアンジェイ・ウォジキエヴィチ会長によると、
「ギザの大ピラミッドに世界中から人々を集め、ピラミッドの力を強化する瞑想「愛の儀式」を行う。

 なぜなら、2011年11月11日は地球を宇宙の脅威から救う特別な日だからだ。この日は世界中の人々が瞑想に参加し、愛のエネルギーをエジプト、大ピラミッド、地球に向けて送るまたとない機会である。

 これは母なる地球を助け、さらなる暴力や大災害の激化から地球と人々を守ること、そして霊的な目覚めを助けるための世界的な瞑想となるはずだ」

 Cheops Projectと題されたDSのイベントウェブサイトによると、11月11日午前11時から深夜までギザの砂漠で2つの式典が開催される予定と紹介されました。

 具体的には、午前の儀式は大ピラミッドの王の間で行われ、「人間の天使」と呼ばれる男女が、そこにクリスタルのピラミッドを設置し、「人間の天使」たちが部屋の中で75分間瞑想、クリスタルのピラミッドにエネルギーを与えます。

 午後11時から始まる夜のセレモニーでは、イベントへの招待者全員が大ピラミッドの周りで手をつないで輪になって瞑想し、ピラミッド型のクリスタルに愛のエネルギーを直接送ります。

「そのこととにより、ピラミッドのエネルギーが強化され、世界中の他のピラミッドと接続され、すべてのエネルギー ポイント、いわゆる「チャクラ」が活性化されます。
 これにより、地球の周りに保護シールドが形成され、彗星、惑星Xなど、多くの問題を引き起こす可能性のある望ましくない宇宙事象から私たちを守ります」

 この式典の構想は、2006年にDSの後援により、5年もかけて練られていました。
 なんとか実現にこぎつけるために、同財団は2008年にギザのほぼ90キロ南にあるファイユームのハワラ墓地遺跡での他の発掘作業を後援することも約束したほどです。

 もっとも、カイロ大学考古学部がポーランドのヴロツワフ大学と協力して実施しましたが、発掘作業は2009年に中止されました。理由は不明です。


 その後、ウォジキエヴィチ氏はYouTubeのインタビューでこう語りました。これが失敗でした。
「大ピラミッドは古代人ではなく、はるかに進んだ文明によって地球を救うために建てられたと私は信じています。(省略)第一、私はピラミッドが王の墓として建てられたのではないことを確信しています。それは宇宙を救い、地球の安定のために建てられたのです」

 余計なことを言っちゃいました。氏のこの発言が波紋を呼び、議論を招きました。「神々の指紋」が世界的ベストセラーになって以来の、久しぶりのピラミッド空想論です。

「古代エジプト人がピラミッドを建設したという事実は考古学者らによってすでに証明しているじゃないか?」
「いや、違う。古代エジプト人ではなく、宇宙人だ、アトランティス人だ」

 すると、そのうちこんな意見が飛び出しました。
ユダヤ人のフリーメーソンがピラミッドの建設者である

 その先は読めますが、
古代エジプト人、ユダヤ人。どちらがピラミッドを建てたのか?
の論争に発展し、おおごとに。

 そんな最中、DSの職員の一人が匿名を条件に、メディアにあることを暴露しました。
「実は、1200人のユダヤ人たちが我々DSのピラミッドの愛の儀式に参加し、自分たちこそピラミッドの建設者だというのを公言するために、大ピラミッドの頂上にダビデの星のシンボルを置く計画を企てている」

 実際に、参加を予定しているユダヤ人の一人が
「まず、ピラミッドをダビデの星の形で取り囲み、ピラミッドの頂上に同じ形のダイヤモンド(ダビデの星)を置く予定だ」
と公言しました。ただし、本当かどうか分かりません。そんなインタビュー映像は見つからないので。

 だけども、もう噂が独り立ちをし、DSのスピリチュアルイベント「愛の儀式」自体が「フリーメイソンのコンサート11/11」(←上手いネーミングですね)と呼ばれるようになり、
 クリスタルのピラミッドを王の間の石棺に置く話もが、ダビデの星をピラミッドの頂点に置く話に取って代わられ、各メディアも
「ギザのピラミッドでフリーメイソンのコンサート11/11が開催される」
と書きたて始めました。

 それまでこのイベントに一切無関心だった層までもが「フリーメイソン」「ユダヤ」「ダビデの星」という最強三大ワードに反応を示し、噛みつき始め、イスラム教のイマーム、革命団体などなどあらゆるところからは怒りの声明が出されました。

 アラブ考古学者組合の会長アリ・ラドワン氏はすぐに
「大ピラミッドの麓で、むやみやたらに何かの儀式を行わさせるべきではない」
と反対声明を発表。

 慌てたのは、DS責任者であるアリ・エル・アスファール氏。
「我々はピラミッドに何もしない(ダビデの星を設置しない)し、我々の式典はエジプト治安当局により承認されている。もし、何か問題が起こったり、損害が発生したりした場合、イベント全体が中止するので安心してほしい」
 必死です。

 ピラミッド省のアリ・アルアスファール氏は、考古品最高評議会はコンサート主催会社から手数料を受け取っておらず、キャンセルを撤回するつもりはないと述べ、そして内務省に治安部隊の出動を要請しました。

 しかしどうにもこうにも、エジプト国内での騒動は収まりませんでした。タイミングも第二のエジプト革命(アラブの春)の少し後だったので、なんと言おうか、、まだ殺気立って血の気の多い時期だったのも悪かったのかもしれません。

「フリーメイソンのピラミッド儀式に抗議して、ギザに集結し、一斉にメッカへ向かい集団礼拝をしよう」
「フリーメイソンコンサートを阻止するため、すべてのエジプト人は当日、
ギザに集結せよ」

 この大騒ぎを受けてDSのモスタファ・アミン事務総長は
「このイベントはユダヤ人のフリーメーソン組織が主催したものではなく、ギザのピラミッドでの単なる瞑想イベントだ。主催もポーランドの組織DSだ」
とリリースを出しました。

 だけども、あまりにも、あまりにも収拾がつかない状態になっており、結局イベント全体はキャンセルされました。

 しかし、当日の2011年11月11日11時11分にピラミッドで「何か」が起きるかもしれない…。
 それで念には念を入れようとなり、その日はピラミッドエリアを封鎖し、大掛かりな兵士たちも警備に駆り出されました。

 エジプトのフリーメイソンのその後

 だけども、ここで明確にすると、フリーメイソン=ユダヤではありません。ただし、多くのユダヤ人がフリーメイソンメンバーであるため、特にエジプトでは一緒くたのイメージをもたれています。

 しかし、私がカイロに住んでいた時、ロッジは色々あったと思います。1954年にナセルが壊滅させたのですが、その後復活をしていったのでしょう。

 ロッジの名前はインホテホテプロッジ(古代エジプトの人物ですが、フリーメイソンメンバーだったと言われている人物から取ったロッジ名)、イシスロッジ、ケメット(古代エジプト語の「エジプト」)等などでした。

 聞いた話では、儀式は古代エジプトのやり方だそうですが、現代アラビア語が使用され、ロッジによっては全部英語、フランス語使用だとのこと。
 いかんせん私は見たことがないので、噂などで聞いた話だけですが。

 ヨルダンのフセイン国王(1999年没)もメンバーだったというのは周知の事実でしたし、中東とフリーメイソンはセット、といおうか切り離せない関係なのではないかと思います。

 もっとも、ハマスはフリーメーソンをシオニズムに支配された「秘密結社」と表現しており、1988年に採択されたハマスの規約には「フリーメーソン」という用語を3回も言及しています。

 そして次回、トーマス・クック旅行社のパレスチナ支部の総支配人がフリーメイソンメンバーだった話とイスラエル建国に続きます。あと2回!

一目惚れしたスタンドライト

 

https://freemasonsfordummies.blogspot.com/2011/11/pyramids-closed-to-stop-masonic-concert.html

https://english.ahram.org.eg/NewsContent/9/40/25967/Heritage/Ancient-Egypt/Meditation-ceremony-to-save-Planet-Earth-at-Pyrami.aspx

https://robertbauval.co.uk/articles/articles/gpfm.html



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