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帰る場所の無い人

 すすきのから二百メートルほど北へ進んだところに、狸小路という商店街がある。東西に九百メートルほど続くアーケードの西側に『TK6(ティケイシックス)』というバーがあった。

 オーストラリア人がオーナーで、オーダーごとに先払いする外国人が好きそうなスタイルの店だった。
 十年前、二十代後半の時に風来坊に憧れて、まねごとをしようと北海道に四ヶ月間滞在した。その時によく立ち寄っていた。いつもひとりで飲みに行っていたので決まってカウンターに座った。

 北海道の人は人懐っこいのか寂しがり屋なのか、ほぼ百パーセントと言ってよい確率で隣に座った人間に話しかけられた。ゴローも隣にたまたま座り合わせた人間の一人だった。

 五十手前の年齢で、本名は分からない。訊ねたが適当に流されて教えて貰えなかった。昔ものまねの芸人をしていて、その時の十八番(おはこ)が北の国からの田中邦衛だったので役名からとって『ゴロー』と名乗っているらしい。十八番だったというものまねを見せてもらったが、私でも二十分ぐらい練習すれば出来そうなクオリティーだった。

 よく喋る男で休みなく話すその姿は人との関わりに飢えているようだった。母親が勝手に自分の部屋を掃除したことに腹を立てて、家出中という身の上を聞いて、面白い男だなと思った。だらしなく適当に生きている自分のことを無理に良く見せようとしないところが様になっている。私の好きなタイプの人間だった。

 ゴローもどこか私のことを気に入ったのか、彼の行きつけの焼き鳥屋に誘われ、場所を変えて飲み直すことになった。掘りごたつの席に腰を下ろす時にゴローの右足が義足だということに気づいた。TK6から焼き鳥屋まで、十分近く歩いてきたのに、その瞬間までまったく気がつかなかった。器用に歩けるもんなんだなと感心した。

 ゴローの行きつけだという焼き鳥屋にはカラオケが置いてあった。私は歌が苦手なので歌わなかったが、ゴローの歌う尾崎豊を数曲聴いた。あまりの美声にびっくりした。見た目に似合わぬ歌唱力に思わず笑いが出てしまった。間奏中にアドリブで入れる田中邦衛のものまねも、狸小路のバーで聞いたときよりも格段に上手く見えた。

 明け方まで一緒に飲んだ後、別れ際に、

「家に帰るのか?」と訊ねると、彼は、

「いや、その辺で適当に寝る場所を探す」と言った。

 携帯電話を持っておらず、家に帰る予定もないという彼に、私は紙切れに書いた自分の電話番号を渡した。
「なにか用があればここに電話すればいいんだね。――もし僕に用事があれば、大体TK6にいるから」ゴローはそう言った。

 一週間後、神戸に行く用事があった。いいキッカケなので、私はそれに合わせて北海道を去ることにしていた。ゴローにひとこと別れを言いたくて、最後の晩、狸小路に足を運んだ。前回別れ際に言っていた言葉通り、ゴローはTK6のカウンターに座っていた。去ることを告げると、ゴローは餞別にと酒を奢ってくれた。

「家にはもう帰っているのか?」という問いに彼は首を横に振った。しょうもない理由で家出した割に気合いが入っているなと思った。

 再び北海道の地を訪れるのに十年も掛かった。前回の気ままな旅とは違い、二十六人、二泊三日の社員旅行で、幹事なんていう面倒くさい役割を押しつけられた。いくらかまともな生活をするようになった代わりに、自由を切り売りした結果だった。

 初日の晩、身が自由になるのを待って、私は狸小路に足を運んだ。もしかしたらゴローに会えるかと期待したが、TK6の在った場所は空き店舗になっていた。一緒に行った焼き鳥屋にも足を運んだが、全く別の居酒屋になっていた。


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