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楽に流れる

シャンプーは髪じゃなくて頭皮を洗うんだ、って意識できるようになったのはいつからだろう。

私は大人になるにつれ、色々なことを受け入れてきた。というか、「そういうもの」と社会の普遍的ルールを、よく見ず考えずに飲み込んできた。

ルールを「そういうもの」と考えることはとても楽で、簡単である。
自分で意味を考えなくてよいからだ。なぜそうなのかと考えだすとキリがないし、納得のいく答えを得られないこともままある。

自分を納得させる答えが見つからないのがなぜなのかわからないから、その答えを探さないといけなくなることもある、輪廻。

結局、流されるのが一番楽で、気ままで、しんどくない。
こういう風に生きる楽しさや喜びを感じるままに、道の端っこをゆっくりと歩きながら空を見上げて雲を追いかける人生をすごしていくのがいいかもしれない。

みたいなことを、今日シャンプーしながら考えていた。
「髪じゃなくて頭皮を洗うように指をこするんだよ」といつぞや親に教えてもらったことをふと思い出したのだ。
これは別に社会のルールじゃないのに、ずっと自分の中で「意識してきたこと」で、今もずっとそうしている。
当たり前だから。「そういうもの」だから。

ほら、やっぱり。
「そういうもの」としていることが、ありふれた日常のなかにどれだけ溶け込んでいるか、今一度考えてみたくなった。

割と自分も色々なことに流されてるんだろうな。
風呂の床に流れていくシャンプーを見て、そんなことを思った。

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