今日が終わったことにホッとして息をつける生き方を

※私はアラフォー女性。精神障害を持つ既婚パート会社員としての立場からの記事になります。

一週間が終わった。
体調はぼちぼち。明日はメンタルクリニックに行く。
家に帰りチョコアイスを食べながらこれを書いている。

世の中理解されないことは往々にしてある。
働けない。結婚できない。自立できない。人間関係がうまくいかない。
それらは普通にあることなのだけど理解されない。

なぜなら酷い家庭環境だったこと、脆弱性を持って生まれたこと、トラウマがあること、障害があること、を身を持って知らない人には
そのようなことは『ない』として換算されるからだ。

でもそれは仕方ない。
理解しようにも知らないからだ。
私が普通の人が分からないように。

だからマイノリティー側は理解を求めるもほどほどにしその合間を縫って生きる知恵を持たなければならない。

いつかマイノリティー側にも優しい社会が、とか制度が変わればなんとかなる、とか言っていてもそうならないかもしれないし、ただ待っていても一生が終わってしまう。

だから適応できるようになりましょう、と言いたいのではなく
普通になれない人も働いてない人も結婚できない人も
今日が終わったことに安堵してゆっくり休む時間と権利があると思うのだ。

確かに世の中は思うようにはいかないしマイノリティー側には厳しい。
でもそれと快適に生きる権利は別にある。

日常の中に色々な課題や問題があったとしてもすべての人に息つく時間があってほしい。
非現実的だけど、夕方の5時半くらいに国民全てが頭を空っぽにできる5分間があったらどうだろう?

今日も皆様お疲れ様でした。
一旦自分のあれこれをちょっと横においてコーヒーでもいれて気持ちをふんわりさせてみませんか?

問題はそのままでもちょっと距離ができる。
また夜が明けたら明日はやってくる。
今一息つくことでちょっと流れが穏やかになったとしたら
続いてく日々と併走していく力蓄えられるかもしれません。

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