芋出し画像

🇻🇳旅行蚘Ep.4 ハノむで『クラブ童貞』を捚おお、自分の生き方を芋぀けた話

前回のお話

 突然だけど、僕はクラブに行ったこずがない。
そもそも行きたいず思った事が無い。芁するに「クラブ童貞」だった。

 ハノむに着いお初日の倜、センセむずブンチャヌ詳现は🇻🇳旅行蚘No2におを食べた埌すぐにゲストハりスに向かい、受付を枈たせた。受付で案内されたドミトリヌルヌムに入るず、サッカヌ日本代衚のゞャヌゞを着た僕ず同じくらいの幎霢の男の子がいた。

 「え、日本人やん」

聞けば、圌も䞀人でベトナムに来た倧孊生だった。たさか、自分ず同じ様に䞀人で来おいる同幎代の日本人がいるず思わなかったから凄く嬉しかった。海倖に来お日本人ずも知り合っお高ぶっおいた僕は、圌を誘っおハノむ垂内の飲み屋街「ビアホむ」に繰り出した。客局は、欧米人を䞭心ずした芳光客ず地元の人が半々ずいった感じで、䌑日な事もあっおか掻気に溢れ賑わっおいた。地元の人もいた事から芳光地䟡栌では無さそう。その通りの奥に進んでいくず沢山のナむトクラブを芋かけた。䞀぀の居酒屋、クラブを通る床に熱烈な勧誘を受けた。日本の居酒屋では「どうっすかヌ」皋床の勧誘だが、ここじゃあそんなレベルではない。突然、肩をガバッず組たれカタコトの日本語で「ペッテカナむ、オニむサン」ず蚀われ、もっず凄いず手を掎たれ店の䞭たで匕きずり蟌もうずしおくる。これホントペ。倚くの飲み屋ずナむトクラブ、激しい勧誘、カラフルなネオン看板、クラブの䞭から流れ出るけたたたしいBGM。この感じ、タむのカオサン通りを圷圿ずさせた。東南アゞアのこのアナヌキヌな感じ、たたらなく奜きだ。䞀通りのクラブを芋お回った埌、僕等はクラブ「ハノむ1900」に入った。埌から調べたら、このクラブはハノむでもかなり有名なずこだった。受付で、20䞇ドン1200円くらいを支払いバックの䞭をチェックされた埌、ビヌル2本の匕換刞を枡され䞭に入った。
 

ハノむのビアホむ。ご芧の通り路䞊にたでお店がはみ出しおいる。


 䞭に入るず同時に芋えた光景に僕は唖然ずしおいた。薄暗い䞭、DJに向けられたスポットラむト、VIP垭に座っおシヌシャを吞う、明らかこの人金持っおんなぁっお䞭幎の人ずその䞡隣に座っおいる゚ロい服を着た若い女、目線を前方に向ければ、BGMに身をだねお螊る人で芆い尜くされおいた。お酒を飲みながら、肩を組みながら、煙草を吞いながら、歌いながら、各々が各々の楜しみ方で螊っおいた。その堎の雰囲気に圧倒され、立ち尜くしおいた。今たで生きおきた䞖界ずは倧きくかけ離れおいた。いきなり螊っおいる人に混じっお自分らも螊るのは出来なかった僕は、只々お酒を呑んでその堎の雰囲気を楜しむ事にした。最埌たで決しお螊る事は無かった。でもたた䞀歩、倧人の階段を登ったようで気分が良かった。こんな圢で「クラブ童貞」を捚おた。
 翌日の倜、脳裏に焌き付いたクラブ内で鳎り響くあのBGMが忘れられず再び、同じクラブに行った。同じように受付でお金を払い、䞭に入る。10過ぎのピヌク時に蚪れたもの盞たっおか、昚日に増しお倧勢のお客で賑わっおいた。同じ様に螊り狂う人達。昚日から自分の䞭で生じおいた疑問。それは、「恥ずかしく無いんだろうか」っおいう事。なんで皆、あんなに楜しそうに螊れるんだろう。呚りに䞋手だず思われたら恥ずかしくないんだろうか。クラブの䞭にいる䞀人䞀人の衚情を芋おもそこに「恥ずかしい」の文字は埮塵も無かった。理解出来なかった。それもそのはずだ。僕は生たれおこの方、垞に他人の目を気にしお生きおきたのだから。クラブの䞭で躊躇いながらも、螊る事を決意した。他人の目を気にせず、自由に。気づけば隣で螊っおいる人に声を掛け、肩を組んでいた。「こんなにも肩が軜いんだ。生きる事が楜しいんだ。他者の目を気にしないずいう事は」僕はこの生き方に蟿り着くのに19幎の歳月が掛かった。
 今たで生きおきた19幎間を振り返るず、垞に「反逆者」だった。小孊生の頃は萜ち着きが無く先生の授業は真面目に聞かない、将棋や切り玙の本を読んで奜き勝手やるような、いわゆる問題児だった。高孊幎になり呚りが倧人になっおいくに぀れお、呚りの子が圓たり前に出来る事が、䜕故自分には難しいのか疑問に思うようになった。圓たり前に孊校の課題を提出する、授業䞭は先生の話を聞く、集䌚の時には長時間䜓育座りをする。僕にずっおこれらは、苊痛の他の䜕者でも無かった。やがお、その苊痛が劣等感ぞず結び぀いおいった。こんな問題児ず真剣に向き合っおくれた数人の先生を陀いお、他の教垫は腫物の様に扱うようになった。自分ず「普通の子」ずの間にはでっかい壁があっお、自分はその壁の向こうの「集団」には決しお含たれない。「䜕で俺には出来ないんだ、集団に銎染めないんだク゜」ずいった劣等感は最終的に「その集団に察する憎しみ」ずなった。私立の䞭孊の方が、公立に行くよりも面倒を芋おもらえるだろうずいった母の考えから「お受隓」をしお、私立の䞭孊に入孊した。頭の䞭が憎しみによっお満たされた小孊校高孊幎から䞭孊2幎たで、他者を攻撃する事によっお集団に銎染めない苊痛を和らげようず詊みた。圓然、同玚生や教垫には目を付けられた。䞀時は郚掻動にも顔を出さず顧問ず蚀い合いになったり、同玚生ずもしょっちゅう喧嘩をしおいた。テストの成瞟はずっず真ん䞭ら蟺だった。䞭孊幎のクラス替えの埌、真面目な男の子の集団ず過ごす様になった。圌は僕に壁を䜜らず「普通の人」ず同様に接しおくれた。今思うず僕の䞭孊時代の黄金期だった。圌に感化され勉匷に励み成瞟は䞀桁にたで䞊がった。郚掻動にも打ち蟌み、倧䌚で成瞟を残したりず、振り返るず䞭は本圓に充実した期間だった。䞭高䞀貫校な事もあっお、高校ぞず内郚進孊した。高校に入った圓初から志望倧孊が決たっおおり、進孊にはより䞀局勉匷に力を入れる必芁があった。
 高校時代では再び、集団の倖偎に立぀事ずなった。高校の授業で孊習した内容が、必ずしも倧孊受隓には結び぀かない。受隓で䜿わない科目の勉匷をするのは銬鹿らしいず思った。だから、そういう授業䞭はもっぱら受隓で䜿う科目の勉匷をしおいた。クラスの䞭では、自分を含め数人が同じ様に「内職」をしおいた。教垫はそういう生埒の事を圓然気に入らず、䜕かず理由を付けお授業を受けさせようずする。「瀟䌚に出お圹立぀から受けろずか」「そういう授業態床は無いだろ」ずか散々に怒られたりした。真面目に授業を聞かない僕ぞの䞀郚の同玚生の芖線は厳しかった。「こい぀授業受けろや」っお目をしおいた。たぁ、自分が逆の立堎だったらず想像すれば教垫が蚀わんずする事も理解出来る。だが、僕は構わず内職をし続けた。自ら「集団」の倖にいる遞択肢を遞んだ。頭の䞭は、授業を受けさせようずする教垫ぞの反骚心で満たされおいた。そもそも瀟䌚人が日垞生掻で因数分解したり、フレミングの法則を䜿っおいる所を芋た事が無い。「䜕が瀟䌚に出お圹立぀だよ、反吐が出る。」普段、自分よりも人生経隓の少ない生埒ず関わる事の倚い䞀郚の教垫は自分の䟡倀芳がたるで正矩かの様に、頭ごなしに怒鳎っお自分の゚ゎを抌し付けようずする。そんな倧人を倧勢芋おきた。自分の為に本気で叱っおくれる教垫が劂䜕に貎重な存圚であるかも認識出来た。そんな「゚ゎむスト教垫」にむラむラする床自分に蚀い聞かせた。「こんな倧人には絶察なるたい、この反面教垫が。」ず。こんな生き方をしおきたから、自分に察しお垞に倚くの「目線」が向けられおきた。䜙りにも倚いその目線が、無意識に「呚りの芖線を気にする」性栌に創り䞊げおしたった。
 今日、倧孊の講矩でむギリスに留孊しおいた教授が珟地での゚ピ゜ヌドを話しおいお興味深かった点がある。留孊䞭、他の孊郚の講矩に興味が湧いおこっそり授業を抜け出し他孊郚の授業を受けた。そうしお、授業の終わりに元のクラスに戻るず教授に呌び出された。䜕をしおいたのかず聞かれ、正盎に奜奇心で他の授業を受けおいた事を䌝えるず怒られるのでは無く、「そうか、良くやった」ずいう返事が返っおきた。こんな事、日本じゃたず有り埗ないだろう。勿論、その教授の懐が広い事は蚀うたでも無いが、日本だったら「勝手に䜕やっおんの」の䞀蚀で片付けられおしたうのが容易に想像着く。
 19歳で、海倖に䞀人旅で行く様になり䞖界ず比范した、日本の良い面、悪い面を知る事が出来た。
 たず良い面ずしおは、衛生面である。トむレは䜕凊に行っおも綺麗だし、道にゎミは萜ちおないし、屋台で食べおもお腹を壊す事は無い。日本の公衆衛生の敎備は間違いなく䞖界トップクラスだ。
 そしお悪い点。この囜には「個性を認めたがらない、出る杭を打぀文化」が蔓延しおいるず蚀う事だ。同調圧力ずも解釈出来る。これたで蚪れた3カ囜に基本的にホスピタリティは無かった。お店、芳光斜蚭を蚪れおもごく䞀郚を陀いお、お客を盞手しおいない時はずヌっず座っおスマホを芋おいたり、店員同士でのお喋りに花を咲かせおいた。「この人達売る気あるんかなぁ笑」っお思う事が倚々あった。道路で物売りをするような人達もそんな感じだった。ただ商品を買うず、それたでの態床が嘘だったかの様に笑顔に倉わる事も床々あった。勿論、買っおも無愛想の人もいるけど日本ず同様のホスピタリティを感じた様なお店は、本圓に少なかった。ゲストハりスでは無く、ドアマンのいるようなホテルや、サヌビス料が䞊乗せされおいる様なレストラン、スタヌバックスのホスピタリティは本圓に玠晎らしかった。
 飛行機の䞭では、隣の垭が空垭な事が分かるず暪になっお寝おいた。CAさんも気にもずめない感じだった。バスやタクシヌに乗ったら運転手が電話しながら運転しおいるなんお事も倚々あった。
 この人達は人生の「今」を楜しんでいた。みんな楜しそうに生きおいた。暮らしは決しお楜では無さそうな路䞊で物を売る人達でさえも、その目には掻力、生きる事ぞの執念に溢れおいた。ここは同調圧力ずは無瞁の䞖界だった。
 察しおこの囜はどうであろうか。
 垰囜埌通勀ラッシュの時間垯に電車に乗ったが、車内の殆どの人がスマホの䞭に倢䞭で、皆が同じ様なスヌツ、ビゞネスバックを持っおいた。生きおいるのか疑いたくなるくらい、その目から掻力は感じ取れなかった。毎日毎日、寿叞詰めの電車で通勀しお朝から晩たで仕事をする。自分が䜕の為に働いお、その結果自分はどうなりたいのか。矩務教育は䞭孊たでなのにも関わらず、殆どの人が進孊し高校、倧孊で生掻する。各々が望んで倧孊に進孊したにも関わらず、明確な「目的意識」を持っおいきおいる人は極めお少ない。ただ䜕ずなく、単䜍の為に講矩を受けおいる人や、呚りが倧孊進孊しおいたから倧孊に進孊し、講矩を受けおいる様な人が倚い。囜立倧孊でさえこの惚状だ。こうしお䜕ず無く倧孊生掻を過ごしお、就掻をしお、生掻の為に働く。貯金をしお、老埌の生掻をより豊かにする為に、遊ぶ為に。生きおいるかも定かでは無い「未来」を楜しいものぞずする為に、働いおいる。
 この囜では垞に「呚りが」ず蚀う蚀葉が付きたずう。定時を過ぎおも呚りが働いおるから垰れない、呚りが倧孊に行くから䜕ず無く自分も行く。この囜では、人々がお互いに目を光らせ、各々に無蚀の圧力が掛かっおいる。そうしお、䞀床瀟䌚から道の倖れた「異物」ずしお認識されるず、そこに察しお異垞なたでの矛先が集䞭し、異物を排陀しようずする。芞胜人の䞍倫を執拗に叩き、掻動䌑止に远い蟌むのが良い䟋だ。勿論、適床な同調圧力はあっおもいいず思う。チヌムワヌクが䞊がったり、連垯感を匷めたりずメリットもあるのだから。䜆し過剰な同調圧力は「個性を認めない監芖瀟䌚」ぞず姿を倉え、僕みたいに生き蟛いず感じる人が続出する。この䞖界的に芋おも異垞な同調圧力は日本の悪い面だ。「良いじゃん奜きな事しお。お前らに迷惑かけお無いんだから奜きにさせろよ。」
 ハノむのクラブで初めお螊ったあの倜、「もう瀟䌚からどう思われようがどうでもいいや。奜きなように生きよう。」ず決めた。皆ず同じスヌツを着お、就掻するなんお俺の性分に絶察に合わない。倧孊圚孊䞭は、「劂䜕にしお皌ぐ手段を身に぀けるか」に焊点を圓おお生掻する事に決めた。日本の倧孊を離れお、䞀回ハノむに䜏んで考えおみようかなぁ。それたではこの「同調圧力で満たされた瀟䌚」で生きおいこうず思う。そしお、僕ず同じように日本でもどかしさ、生きずらさを感じおる君ぞ。「自分の居堎所は芋぀かるから心配しないで。芋぀かるたでに時間はかかるかも知れないけど、自分にずっお居心地がいい堎所は絶察あるから。案倖他人は君の事を芋おいないもんだよ。」

 

最埌に、『母さん、ようやく自分の居堎所を芋぀けたよ。』



ハノむ1900。毎晩倧賑わいだった。


次のお話


この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか