自分のことが死ぬほど嫌いだから君のことが好きだよ

 諸君は隣人にむらがってそれに美名を与えている。だが言おう。君たちの隣人愛は、君たち自身をうまく愛することができていないということだと。
 君たちはおのれ自身から逃れて、隣人のもとへと走る。

ツァラトゥストラかく語りき

 『快読 ニーチェ「ツァラトゥストラはこう語った」』という本を読んでいる。やっぱニーチェは好きだ。近代の欺瞞に対するまなざしが一番鋭い。読まないのは勿体ない。ただ、自分も浸っている時代の空気感を批判しているので、その尻馬に乗って他者を裁くのではなく、自己批判としても読むべきだと思う。

 自己嫌悪というのは現代病の一つだと思う。メンタルヘルスの多くの問題が自己嫌悪に根差している。ニーチェの診断では「共同体が創られたことにより、人間の本質である残酷さが外部に発散できなくなったので、自己に残酷さを向けるようになった」となる。そうかもしれない。SNSでは残酷な言辞が飛び交っているし、その刃は自己へも向かう。筋トレをすると自信がつくと言われるが、自己の残虐性をメンタルではなくフィジカルに与えているのかなと思う。

 僕も自分を死ぬほど憎んでいた。けれど、そのことを知らなかった。瞑想をしていると無意識にある種子が浮かんでくることがあるのだが、頭の中が「お前なんか死ねばいいのに」で1時間ほど埋め尽くされたことがある。自分が死ぬほど憎かった。頭の中を無能、無職、生きている価値がない、などの罵詈雑言が舞っていた。自分の知らないところで、自己への憎しみがこんなに暴れていたら、そりゃメンタルをやられると思った。

 ダライ・ラマに、アメリカ人が「自己嫌悪」についてどう思うか聞いたところ、言っている意味がよく分からないと言われたらしい。他のチベット人に聞いてもよく分からない。自己を憎むという行為の意味が分からないらしい。ダライ・ラマが「ではこの中に自己嫌悪を抱いている方は手を挙げてください」というと、アメリカ人は全員手を挙げたという。
 個人主義や競争主義、生産至上主義などの近現代的価値観は、自己を憎むように仕向ける。

 冒頭に引用した文章は、的確な人間観察のように思う。自己自身を肯定できないから、他人を肯定して、そのお返しに肯定してもらう。僕が今まで見てきた恋愛のパターンは例外なくこれだった。僕がメンタルに問題のある人との関りが多いというのもあると思うが、このパターンは本当に多いと思う。
 政治活動とか慈善活動に熱を挙げている人も、怪しいと思う。自己を肯定できないから、他者に奉仕する。僕は政治活動をしている人は嫌いなのでほぼ関わったことがないのだが、唯一関わったことのある人は、競争意識が強く、劣等感を多分に抱えていそうだった。

 美容垢や整形垢、奇形界隈など顔にまつわる女性のアカウントを見ると本当に胸が痛くなる。「そのままで十分可愛いよ」と言われても、自己を憎しみ続けることをやめられないのだと思う。

 「本当の愛」というのは、まず自己を愛すること。といっても虚栄心や空元気ではなく、健全に愛すること。健全に自己を愛している人の傍にいると、その人も癒される。
 ニーチェの根本思想に「惜しみなく与える徳」というのがある。花や太陽のような人になりなさいということだと思う。

自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。

ダンマパダ

勉強したいのでお願いします