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灰鳥

生き物全て、何かを捨てねば繁栄はない。人類は己の国や文化を育むために野を切り、水を濁し、生き物を狩り、そして同族同士で剣と弓を向け合う。一方で城を建て畑を耕し水を引く、繁栄の裏で多くの犠牲があった事を忘れるがの如くこの工程を繰り返す。しかし時としてこのリズムにも似た歩みは大きなねじれを見せる。


とある国では甚大なる飢饉に見舞われた。前代未聞の規模であり、作物は育つ事なく薄茶色のひび割れた大地がまるで痩せこけた人の皮膚の様にも見える。この畑の姿が国の行く末を暗示しているのかはわからない。だがそうならない為にも、この国の王はとある言い伝えによって打破しようと考えた。


国王の城にとある青年が1人。国の中でも随一の腕を持つ狩人だ。今まで狩ってきたのは獰猛な毒蛇に大猪、果ては人の3倍もの大きさの大蜘蛛も自慢の弓で射抜いてきた。国王は狩人の青年にあるものを捕まえてきて欲しいと命令する。その獲物の名は「灰鳥(はいちょう)」と呼ぶ。見た目は普通の鳥だが、体の色が灰色なのだ。ただ灰色という訳でもない、名前の由来には御伽噺のような理由があった。灰鳥は1羽だけでも膨大な栄養を体に蓄えている、国の飢饉なんぞ滅ぼすほどに。その血は大地を潤し、残った肉や羽は灰にして畑に撒けば大自然が生まれるほどの栄養があるという。灰鳥は食う事よりも畑を育てる為に優先されて使われる事が多い為この名がついたという。問題はその生息地。国の近くにある魔獣の森の深くまで入らなければいけない。そこで、魔獣の森で狩をこなせる彼に依頼を頼んだのだ。本当はあの森に食料を取りに行くことも不可能ではなかったが、優秀な狩人でさえ帰ってこないあの森の奥に進める可能性があるのは彼だけなのだ。狩人の青年は快く引き受け、すぐさま森に旅立った。


魔獣の森は食料も水も多く確保できる。一方で多種多様な化け物たちが蔓延っている。それ故に飢えてもこの森に近づく人間など、狩人の青年を除いて国にはいなかった。狩人の青年も灰鳥がいるとされる森の中央には進んだ事がない。だが、そんな事など理由にならない程に彼は襲ってくる魔獣を矢で射抜きながら進んでいく。彼が通った道には必ず、彼の矢によって犠牲になった魔獣達の亡骸があった。


森の中央の小さな池。木々がより一層生い茂るこの辺りに今回の目的がいる。それは意外と近くにいた。見上げた先の鳥の巣には灰色の鳥が静かに寝ていた。そう、あれが灰鳥である。はじめて狩る獲物であるが、大蜘蛛や猪に比べれば大した事はない。いつものように呼吸を穏やかに、ゆっくりと矢を放った。矢は灰鳥の首を完全に貫き、巣とともに木から落ちていく。狩人の青年は走りより灰鳥を捕まえた。だがここで問題が発生した。あの様な御伽噺をにわかに信じられなかったのだ。あまりにも簡単な任務、灰鳥そのものも大したほどの脅威ではなかった。故に自分が射抜いた獲物の価値が信じられないのだ。彼は灰鳥の伝説を本物にする為、灰鳥の矢傷から滴る血の一滴を舐めた。するとどうだろう。脳や体が一瞬のうちに痺れたと思いきや、疲労がなくなり根拠のない満腹感のようなものが彼の心と体を癒す。まるでもう何も食べなくても生きて行けそうなほどの自信に満ち溢れている。この力は本物だ。だが、その快楽に浸っているとどこからか鳥の鳴き声がする。先程彼が射抜いた灰鳥の雛たちが3羽ほど、青年に向けて罵声を浴びせているが如く鳴き始める。余韻を邪魔された彼は怒り、ナイフを向ける。たかが雛鳥、自分に怒りを向けるのもおこがましいと言わんばかりにゆっくりと近づいていく。その近くの池に青年の狩人の顔が映る。彼が池を見ると、そこには不敵な笑みを浮かべる悪魔のような自分がいた。醜く、その目は今まで狩ってきたどの魔獣よりも恐ろしい。彼はすぐに池の水で顔を洗うと、元の顔に戻っていた。狩人の青年は落ち着きを取り戻した。今まで狩に躊躇など見せなかった彼だが、今回だけはどうしてか保身というか自分を正当化させようと必死になった。それは雛たちの親を殺した罪悪感からなのだろうが、こういう気持ちを一度知ってしまうと永遠に付き纏う。狩人は考えるのをやめ雛鳥を見逃すことにした。それがせめてもの贖罪なのか、彼が池で見た悪魔に臆したのかはわからない。とりあえず最低限の目標は果たした、狩人は獲物を持って森を後にした。


狩人の青年は王に灰鳥を献上した。すると王は灰鳥の血をほんの少し舐め、狩人の青年と同じように快楽に襲われる。森で狩をして生きる青年に対して、王にとっては久方ぶりの食事にも似たものなのだろう。それ程までにこの国は飢えていたのだ。そして王は家臣たちに言い伝え通り、灰鳥の血と肉や羽を燃やした灰を畑に撒くよう命令した。王は狩人の青年に質問をした。

「あの森に、他の灰鳥はいなかったのか?」


狩人の青年はほんの少し動揺したが、森にはあの1匹だけだったと嘘をついた。動揺した理由、それは王の顔が、あの池で見た悪魔と同じような顔をしていたからだ。醜く、優しさのかけらも無いあの顔だ。


その後灰鳥の血と灰が、あの痩せこけた大地に活力を与え、ありえない速度で野菜が出来始めた。飢えた人々は一心不乱に作物にかぶりつく。久方ぶりの食事、だがその光景を見た青年の狩人は彼らの顔が悪魔の顔つきになっている事に気がつく。生を長引かせるということ、それは何かを破壊してまでも終わらせない事なのだと実感した。自分も国民として、狩人の青年はこの恵みへの感謝を誰よりも忘れる事は無かった。狩人の青年は英雄と讃えられたが、彼がその言葉の勲章を快く受け取る事は一切なかった。


飢饉が過ぎ去って1年ほど経ったある日のこと。狩人の青年は森での狩はやめる事はなかったが、あれから命の大切さを学び無益な殺傷をする事はなくなった。自分が生きられる最低限の狩しかしなくなったのだ。貧乏にはなったが、自分にはそれで良かったと感じる日が絶えることはなかった。そんなある日、彼が市場でパンを買いに行くと、街中をゾロゾロと歩く物騒な輩たち。見てすぐに理解した、彼らも青年と同じく狩人なのだと。服装から見てこの地方の出身では無さそうだ。しかも大勢、まるで鬼のような目つきで城に向かっている。狩人の青年は異変を察知し他の狩人達よりも一足先に城へ向かう。


狩人の青年は城に着くと王に説明を求めた。すると王は笑いながら、魔獣の森に灰鳥を狩に行くと応えた。王が狩人の青年に依頼しなかったのは、青年が灰鳥を持ってきたあの日嘘をついていると感じとったからだ。本来であれば反逆罪として青年を捕らえることもできたが、王は青年への恩義もあるし、何より嘘かどうかはその時は完全な判断が出来なかった。そして今、灰鳥によって国は飢饉前よりも遥かに豊かになった。王は各地方から青年と同等の力を持つ狩人たちを招集し、捕まえた灰鳥で国力の増強を計ったのだ。それを聞いた青年は王を必死に止めたが王の歩みを止める事は出来なかった。必死に止めるその素振りを見た王は青年が嘘をついていた事を確信したが、今回は見逃してやると言い放ち狩人たちと共に魔獣の森へ出発する。青年は尚も止めようとしたが、かつて不必要なほど殺傷をしてきた過去が脳裏によぎる。止めようとするたびにそれは強くなり、王と過去の自分を照らし合わせ、やがて止める資格などないと悟ってしまった。


数日後、王が狩人たちと共に灰鳥を2羽捕まえてきた。それだけじゃない、森にいた大蜘蛛も熊も鹿も、本来の目的とは違う生き物たちも狩ってきたのだ。その後灰鳥は国の畑に使われ、他の生き物たちは薬や食肉、そして服など全て人の為に使われた。かつて青年が救ったあの国の住人はもっと優しく、少し痩せてはいたが幸せが絶えなかった。しかしあの飢饉があって以来、人々は意地でも豊かにならねばとこだわるようになった。国民も王も、以前よりも遥かに肥えたように思える。1人の国民として青年は当然、その国の野菜も肉も食らう。だが、自分がかつて逃した灰鳥たちの命なのでは無いかと考えると、国の食事が通る事はなかった。


青年はその後国を出た。生きる喜びと感謝を誰よりも感じなければならないあの国の病を見てしまった以上、居た堪れない気持ちでいっぱいだったのだ。当然自分が生きていくにはそれ相応の犠牲が付き物なのは理解している。だが青年にとって不必要な殺傷の結果を見続けるのは、自分にとって毒であり生き物たちへの感謝を忘れてしまうのではないかと考えたのだ。青年は豊かな国ではなく、自分にとって幸せな国を求めて歩みを進める。その道中、1羽の灰色の鳥が青年の頭上を横切ったが、青年が鳥に気付く事はない。その日彼が空を見上げる事はなかったのだから。

灰鳥 〜完〜

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