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( 思索の旅② ) イノベーションという言葉があふれている

イノベーションという言葉から生まれた “違和感” と、違和感から生まれた “想い” を書き記していく。

言葉から生まれた違和感

「安易に、イノベーションという言葉を使っていないだろうか。」
「イノベーションという言葉を、目に耳にしない日がどれくらいあるだろうか。」

イノベーションという言葉を、よく目にするから、よく耳にするから、よく口にするから、気になっていたのかもしれない。毎日どこかで目にし、耳にし、口にする、「イノベーションを起こせ」と「イノベーションが必要だ」と。これらの言葉にふれる度に、変な感覚があった。

「イノベーションは、日々起こるようなものだろうか。」
「イノベーションは、身近に在るものだろうか。」

私も半年前までは、イノベーションという言葉を安易によく使っていた。ビジネスにおける共通言語であり、挨拶のように使い使われている。中には、言葉の意味などを深く考えずに使っている人もいる。まるで最新の服を着るかのように使っている人もいる。言葉を使うことが、おしゃれでかっこいいかのように。

違和感が意識の水面に浮き上がると、違和感があふれだした。違和感の波が起こり、その波の上に立つと、揺れから頭が混乱していった。しかし、違和感の波にうまく合わせることで落ち着き、いろいろなものがみえてきた。
みえていなかった/みていなかったものが、目の前に何度も顕れてみえた。みえたものから目をそらすこと/つぶることは、私にはできない。いつの間にか、みえたものの奥に在る何かに、好奇心がわいてきた。知りたいという知識欲が強烈に襲いかかってきた。

「イノベーションという言葉が、私たちの周りにあふれていないだろうか。」
「イノベーションを起こすことが、当たり前のようになっていないだろうか。」

イノベーションを起こすことは難しいにも関わらず、言葉を使うことで起こせるような気になってくる。イノベーションではないものまで、イノベーションだと声高に叫んでしまう。安易に誰でも使うから、イノベーションという言葉が軽くなってしまう。
イノベーションとつければ何かすごいことをしたかのような、錯覚すら起こす。いつしか、耳障りな薄っぺらい言葉に聞こえ始めた。

言葉があふれることが、いいのかよくないのかは正直わからない。いい面もよくない面も両方あるから、安易に判断はできない。いや、安易に判断してはいけない。判断すればその先を探ろうとしなくなるから。

違和感から生まれた想い

イノベーションは安易に誰にでも起こせるものではない。そう思いつつ、別の想いがある。誰でも起こせるイノベーションがあってもいい。“誰でもイノベーター” になれば、社会は、未来はきっとよくなるから。

違和感から生まれたジレンマのエネルギーと、好奇心から生まれた探究心のエネルギーが、私の内側にあふれだした。あふれつづける二つのエネルギーがぶつかり合って、一般的に考えられるイノベーションと異なる “これからの社会に求められるイノベーション” を考えてみたいと、スイッチが入った。私は天の邪鬼だから、人と違う何かを探したいだけかもしれないが。

二つの間を行き来しながら、その向こうに在る(なぜか在ると確信していた)何かに辿り着きたいと強烈に想い、思索の旅を始めた。この旅は、いろいろな景色(前に通った景色や昔みた記憶のある景色など)と出会う旅だった。

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