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評価に対するパラダイムシフト

マネジメント1.0の達成状況という目に見えてわかる評価に比べ、
 マネジメント2.0の評価の対象や方法は非常に曖昧でわかりにくい。

マネジメント1.0と2.0の評価の違いをわかりやすく喩えれば、
 定量評価と定性評価の違いのようなもの。
 
少し考えればわかることと、じっくり考えなければわからないこと。
ある程度の答えが用意されているものと、答えが用意されていないこと。
そしてこの用意されていない答えは、情報を読んだ人の内にある。
 
マネジメント2.0の評価では、目安となる基準値を設けず、
 後述するように評価指標や測り方も決まってはいない、
 いや正しくは決めない。
 
決めない理由はいろいろあるが、大きな理由に、
 評価指標や測り方などを決めていくプロセスにこそ、
 大きな意味があるから。
 
ただし、今現在の社会を見渡すと、面倒で難しいことかもしれない。
多くの人は、
 ルールを決めてくれ、ルールがないから守れないと強く主張する。
 
また、具体的でなく抽象的すぎてよくわからないかもしれない。
しかし、この抽象的でわかりにくいことにこそ、
 個性のある会社の価値を顕すことができる。
 
そしてこれからの時代は、抽象さの内に価値を見出していく。
 
今までのマネジメントは、わかりやすさをひたすら追い求めてきた。
余分な、無意味な仕事は〝ムダ〟の一言で片づけ、
 時には、仕事だけでなく人までも削ってきた。
 
(その人がそう思う)ムダな仕事をいかに削減したか、
 どれくらい削減したかという、
 削減実績や削減効果が評価の対象となった。
 
仕事以外にも説明などでも、
 端的に要点だけを伝えることを強く求められる。
説明も、一分でとか、一枚でとか、一センテンスでとか、
 〝短さ〟をひたすら求められる。
 
補足説明をしようとするなら、聞かれたことだけ答えろと一蹴される。
補足説明さえ、ムダだと。
 
そう、いつからか、短さとわかりやすさを同一視するようになった。
効率性や生産性を求め過ぎた結果が、ここにも表れている。
 
言葉などを削ることで、
 言葉の含みであり膨らみでもあった〝余白〟を失った。
結果、会社は空虚で無機質な文化に取って代わり、
 息苦しさが会社や社会を覆い尽くすようになった。
 
何よりも、必要な情報まで削ったことで、会社のことがわからなくなった。
そう、短さを求め過ぎるとかえって、全体がわからなくなる。
わかっていると思い込んでいることは、ごくごく一部だけにすぎない。

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