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死は怖くない

「死」とは恐ろしいものだと、今生きている人間からするとそう思うだろう。

私自身、死とはどういうものなのか。死んだらどうなるのか。全く分からない。

しかし私は「死」は怖いものではないと思うのだ。

なぜかというと、生きていることがこんなにもつらいからである。

生きていることとは、様々なことを考えて、様々な感覚を受けて、様々な感傷を受ける。これほどまでに多くの犠牲、傷、処理、思考はもはや生物としてキャパオーバーしているのではないかと思う。

人間は特に、脳が大きくなりすぎて余計なことまで考えるし、二足歩行になったせいで余計な身体的負荷も増えている。

こんなにも「苦」に向かっていった人間である私たちは、今、とても苦しみながら生きているだろう。

それに比べれば「死」はどうだろうか。

何もない。何も感じない。無。

人によってはこの「無」が怖いのかもしれないが、ごちゃごちゃと傷を負い続ける今の「生きている時間」にくらべれば比較にならないほど「楽」ではないだろうか。

仏教では死後の理想郷として「極楽浄土」がいわれている。たとえそんな世界があったとしても、「理想郷」なのである。物を食べることもなく、空腹もなく、痛みもなく、憎しみもない。まさに感覚的に言えば「無」の世界なのである。

要は、昔から人間はわかっているのだ。

「今生きている」ことは、多くの感傷、傷を負って苦しい状態にあると。だからこそ神に救いを求めるし、死後の世界に理想を求めるのだ。その理想とはまさに「痛みの”無い”」「苦しみの”無い”」「憎しみの”無い”」「飢えの”無い”」「争いの”無い”」世界なのである。

そう考えれば、現実的な「死」も、「無」になるということは、人々が古くから求めてきた「苦しみの”無い”」状態になりうるということなのである。

だからこそ、「死」は最後の救いともされている。

「死」とは恐れるものではない。

「死」とは救いだ。

今まで多くの人が死んでゆき、多くの人がこの世の苦しみから、苦しみの無い状態へと成り、救われてきたのだ。

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