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これまでの仕事とその時の心境を振り返る


はじめに

前回は余談だけで終わってしまいましたが、本来は今抱えているモヤモヤを言語化したくてnoteを書き始めました。
それは仕事に関するモヤモヤなのですが、書き出してみたもののまだうまく書けなかったので、今回はその前段として、私がこれまでやってきた仕事と、その時の心境を振り返って書き記していこうと思います。

1年目(2020年)

私は機械系の大学、大学院を出た後、2020年に某メーカーに就職しました。
最初は生産技術開発の部署に配属され、製品の原価低減のための開発テーマ探索と、先行プロジェクトのSE(サイマルテニアス・エンジニアリング)を半年ほどやりました。
チャレンジングな新規プロジェクトだったこともあり、残念ながら、最終的にはどちらも実を結ぶことなく終わってしまいましたが、
・製品の原価がどのようにして決まっているのか
・企画〜開発〜設計〜生産準備〜量産という一連の流れがどのように遷移していくのか
などの一端を知ることができ、非常に学びになりました。

ただ、当時指導をしてくれていた先輩がかなり保守的な考え方の人で、とりあえずで色々やってみたい派の私とはソリが合わずに、よく衝突してしまっていました。

2年目(2021年)

翌年、組織再編で別の部署に統合されたのを機に、私は別のグループに異動になり、生産設備開発という新たな業務に携わることになりました。
部内で1ヶ月ほどCADの教育を受けた後、早速、自分の担当工程を持たせてもらい、0から設備設計を行いました。

設備開発の進め方
(個人的な経験に基づくもので、世の中一般的なものではないです)
①工程の要件を満足するような設備の要件を定義し、設備をラフに構想
②確認のための簡単な手治具を自分で設計・製作
③評価実施し、うまくいくことを確認
④評価用の小規模な設備を設計・製作
⑤評価実施し、課題抽出
⑥評価機を改造し、試作用設備実機へ織り込み

という一連の流れを経験しました。
その後、試作フェーズ移行の際に工程自体が廃止になり、これまた実を結ぶことはなく終わってしまいましたが、この一連の流れを経験できたことは非常に大きな学びになりましたし、この時は純粋に仕事が楽しかったです。
ソリが合わない先輩から離れて、のびのびと仕事できていたのも楽しかった要因の一つかもしれませんが、長期的に見るとこれが良かったのかどうかは何とも言えません。

3年目(2022年)

この年の初め、試作開始前の準備をしていた頃はうまくいかずに少しメンタルを崩しかけていましたが、3月から3ヶ月間、実習も兼ねての工場応援に行くことになり、そこでリセットされました。
工場応援では、週ごとに日勤・夜勤を交互に行う連続2交代制の勤務形態で実際に生産ラインに入り、自分の手を動かして製品を組み立てていきました。
初めは慣れない生活に戸惑っていたのと、現場のリーダーが怖い人だったのとで、かなり苦戦しましたが、1ヶ月ほど経ったら身体が慣れてきたのと、偶然そのリーダーが異動になったのとで、かなり快適になり、2ヶ月からは毎日楽しかったです。
この時、何が良かったのかを以下に振り返ってみました。

・1日の生産台数が決まっていて、それが終わったらその日の仕事は終わり、というのがシンプルでわかりやすく、毎日後悔なく達成感が得られた
・実際にお客様の手に渡る製品を自分の手で組み立てるため、意義、やり甲斐を感じられた
・肉体労働で身体が疲れるため、夜はぐっすり眠ることができた
・慣れたら無心でやれるため、考え事ができる(今週末は何をしようかなとか、この前観た映画こういうところが良かったなとか)
このあたりに、自分がどんな仕事に向いているのかのヒントがあるような気がするので、いつか改めて考えてみようと思います。

楽しい日々は終わりを迎え、6月に工場から元部署に帰ってきてからは、別の工程を先輩から引き継いで担当することになりした。
日程的には余裕がある業務でしたが、引き継ぎの引き継ぎで私が3人目の担当者ということもあり、複雑で覚えることが多く、かなり苦戦しました。
その最中の8月にコロナに罹って一時戦線離脱しつつも、年末まで何とか最低限はやりきりましたが、正直、面白味を感じられず、主体性が持てないまま業務に当たっていました。

また、11月辺りからは、翌年の年始に異動する別の先輩の業務の引き継ぎも並行して行うことになりました。
今までは基本的には一つのことに集中して取り組めていましたが、この辺りから、細々としたタスクを同時並行で抱えることが定常化するようになりました。
タスクを複数抱えていると、
・頭の切り替えに苦労し、疲れる
・優先順位付けに悩む
・一つ一つに集中できない
→思うように業務を進められない
と、非常にストレスを感じるようになりました。

4年目(2023年)

年始、試作用の新たな設備を立ち上げるというビッグイベントがあり、そこでのトラブル対応を主担当としてやっていきました。
自分も一部は設計に関わりましたが、ほとんどは先輩たちが設計した設備だったということもあり、トラブルが起きてもどうすれば良いか分からないことだらけで、苦戦しまくっていました。

そんな中、長時間残業が続いていた3月中旬のある水曜日の朝、疲労の蓄積によりベッドから動けなくなり、会社を休みました。
休んだら徐々に疲労は回復しましたが、反比例するかのように精神は病んでいき、そのまま木曜、金曜も休んでしまいました。
上司からの励ましもあって翌月曜は何とか出社でき、そこで業務量の調整をしてもらい、ひとまず復活できました。

4〜9月は、上記の試作業務から離れて、日程的には比較的余裕のある開発業務をメインで持たせてもらいました。
対象の工程は異なりますが、種類としては2年目にやっていた業務に近く、こちらも評価用の設備を新たに1台設計・製作しました。
しかし、1人でのびのびとやっていた2年目とは違って今回は関係者が多く、合意形成のために根回ししたり、計画変更の度に関係者へ通達、謝罪したりというのが大変で、業務の本質的じゃない部分で時間と体力を奪われていました。
そしてその間、
忙しくなる→体調を崩す→業務量調整で復活→忙しくなる→体調を崩す…
というループを何度か繰り返しながら、何とか設備を立ち上げました。

この年の年末には、若手が必ず通る関門のような報告会があり、それに向けて10月頃から先輩と二人三脚で資料を作り込んでいく、ということをやっていきました。
振り返ってみると、今までで最も長時間残業をして、身体的には苦しい期間でしたが、精神的には大丈夫でした。
優しくて頼りになる先輩が一緒だったことと、今はとにかくこれをやれ!という感じで余計なことを考えなくて良かったのが大きいと思います。

5年目(2024年)

年末の報告会を乗り越えて平穏な日々を過ごせるかと思いきや、メインの開発業務の方で抱えている課題が山積みで、いよいよペースを上げていかないとまずいぞ、という風になっていきました。
正直、日程に追われて事前の検討が不十分なまま、見切り発車で設備を立ち上げてしまったということもあり、上記の「設備開発の進め方」で言うと⑤から②に後戻りするような形で、試行錯誤していきました。
開発業務のため、正解が無い、うまくいくかも分からない中で自分なりに考えながら進めていましたが、周りから否定されることも多く、苦戦していました。

デジャヴのようですが、長時間残業が続いていた2月中旬のある木曜日の朝、疲労の蓄積によりベッドから動けなくなり、会社を休みました。
この時も同様に、休んだら徐々に疲労は回復しましたが、反比例するかのように精神は病んでいき、そのまま金曜、翌月曜も会社に行けませんでした。
このままではまずいと思い、藁にもすがる思いでメンタルクリニックを受診したところ、「抑うつ状態」と診断され、3月末までの休職を勧められ、現在に至ります。

まとめ、現在の心境

かなり長文になってしまいましたが、自分に正直な言葉で書き出せて、頭が整理されたような、スッキリした気持ちになりました。
また、こうして振り返ると、不器用ながらも、これまで色々とよく頑張ってきたなあ、と自分を肯定できるような気持ちにもなりました。
この記事を呼び水として、次回こそモヤモヤをうまく言語化できたら良いなあと思います(遠い目)。

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