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生きる

鈴木君代さんの語り・歌声をいただいた。


命は長ければ良い
短かったら...というものではない
どう生きるかということ

自分が生きている身だと
亡くなった方のことを案じ
悲しいさみしい忘れないと思いがちだが
亡くなられた方は仏さま
彼らはそのようなことを望んではいない


あなたらしく生きてください

あなたはあなたの花を咲かせてください

自分の命を生きてください



大丈夫?それでいいの?
亡くなられた方の方が、
生きとし生きている私たちのことを案じておられますよ...

生きていると悩み苦しむことばかり
悩みばかりではあるがこれが生きるということ


うん

とぶらう
たづねる

とても印象に残ったお話は、彼女のお友達が亡くなられたお話
寿命で亡くなったのでなく自分で命を絶ったとのこと
首にかかった縄を解いたのは、一番最初に見つけた....
中学生の息子さんという...お話
自分のお母さんがいないいないと探して探して...

理由はわからないが
色々あったのだろうと


わたしの祖母も亡くなって数年経つ
その時とても不思議だったのだが
悲しいという気持ちがなかったのだ
長生きだったという事もあるのだろう
ちょうど田植えの時期に近く
親族、特に娘たちは冗談も交えていたのだろうが
「おじいさん、来週田植えだから。まだだめ、まだだめよ〜」
などと話しかけていた。

ちょうど田植えが一旦終わった時に、亡くなったのだ。
「おじいさん、ありがとう!!」
そんな事を言っていた。

不思議と悲しさはあるのだけれども、
なんというかすがすがしい悲しさというのかな
ご近所さん・親族・孫たち・ひ孫もちらほら....。

亡くなる命があれば生まれる命がある
本当にそうですよね

今年亡くなった方
今年生まれた方

自分のいのちも
いつ生まれるか
いつ亡くなるか

どこから来て
どこへ行くのか

それはもちろん
科学的根拠を元に考えてしまえば
母親と父親がいて
卵子と精子が...みたいな話になってしまう

生きるということは
科学的・論理的にはなかなか解決できないことがある

つい先日もそんな話を友達とした
恋愛って...説明できないものだよね...と

彼女の歌声は会場はもちろんのこと
わたしの胸の中にとても響いた

からだの中にある
人としての本能の部分というか
その奥深い部分にがっしり握手された感じがあった

歌声の響きに知らないうちにこころの扉を開いていた
そんな感想がいいかなと、思いました


あなたもわたしも
じぶんのいのち
精一杯
生きましょう

精一杯というとがむしゃらに根性論という方向に
感じてしまう方もいるかと思いますがそうじゃない

活動的な時には活動的に
静観している時には静観している状態で
精一杯 日々を生きましょう♪

では、シュワッチ!

#いのち #生きる #精一杯 #あなたの花 #長生き #生き方 #お寺


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