連休の集合住宅。 お天気もいいし、みんな、どこかへ行っちゃった。 わたしは、いつも通り。 本を読んだり、レコード聞いたり。 窓から見える花。 二つ下の階では、お留守番のねこが、あくびしている。
冬が終わりを告げ、世界中に色が溢れています。 なのに、ドレミの服はモノトーン。 世界との間に見えない壁があるような気がして、 ドレミの心は暗く沈みました。 そこへ、ファソラ姉さんがやって来ました。 「何だか元気がないように見えるけど、どうしたの?」 「世界はこんなにも鮮やかな色に満ちているのに、 色のない世界にいる事が悲しいの。」 いつのまにか、シド兄さんも来て 「ドレミが悲しいと、ぼくまで悲しい気持ち
片岡義男の本には、季節の移ろいを楽しむ描写が数多くある。 桜についての文章も多いが「and I Love Her」の中の文章(下記に引用)は、桜が散る季節になると思い出される。
以前も記事にした(うちの桜)。 本州では、とっくに終わっている桜ですが、 北の大地にある我が家の桜は、今が見ごろです。 横に広がらずに、縦に長ーく伸びた桜。 二階の窓からもよく見えます。 この桜の夜の様子が好きです。 夜の闇に、白く浮かび上がる姿が幽玄で美しいのです。 根っからのインドア派で、外に出て花見などはしないのですが、この記事を書くにあたって、うちの桜に敬意を表して外で眺めてきました。いつもは見下ろしている桜ですが、外で見る時は逆に見上げる格好になります。蜂が
タイトルは軽やかだが、オシャレでも何でもない、お仏壇のお花のこと。 2月に家族を亡くして、今、お仏壇のお花のお世話が 朝の仕事になっている。 毎日お花を買うわけにはいかないので、萎れたお花や葉っぱを取り除いたり、お水を代えたり、茎を短く切って、お花が水を吸い上げやすいようにしたりして、朝、メンテナンスする。 その後、よりよい形に生け直す。最低でも30分くらいはかかる。 平日の朝は、ご飯の支度もあり、 出勤もしなくてはな
はっと目を覚ます。 ああ、今日は休日だった。 しかも連休の始まり。 通常通りの土日なら、こんな気持ちにはならないのだが、 連休への期待が大きすぎて、逆に不安になるのだ。 (いいんだよ。ここらで一息ついたって、バチは当たらないよ。) 猫が大きくあくびして、そう言っている。 (そうそう。そうだよ。) 小鳥も電線の上で、うなずいている。
「わたしの ワンピース」 にしまきかやこさんの名作絵本です。 私もワンピースで遊んでみました。 言葉のワンピース。
「わたしの ワンピース」 にしまきかやこさんの名作絵本です。 私もワンピースで遊んでみました。 うさぎがワンピースを着ている所は、絵本と同じ。 私は手持ちの千代紙をワンピースにしてみました。 色や柄が楽しいです。
「わたしのワンピース」にしまきかやこさんの名作絵本です。 私もワンピースで遊んでみました。 うさぎさん が ワンピースを 着ています。 「うさぎ」と 三角形みたいなワンピースの形は同じ。 ワンピースの色柄は同じ。 でも、背景の色を変えると、雰囲気が違って見えます。
『サザエさん』のフネさんタイプ。 和服に割烹着。洗濯機も電子レンジも紙おむつもない時代のお母さん。 『サザエさん』や、ちびまる子ちゃんのお母さんタイプ。 共通点はパーマ。サンダルを履いて、籠を持ってお買い物。 『クレヨンしんちゃん』のお母さんタイプ。若々しい。おしゃれ。パンツスタイルで颯爽と。しんちゃんは、お母さんのことを「かあちゃん」と呼ぶけれど「みさえ」と名前で呼ぶことがある。ポニョの宗介も、お母さんのことを「リサ」と呼んでいた。「母」とか「主婦」とか役割
母の日が近い、ということで(おかあさん ありがとう)以外の言葉 はないものか、と下記の記事でつぶやきました。 それについて、こんなことを思いつきました。 言葉で表現されずに貯めこまれた気持ちを特別な日に伝える というコンセプトです。
昨日、母の話を書いて、挿絵に使った自分の紙工作を見ると、『崖の上のポニョ』の母子に何となく似ているなあと思った。ポニョは見たことがあるがストーリーは朧げである。でも、あのお母さんがパワフルで素敵だったというのは覚えている。グーグルで検索すると、こう書いてあった。 なるほど、リサというお名前だったのね。ジブリアニメに出てくる女性は可憐さと優しさと強さを持った人が多い。話が少しそれるけれど、デイケアのおばあちゃんたちも可愛くて好き。現実世界はなかなかこうはいかないがアニメの
今年も母の日が巡ってくる。 私の母は健在なので、何をしようかと考えている。 (あと何度会えるだろうか?) そんなことも考えるようになった。 父が逝ってしまった年の、母の落胆ぶりといったらなかった。 今まで(親)だと思ってきた人が、初めて弱さもある 等身大の人として認識が変わった。 小さいころは「ママ」。 小学校の中学年頃からは、周りのお友達がママと言っていないのに気づいて「お母さん」と呼ぶようになった。 今、私の携帯