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記憶の引き出しの整理は、こころを浄化させてくれる

嫌な思い出が多い。
嫌な思い出は、忘れない。

人間は忘れる生き物なのに、楽しい記憶より嫌な記憶のほうがずっと残っているのはなぜだろう。

自分にとって、いい出来事があったときは、上や前を向くことが多い。
楽しい記憶は、「よかった~」とか「嬉しい~」とか、「楽しい~」とか、優しい気持ちに包んで解き放つ。

自分にとって、嫌な出来事があったときは、下や後ろを向くことが多い。
嫌な記憶は、考えたくないし、見たくもないから、「記憶」という引き出しにしまい込む。
そして、ことあるごとに、その引き出しを開けてはまた痛みを感じ、下を向く。
開けるつもりがなくても、また嫌な記憶を放り込むときに、見えてしまう。
みんな、一つや二つ、そんな引き出しを持っている。

現代は、様々な情報が次々と出て、たくさんの言葉があふれている。
とてもついていけないほど、日々、新しい言葉を見聞きしては、忘れていく。
でも、自分の名前、住所、好きな曲、友だちのこと、朝起きてからすること、学校までの道順、とか、すぐに言えるし思い出せるのはなぜなのか。
そして、忘れようとした記憶ほど強く残るのはなぜなのか。

人は、繰り返し繰り返し使っている言葉や、記憶を定着させている。
勉強も、何度も繰り返しやれば覚える原理と同じだが、自分の名前などは、無意識に、繰り返し取り出されている記憶だ。
忘れたいと強く願った記憶も、実は何度も繰り返し思い出している。

私は、嫌な思い出が多い。
多い少ないは、あくまでも自分基準だが、引き出しが溢れかえって、はみ出してしまっている。

ぎゅうぎゅうに押し込められた嫌な記憶を整理しよう。
引き出しの中の、見たくもない、思い出したくもない記憶を、一つひとつ取り出し、太陽にあてたら、その悪臭もとれるかもしれない。
そう思って、書き始めた、この note。

私の引き出しは、古くなってなかなか開かないところもあるが、いま、少し風が通り始めた気がしている。

カタルシスにつながっているのかもしれない。
このままのんびりと、引き出しの整理を続けていこう。
ほんのわずかだけど、優しくなれる気がするから。

ありがとう。


ありがとうございます。優しさに触れられて嬉しいです。頑張って生きていきます。