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3月は、1996年度のまとめの時期でもある その7 焼き物工作、本焼きへ

《3月13日(水)》 素焼きを電気窯へ

 社会教育課の軽トラに積んで 、子どもたちの素焼きの作品を電気釜のある地域の自治会館に持っていった。移動中に倒れて、カップが少し壊れてしまって申し訳ないことをした。軽トラで 素焼きを持っていくのは、大変 難しい。いい方法はないのか?荷台に並べただけでは、だめだ。

 この3月で学童 辞めていく 5人の4年生と、退職して 隣の市の職員になる野坂先生にみんなで色紙を書いた。結構、色々書いていて面白かった。素直に気持ちを書くと、いい色紙ができる。

 その後、みんなで 《好きなもの遊び》をしたが、それぞれの遊びを、辞めていくリーダーに担当してもらった。彼らが上手にリードしてくれるので、どの遊びも 先生の出番はなかった。ニコニコ笑って見ているだけだった。
 こんなときが、先生として一番幸せだ。

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《3月14日(木)》 焼き物、焼き上がる

 本焼きが、出来上がったと自治会館から連絡があった。朝から、軽トラで取りに行く。 電気釜を開けたら、まだ触れないくらい熱かった。軍手を持ってきて良かった。
 皆、いい出来。萩と志野は、貫入(釉薬のヒビ)が入るものもあった。バナナの 釉薬が濃くつき過ぎたみたいだ。色が、少し飛んでしまっていた。やはり、釉薬は難しい。

 辞める子の別れ会は、『風船バレーボール』を 班対抗できすることが話し合いで決定した。時間が余ったら、 益田君の意見で本気の『 探偵ごっこ』もすることにも決まった。

 話し合いのあと。まだ時間があったので、久しぶりに2重Sケンをすることになった。久しぶりだったので、始まりの「 戦闘開始 どん」と言う 代わりに、関所鬼の始まりで使う「 よーい、スタート」 と言ってりる子がいた。中には、「よーい、 開始 どん」という子もいた。

 子どもは、忘れやすいものだ。卒所したら。学童保育のことも忘れてしまうのだろうか?

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『学童保育のことを忘れる』

 私はその後学童保育から転勤になって、障害者通園施設を経て教育委員会の発達相談係になった。その頃、東海、清、草間、ナナちゃんの学年が同窓会を開いてくれた。
 その時、細かいエピソードがいっぱい出てきて嬉しかった。「結構、覚えてくれているんだね」と言ったら「影響、受けてますよ」と言われた。それを聞きながら「本当は、あなた達自身が、自分で頑張ったんだけどね」と心で思った。

 上杉さんは、個人的に教育委員会に訪ねて来てくれた。随分、探してくれたらしい。
 「これから、エステティシャンになるためにパリに留学するので、その前にやまと先生に会いたかった。先生に習ったことが、私を今の私にしてくれた。ありがとうございます。」と言ってくれた。

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