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『悪』は期待の裏返し



- 世の中に絶対的の
 悪といふものはない。
 悪はいつも抽象的に物の
 一面を見て全貌を知らず、
 一方に偏して全体の統一に
 反する所に現はれるのである。

 悪がなければ善もない。
 悪は実在の成立に
 必要なる要素である。


  (西田幾多郎 「善の研究」)




人のなかには、
『元々人間は善である』という人と
『元々人間は悪である』という人がいます。

これを【性善説】と【性悪説】と言います。



「どちらが本当の説なのか?」は
この世にいるすべての人の数だけ
答えがございますよね。


そのすべての内の一人の私は、
『性善説』だと思っています。

いや、思いたいです。

人は本来みんな『善』である
と思いたいのです。



ですが、
この私の「期待」が
「悪」を生む事にもなります。


「悪」は本来存在せず
「悪」は人の期待が外れた時に
存在すると思います。



例えば、
手にとった商品に欠陥があったとして
返品交換をしてもらう際に
その欠陥は「悪」と捉えられます。

それは当人の中で
「この商品は完全で完璧なものだ」
という期待と解釈があるからです。



他にも人間関係において
友人や恋人の違う一面を見たときに
「嫌だ」とか「悪い部分を見た」と
思うこともあるかと思います。

それも当人が相手に対して
「この人はこういう人だ」と期待を込めた
人物像を描いており、

その期待が外れた際に
「嫌悪」が生まれます。


嫌悪された側からすると、
その人は何も悪を持ち合わせていないのです。

ただ人によっては
「悪」と見なされる
個性を持っていただけなのです。




- 一つのものが
 同時に善であったり悪であったり、
 そのいずれでもなかったり
 することがある。

 例えば、
 音楽は憂鬱な人には善であるが、
 喪に服している人には悪であり、
 耳の聞こえない人にとっては、
  善でもなく悪でもないものである。


 (スピノザ 「エチカ」)




自分が「悪」と思うとき
そこには何かしらの「期待」があるなぁ
と思いました。


『期待』を辞書で引くと
「何らかのことが実現するだろう」と
望みつつ待つこと。
また、当てにして待つこと

と記してあります。



人やものに期待しない。


そう生きれたらとても楽なのですが、
「期待」って可愛いものだなとも
思います。


期待するとき、
そこには未来があるからです。


みなさんきっと過去には
期待しませんよね?
期待できませんよね?


だから、
未来に期待があっても
過去には期待がありません。


すると、
過去には悪があっても
未来に悪があるかはわからない
という事にもなるのではないでしょうか?


人が期待するとき、
そしてその期待から外れたときに
「悪」という解釈が生まれるならば。




期待するとき、
そこには未来があると
思っている。


私たちは常にちゃんと
未来を見ているのです。

たとえどんな絶望があっても
期待を入り口に未来を描いています。



そう思うと期待も使いようですね。


外側の出来事に期待せず、
自身の出来る事、可能性に期待する。


そうして自分という未来を
期待できたらいいと思います。


その期待が期待外れでも
それはきっと「悪(過去)」
にはならないはずです。

個性という一面として受け入れ、
共に人生を歩んで頂けたらと思います。




お話が少し冒頭とは逸れましたが、
「期待」の使いようを
改めて見つめてみてくださいね。 










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