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9月4日『どこから行っても遠い町』

 川上弘美さんの「どこから行っても遠い町」という本を読んだ。場末のとある古本屋で見つけたとき、その不思議でノスタルジックなタイトルに惹かれて即購入したのが先月の中旬頃の話。内容はオムニバス形式の小説だったので、休日に1軒の喫茶店でひとつの章を読んではまた次のお店に行って...。という感じで、楽しみながら少しずつ読んだりした。

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 舞台はとある町。登場人物はそこに住むさまざまなキャラクターで、例えば社内恋愛をする塾講師、しがないOL、妻子がいながら不倫をするサラリーマン、などなど。11つの短編の登場人物に加えて、さらに関連する登場人物がたくさんいる。
 一見すると多数の人間によって複雑な人間関係が構築されているようにも思えるが、ひとつの短編に出てきた人物が違う短編ではちょっとした脇役として出てきたり、あるいは重要なキーパーソンであったりと、複雑まではいかないながらも物語の端々に時々顔を出し、それが少し奇妙な風に物語を彩っている。
 ひとつの話のあのシーンが、別の話の中で違う視点で描かれていたり、また違った形で登場する。気になってページを巻き戻して該当シーンを読み返してみたりすると、この場面のときにあの人はこんな心情だったのか...と考える。すると、なんてことない平面の場面が多角的に見えるようになり、ワンシーンの中に多くの人の思惑がうずまく立体的な場面へと変化していく。

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 自分もとある町の中のひとりの登場人物にすぎない。私が住むこの町は、おしなべて特記するに値しないような、なんてことない田舎町。私から見ても、同じ町の住民はただのNPCのようにしか思えない。特別なアクションもなければ、会話イベントもない、住民たちはこの町を構成している多くの要素のひとつだ。それでも、その人たちひとりひとりには友人たちがいて家族がいて、人生があってドラマがあって、ただ私と関わることがないという点だけを除いては、当然ながら同じ人間である。

 人間が一生の中で出会う人間の数は約3万人だとされているらしい。イマイチ実感が湧かないものの、アーティストのドームワンマンツアーの観客全員だと考えてみると確かに多い。
 私はまだまだ20代の若輩者なので、その数はおそらくまだ5000人にも満たないのではないだろうか。一生を通して仮に3万人の人に出会えたとして、私はその中の何人の人間と深い関係になれるか、その人たちの生き様を知ることができるだろうか。その人が歩んできた壮大な人生ドラマの深いところまで知ることの無いまま、私はすれ違ってしまう。知らなければその人は所詮ただの知人Bに過ぎない。だがあえて知りたいとも思わない。人と人との営みなんてそんなものであると思う。

 しかし人間として生きていく上では、人と人との営みは避けて通ることが出来ない。たとえば働くということは人と人との営みを行うことであり、またその営みを享受することで私たちの生活は彩られるからだ。
 その過程で、もしかしたら、私はある人間と深い関係を築くことになり、そしてもしかしたらその人は私が死ぬまで、そばにいることになる人かもしれない。

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 さて、私はこれまで20何年、なんとなく生きてきた。なんとなく生きてきて、気づいたら一人暮らしをしていて、交際してる女性がいて、仕事をしていて、家族は健康そのもので、新幹線の車窓から風景を眺めて、美味しいご飯をたくさん食べて、そして生きている。
 特に厳しいアップダウンもなく、際立った不幸もなく、血の滲むような経験もした覚えもない。この歳で人生を語るのはあまりにも滑稽かもしれないのだが、なんとも惰性という言葉がよく似合う。与えられた環境の中でなんとか苦労もせずに上手くやってきた。努力は嫌いだ。そのやり方がわからないからだ。

 何故突然こんなことを書いたかというと、この「どこから行っても遠い町」の登場人物の多くが、自分と同じように極めて起伏のない人生を歩んでいたり、猛々しく熱を帯びたような人物では決してないから。どこか冷めていて、それでいて大いに不幸ではなくて。なんというか、これも成文化するのが難しい。
 
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 私は今まで生きてきた中で、私によく似た人間(外見や趣向とかではなく、生き様や人生ドラマなどの点)に出会ったことがない。
 ただ単に無気力なだけの人間や、努力嫌いなだけの人間は今まで何度か出会ったことがあるが、それらは私とは似ても似つかない。そんな簡単な話ではなくて、もっと深い内面の話や置かれている環境だとか、持って生まれた能力とか地頭の程度とか。これも成文化するのがとても難しいのだが...、いやでも考えてみれば私とよく似た人間がいたとしても気持ちが悪いだけだ。同族嫌悪ってやつ。自分に似たヤツと深い内面の話や歩んできた環境の話なんかで盛り上がりたくはない、かなり、気色悪いので。

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 この小説の中に登場する人間は皆、私と似通っている部分のある人間が多い。でも決して完全に一致はしていない、それこそ完全に一致してしまったら、この小説のタイトルにある"どこから行っても遠い"町ではなくなってしまう気がするのだ。どこかにいそうで、どこにもいなくて。そういった曖昧なものを、このタイトルは的確に表現していると思う。
 それにしても皮肉な話だ。自分とよく似た人間ほど身近にいてほしくない。どこか知らない町に、そんな人がもしかしたらいるのだろうけど、会うことは無いだろうし会いたくもない。偶然どこかの町で出会っても、その人は私の中の3万人のうちのひとり、NPCに過ぎないから。

 どこから行っても遠い町に、私とよく似た人間が生活を営んでいる。人生なんてそんなもんじゃないかな。


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