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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑫ [ラマダーン初日]】

皆さんこんにちは。

前回の投稿はこちらからお願いいたします。

5月6日からラマダーンが始まりました。
そのため、ムスリム(イスラーム教徒)は一ヶ月間、飲食、喫煙、性交などの行為を日の出から日没までの間はできなくなります。
ただし、老人や病人、旅行者、幼児、妊婦などはこれらを免除され、ラマダーン月に断食できない人は、後日断食をするか、貧しい人に施しをすることで断食に変えることができます。
そもそも、断食には神の恵みへの感謝を新たにするとともに、欲に打ち勝ち、精神力を養うという意義もあります。
そして、日没後の断食を解く夜の食事を「イフタール」といい、今日ではこれが家族団らんの楽しみとなっています。この一ヶ月間は食事が豪勢になることから、普段よりも食費がかかるといわれています。

ラマダーン初日、私はバカアの地で終日活動していましたので、その日のレポートをまとめていきます。

【2019年5月6日(月)】

以前からムハンマドさんからこの日は予定を空けておくように言われていた。ラマダーン初日に学校でイベントがあり、その後に子ども、職員全員で断食後の食事「イフタール」を共にするためだ。

7:50頃にバカアのバス停でムハンマドさん、彼の友人のマフムードさん、息子のマフムードと合流し、学校へと向かう。
聞くところによるとこの日のイベントは、学校を支援している台湾のボランティア団体(ツチ)の人達が企画したものらしい。彼らとは既に何度か顔を合わせたことがある。

最初に、台湾のボランティア主導でペインティングの活動を行った。私はその間、ボランティアのボランティアとして英語→アラビア語の通訳をしつつ、子ども達の活動を見守っていた。

(ペインティングのアクティビティ)


そして次に、ボランティア達はお手製の衣装を身に纏って、台湾の伝統舞踊を披露した。学校関係者も衣装を着せられ、子どもも職員も一緒になって体験会のような様相となった。

(1枚目:伝統舞踊の様子 2枚目:ムハンマドさんと私)

その後、ムハンマドさんがスポーツの催し物を行い、私とマフムードはそれを補助する形で参加した。

(一対一の綱引きで、チャンピオンを争った)

この日に来場したボランティアのなかで、大学在学中の4年間日本語を専攻していたという女性がいたため、ボランティア団体「ツチ」の概要を伺ってみた。
ボランティア団体「ツチ」は、ここバカアのシリア難民が通う学校へ資金面のサポートだけではなく、食糧、勉強道具などの支援を学校側と調整しながら行っているという。
そして、時々学校に訪れては今回のように伝統舞踊を披露したり、ペインティングなどのアクティビティを行ったりしている。以前マフムードさんから伺った時には、中国語の授業も時々行われていると話していた。

この団体の概要を伺ったあと、この日は台湾からのメディアも来ていたことから、日本人ボランティアである私も取材を受けることになった。
トータル20分ほどの取材で、「[ツチ]のこういった活動についてどう思ったか」「どういった経緯でヨルダンに来たのか」「ヨルダンの教育についてどう思うか、何が必要だと思うか」「将来どういった仕事をしたいか」などの質問を受けた。
今回の取材の内容は、ボランティアの広報や地元紙などで取り上げられることになるらしい。

昼過ぎに活動は終了したが、ラマダーン中で飲食ができないことに加え、この日の気温は32℃とここ最近で最も暑い日だったことから、大人も子どもも疲れが顔に表れていた。
そのため、子どもも職員も一度帰宅し、日没後の「イフタール」の際に再び集合する流れとなった。

ムハンマドさんは一旦自宅へ戻り、私はマフムードさん宅で休ませてもらえることになった。「気にせず寝ててもいいよ」と言われたためお言葉に甘えることにした。私自身も断食中のため疲れていた。

18:00過ぎ、身支度をして再び出発した。学校へ向かうのかと思っていたが、マフムードさんが運転する車は一棟の縦に長い建物の下で停まった。
尋ねてみると、その建物はシリア難民がまとまって住んでいるアパートメントで、ラマダーン期間中にはこの1階のエントランスのような場所を借り、「イフタール」をとるのが恒例なのだそうだ。
既に大勢の子どもが集まっており、食事を待ちわびていた。私達もそこに合流し、しばし職員間で会話をしていると、食事が会場へ運ばれてきた。

(断食明けで人数も多かったことから、大量の食事が瞬く間になくなる。これと同じものが反対側のテーブルにも用意されていた)

(炭水化物中心のメニュー。左の黒い食べ物はデーツ(ナツメヤシの実)で、ラマダーン期間中の食事の席には決まって用意される)


19:36、街中にアザーンが鳴り響く。食事が解禁され、特にこれといった合図や挨拶もなく皆一斉に食事を始める。会話をしながら食べる人、黙々と食べ進める人、あっという間に終わって遊び始める人、様々であった。
人数が多く、おかわりを求める人も少なくなかったことから、大量に用意していた食事も瞬く間になくなっていった。
食事が終わると、子ども達は敷地内で遊び始め、大人達は我慢していたであろう煙草を吸い始めたり会話に興じていたりした。

私は食事の後、学校の職員の一人にこの会について尋ねてみた。このラマダーン初日の「イフタール」は、毎年決まってここで開催されているという。また、アパートメントにはシリア難民の人達が住んでおり、ここの子ども達は皆、先ほど活動していた学校に登校している。子ども達のなかには父親を亡くし片親だけの世帯もあり、生活に困窮している家庭も少なくないと話していた。

(食事前の風景。すべての席に飲み物とデーツが置かれ、メインの食事は自分で取りに行くシステムであった)

時計は20:30を回り、私は帰りのバスの都合のためマフムードさんにバスの停留所まで車で送ってもらった。
道すがら、丘から見下ろした難民キャンプは無数の光で溢れていて、まるで昼間いた場所とは別世界のように思えた。
そして車内にて、来週再びバカアで「イフタール」に参加することが決まる。今回とはまた違った形のイベントが学校で開かれるらしい。

ラマダーン期間中は、ムスリムではない私も職場や活動先で飲食をすることが憚られ、体力的に厳しいこともあるが、アラブ圏における文化や習慣を身をもって知ることができている。

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