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アニメ「blue giant」を見て

 

 ジャズをテーマに据えたアニメ、「blue giant」を見た。これでも、主人公と同じテナーサックスを操っていた身としあれば、かっての青春の血が滾る思いであった。


 アニメの主人公とは違い、プロを目指す派手なステージではなかったが、僕とてそれなりの観客を前に主役を張ったこともあるのだ。

 思い出すだに、気持ちの良い瞬間であった。

 ロクな技術も理論も不在のくせに、ひたすら傲慢に構え、完全にコードを踏み外したデタラメを「アバンギャルド」という取って置きの呪文を以て韜晦し、キーを踊る指に、敢て煙草を挟み……約束のコーラスの倍のアドリブを披露したあと、ワザトラシい格好付けにプイと背中を向ける。
 それでも、アニメのシーンと同じく……声援を送ってくれる女子達を横目で意識して……いけねぇ、我ながら鼻持ちならなかったようである。

 しかし、確実に言えることはある。自らの感情を包み隠さず、音に置き換え……それがデタラメであったとしても、懸命に訴えようとしていた気概だけは持ち続けていたはずなのだ。

 ジャズとは、本来そういった音楽なのだろう。それは、アニメの中の主人公の台詞でもあった。

 アニメでの時代設定はスマホが当然の現代とあって、ジャズが黄昏てゆく風潮を嘆くシーンもあった。
 確かに、大御所マイルスやコルトレーンがスーパーのBGMとして流れ、名門ジャズ喫茶も、多くは廃業という。
 往年のスターミュージシャンはすでに点鬼簿の伝説の座におさまり、生き残った者たちの多くは、かっての冒険を忘れ、フュージョンの安寧に身を委ねている。

 無論、新しい世代の中には、六十年代、七十年代頃の熱気を再現しているミュージシャンもいるが……僕にはどうしても、当時のハチャメチャな、いっそ狂気をともなったまでのチャレンジが希薄なように思えるのだ。

 ありていに言えば、どこか枠に嵌められ……不気味な秩序に則っているように感じてしまう。
 音楽理論不分明の僕のことだから、断言は出来ないが……彼らのアドリブには、野放図なデタラメが不在なのかも知れない。

 思えば、アニメの登場人物の一人であるピアニストが、冒険不足を非難されるシーンがあった。結果、彼は暗中模索の中、新たなるパッションに辿り着く。
 しかし、その直後……彼は事故に遭い、右手が使えなくなってしまうのだ。なんとも、この時代の象徴のような気がしてならないのだ。

 その反面、一番下手くそだったドラマーがラスト近くで派手なソロを披露してくれるシーンは、一つの希望の表現のようであった。

 アニメを見終わった後、ぼくは小一時間、かっての冒険に満ちていた時代のジャズを聴き続けてみた。
 これでもかと音を振り絞り、楽器の限界も踏み外し、洒落臭え理論を底に沈め、崇高なるデタラメの世界がそこにはあった!

 もとより、今の僕は、すでにケースの中で眠り続けているテナーサックスを、再び手にすることもないだろう。

 しかし、少なくとも……新たなるデタラメを、文学の中に表現したいとは考えている。
 仮に、スーパーのBGMどころか、そのチラシ程度の価値であっても……今、この時代……得体の知れない秩序を振りほどきたいのだ。

 アニメでは主人公が、新たなるステージを求めてヨーロッパに向かうシーンで終わる。
 知らず、僕は彼に、自らを重ね合わせて、声援を送っていた。

  思いっきり、コードを踏み外して来いよ……と。

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