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奇妙な果実

 

 以前、知り合いが母親と一緒に経営していたカフェに、仕事が休みの度に通っていたいたことがあった。当時、シルバーアクセが流行っていて、同じ趣味同士、やれ「シャンバラ」だ「ビッグハンド」だと、長話をしたこともあった。


 取り合えず、ランチが目当てで、友人の母親手作りのカレー、ハンバーグ、肉詰めピーマンといったメニューだったが、皿には必ず、旬の果物が付いてくるのだ。
 スイカなどは、店頭であまり見かけぬ時期に食べた記憶がある。

 確かに、果物というのは季節を感じる有効な食い物だろう。
 もちろんビニールハウスの苺みたいに、本来の季節を踏み外している向きもあるが……やはり、スイカは夏に食いたいものだ。

 ところが、今年の夏、僕はスイカを全く口にしなかったし、秋が訪れても、柿もブドウも同様である。たぶん、これから先とて、蜜柑やリンゴを食べることはないだろう。

 ぶっちゃけ、食べなくても生きていられる食品を買い求める金銭的余裕がないのだから、致し方ない。

 それでも、このままではマズイぞ……と思うようにもなった。
 
 食は生命の基本なのだし、特に果物は生命に彩りを与えてくれるはず。実際の味わいばかりではなく、その色や形態を以て、命の脈動に軽やかなリズムを提供してくれるのだろう。
 レモンから初恋を連想したり、僕の場合、寺の境内の柘榴の野趣味溢れる血の味には、子供時代の無鉄砲を、枯れ木に残された柿の渋味に自然の嘲笑を聞くこともあるかも知れない。 

 まあ、僕の印象ではあるが、果物というのは一端ジュース等になってしまうと……やはり、飼いならされた家畜的果物という気がしてしまう。
 叔父2などは、スイカをジュースにして飲んでいたが、僕は真っ平である。種無しのスイカという品種もあるが、種が混じっていてナンボがスイカだと思いたい。

 先の柘榴などは、ジュースも出ているようだが……たぶん、そこに野趣味は失われているだろう。
 
 思えば、ここ何日か……果物を食べている夢を続けて見るのだ。目覚めてみれば、それがリンゴだったのかマンゴーだっのかも判然としないが、……果物とも思えぬ、妙に生臭い、腐敗臭が口内に残っている気がするのだ。

 奇妙な果実!

 思えば、Billie Holidqyの名曲である。ポプラの木ににぶら下がる、リンチで殺された黒人の死体をかく表現している、凄まじい歌なのだ。

 僕が夢の中で食べた奇妙な果実は、何だったのだろう?

 貧乏を言い訳に、僕はもしかしたら自分の中の大切なものを……不必要と断じて、リン
チに掛けている恐れもありそうである。

 反省した。今年は無理としても、来年こそは……全うな果物で、命のリズムを謳いたいものである。

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