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【SF連載小説】 GHOST DANCE 20章

  

     20 希望


 それから数日が過ぎた。その間、稲垣博士も涼一郎も顔を見せない。見知らぬ看護師が無愛想に餌を運ぶのみの、息詰まる家畜生活である。美也子のみならず、刑天のことが冬吉には気懸かりであった。判ったつもりの、何がチェリオだ。テロリストと自称するからには、いのちを賭した自爆に違いない。来世を夢と開き直っての無責任か。友よと信頼され、あたかもヒロイックのひとつまみを共有したごとく感じたはなんたる愚かさだろう。しかし、俺に何ができる。友よ。その響きが罪の烙印になって、冬吉に疼痛を与え続けた。

 ささやきが現れたのは、そんな日の昼下がりであった。刑天の身に何かあったのだろう。ささやきのそぶりは、それを物語った。それでも、開口一番の科白は冬吉のこころをわずかに和らげるもので、
「美也子ちゃん、前と同じお部屋に戻ったよ」
「会ったのか」
「ううん。冬吉君と同じように、カードを取り上げられてるみたい。それより、刑天君が……」
「どうした。何があった」
「いなくなっちゃったのよ。あのステキな首はつけてるみたいだけど、カードもなしで」
「カードなしでは、自由に歩けないだろう」
「うん。心配するなってメモには書いてあったけど、心配よ。でも、刑天君力持ちだから、どっかのひょろひょろのお医者さんをぶん殴って、カードくらい手に入るわね」
 ささやきは明るい顔をことさら装いつつ、
「あっ、それからそのメモだけど、この『ホワイトカード』を持って、美也子ちゃんと逃げろって。一枚のカードでも頭のないやつなら別、頭のあるやつならなんとかなるだろうって。ねえ、どういうこと。きっと、シャレね」
「いにしえの、定期券の要領だな」
「きっと平気よ。『ホワイトカード』はエライ人用だから、そんなに調べられないし」
「それより、君はいいのか」
「うん。これ、おじいちゃんのだけど、なくしちゃったって言って舌をペロって出せばすむもん。それよか、あたし涼ちゃんにも冬吉君にもふられて、実は刑天君と心中しようかなって思ってたのに……」
「何が心中だ。どういう意味か知ってるのか」
「知ってるもん。それに、あたしもうじき死ぬのよ」
「縁起でもねえ。あっけらかんと言うな」

 その時、ノック。ささやきがこなし敏捷にベッドの下に潜り込めば、冬吉も毛布を垂らして死角を作った。
 すぐに扉はあき、入ってきたのは稲垣博士と涼一郎であった。軽い笑みすら浮かべる博士に対し、涼一郎はその面むごたらしいまでに沈み、表情はこわばって、いっそ死人に見えた。
 稲垣博士が初めに口を切って、
「小菅君からもう聞いたとは思うが、我々の油断のせいで君にとんだ迷惑をかけた。こころからお詫びを言いたい。それにしても《愛の臓器》の劇的な復元、おめでとうと言うのも、なんだか気が引けるが、我々としてはいっそうの希望が膨らんだ。そこで、ぜひとも協力してもらいたいことがある。つまり、《愛の臓器》の細胞を採取させて欲しい」
「またぞろ腑分けしようって肚か」
「はっは、そんな大袈裟なことじゃない。ちょっと針で引っ掻くていどだ。分子レベルの研究をしたい。たった今。美也子君のところにも行ってきたが、彼女の方は協力を約束してくれてね……」
 出し抜け、涼一郎が笑い出した。吹き出すような嘲笑であった。それから、幾分甲高い声を震わせて言うことに、
「先生、調べたって無駄ですよ。盲腸の退化した人間に、草食獣の盲腸を移植しようという思想。無駄ですよ、無駄。敢て、虫垂炎を発症させるようなもの。愚行ですよ。全く、無意味ですよ」
 稲垣博士は憤然と涼一郎を睨みつけると、
「君。気でも狂ったのか」
 涼一郎は、なおも笑いながら、
「気が狂ってるのは先生の方。いや、そういう僕も狂ってるかな。みんな狂ってる。いいですか、先生。この時代の我々は退化してるんですよ。退化。判りますか。冬吉君や美也子君とは、つくりが違うんですよ」
「何が言いたい。冬吉君は別にして、美也子君は現代人だ。その美也子君にも……」
 笑い続ける涼一郎を前に稲垣博士は言葉を切って、今度は冬吉の方に顔を向けると、
「君。そうだ、君もそろそろ記憶が戻ってもいい頃だ。え、どうなんだ。まさか、美也子君も君と同じ……」
 うろたえつつ再度笑う涼一郎を睨み、ついで胸ぐらを掴んで、
「どうなんだ。どうなんだ。そうか、君は何もかも知って、私達を出し抜こうとのコンタンか。敢て無駄な研究をさせ、貴宏を唆して生体実験をし……え、どうなんだ……」
 突然、涼一郎の右フックが胸ぐらを掴む稲垣博士の鳩尾をとらえ、博士はからだを折ってあっけなくその場に崩れ落ちた。
 すでに笑顔を消した涼一郎は素早く博士の胸のポケットから『ホワイトカード』を引き抜き、自分のカードと重ねると冬吉の掌に載せ、
「モルモットがいやなら、早く逃げろ」
 躊躇のゆとりも与えぬ気迫に、冬吉が二枚の『ホワイトカード』を手に扉に走れば、ささやきもベッドを抜けて後に従ったが、涼一郎は海老のようにのびた稲垣博士のもとに屈み込んだきり、見て見ぬフリのけはいであった。

 慌てて方向感覚をなくす冬吉をささやきが先に立ってエレベーターを使い、すみやかに美也子の部屋の前に出た。ノック代わりに大声を出し、カードで扉をあければ、美也子はオレンジ色のキュロットスーツおこたりなくついそこに立った。
 冬吉はカードの一枚を押しつけると、
「逃げよう。仔細はあとで話す」
 美也子も、すでに腹を括ったけしきで、
「いいわ。この病院にいれば、何をされるか判らない。実は……」
「あとで聞く」
 冬吉は、ぼんやり寂し気に立ち尽くすささやきに向かい、
「刑天氏によろしく言ってくれ」
 美也子の手を引き、すぐに廊下を走った。
「ケイテンって、誰?」
「今はいい」
 エレベーターに飛び乗り、一階に急降下。涼一郎がどれほどの猶予を与えてくれるか。なにはともあれ、病院を抜け出すことが先決であった。

         ※

 じきに『蟻の巣』の雑踏に紛れ込めば、とりあえず相談できるはあかねしかいない。暗黙の了解ぬかりなく、二人の足はおのずと『遊民窟』に向かった。その間、冬吉がざっと逃亡に至るゆくたてを話せば、美也子はもどかしげに口を挟んで、
「実は、わたし記憶が戻りそうなの。まず、お母さんのこと。わたしと同じナース。そして、あなたは、確か音楽プロデューサーで……クロヌマ、シュンキチ……ね、そうよね」
「現世ではそうでも、今は、今村冬吉と心得ろ」
「わっ、だったらここはあの世……」
 あの世にしろこの世にしろ、いかなる手配が仕掛けられるか美也子とて定かではない。極秘のプロジェクトとあれば、さだめて尋常の網は張るまい。用心のためタクシーも拾わず、日も暮れる時分ようやく二人は『遊民窟』の埋まったぼろビルの前に辿り着いた。

 『遊民窟』の扉には「本日休業」の札がぶらさがっている。ノックをしても返事はない。試しに扉を引くと造作なく開き、中は暗くて人っこ一人いない。それでも、椅子が散らばり酒壜はぶっ壊れ、何やらひと騒動あったことは一目で知れた。
 美也子によれば、カウンター右手の奥に階段があって、あかねの寝室に続くという。二人して駆け上がれば、開きっぱなしの扉の向こう、あかねはベッドの上で二重の苦痛にあえいでいた。一つは暴行。顔の青痣むごたらしく唇は切れ、ドレスは裂けて肌もあらわの惨状であった。そして、もう一つの苦痛について美也子がたまげるには、
「あかねさん。産まれるのね。陣痛なんでしょ!」
 まさか。しかし、美也子の見立てに狂いはない。確かに、あかねの下腹にははっきりと臨月の証が盛り上がった。思えばヒトが猿を産むご時世、おかまが孕むも不思議はなそうである。とりあえず119番すみやかに、美也子は眦きびしくすっかり白衣の身に戻った。
 二人を認め、あかねが苦しい息の下から言うことに、
「あたくし、仲間を裏切りました……」
 話によると、今日の早朝、病院の者らしい若いやつが数人のヤクザ者を引き連れ尋問することに、小杉美也子とこっそり会っているだろう。きさま、病院を追放された岩田文彦だな。察すれば、涼一郎に間違いなさそうであった。
「美也子ちゃんの秘密、口が裂けても漏らすものかと気合い十分のはず。けど、お腹のこどもを楯にされ……」
 止むを得ず、美也子の素性をすっかり白状してしまったもようであった。あかねは黒い涙を流しながら、
「あたくしを、許して。この子は、あたくしの希望……」
 涼一郎はすべてを聞き出すと、あかねのことも、ここが『愛のパルチザン』のアジトであることも病院当局には知らせないと言明して帰っていったそうだが、これを垣間見た常連達によって、アダムとイヴを売った裏切り者の烙印のさき袋叩きにあったという。
「確かに、病院のやつらなんか信用できない。あなた達も、こんなところでグズグズしていては危険。そう。いっそ、『煙の山』に逃げるのよ。そこには、美也子ちゃんの……」
 言い掛けたとたん再びの陣痛が、もはや限界の発作になってあかねを襲った。救急車はまだ来ない。美也子はつい立って、改めての119番に声上擦らせてがなりたてるには、
「……え、なんですって。忘れてた。冗談はやめて。早く、来て。もう、産まれちゃう。『遊民窟』は×町一丁目十三番。えっ、めんどくさい。ふざけないで。わたしは病院の者よ。嘘だろう。あんた、承知しないわよ。だったら調べてよ。わたしは《プロジェクト・プシケ》の小杉というもの。早く。早くして。間に合わない!」
 どのみち、もう間に合わぬけしきであった。あかねの脈をとる美也子の目が決然と光って、どぎまぎする冬吉に、
「お湯を。お湯を用意して。わたしが取り上げます」
 けだし、おかまの出産とは前代未聞。はたして、産道はいずこに通ずるのか。こころは帝王切開であった。さすが美也子は医療にたずさわるの身の、あかね秘蔵の懐剣も裁縫箱も、すでに間に合わせの手術道具に違いない。
「しっかり押さえていて」
 美也子の厳しい言葉に、冬吉、のたうつあかねの口にはみを噛ませて押さえ付けれども、もとより門外の、不気味の生理につい吐き気がこみあげれば、
「こんな時に、『恋煩い』なんて起こさないでよ!」
「違う。これは別口の反応だ」
 目を閉じて顔をそむけるはなはだ心許ない助手に反し、美也子はでんと構えて手さばきに狂いなく、やがて声張り上げて、
「産まれた。産まれたわ、あかねさん。男の子……」
 はて。顔をそむける冬吉の耳に、産声は聞こえない。死産か。恐る恐る目をあけて美也子の手元を覗き込めば……や、冬吉のみならず、赤子を取り上げた美也子の顔も驚愕ひとかたならずであった。
 赤子は、元気に手足をばたつかせている。しかし、産声をあげぬも道理の、あるべきところに口がない。いや、口のみならず目も鼻も耳も、あたかも制作半ばの塑像にも似て、その位置関係をうっすらとどめるのみであった。しからば、手足をばたつかせるは、呼吸ができぬ断末魔のあがきに違いない。
 あかねは、赤子を乞うよう両手をのばして、
「ああ、坊や、坊や……あたくしの希望……」
 赤子があかねの手に渡ると、美也子は唇をわななかせつつも無意識のわざか、切開部分の縫合にかかる。
 赤子は、あかねに抱かれてなおももがく。
「息ができないのね。坊や。ああ、どうしたらいいの」
 あかねのうろたえに、美也子にもなす術はない。代わりに冬吉がつい思うには、羊水の中で泳いでいたからには、もしや鰓が……
「水だ。風呂だ」
 口走った時すでに遅く、痙攣を見かねた末の狂気の沙汰か、あかねは止める美也子を振り切り、懐剣を逆手にかざして赤子の口を一文字に切り開いた。ほとばしる鮮血。同時に、空気の抜ける風船にも似て幽かな産声が漏れたようであった。
 しかし、それは瞬きの間にすぎず、赤子ははやあかねの腕の中いっさいの動きを止めていた。あかねはもはや狂人か。いや、その目は母親のものに違いない。はだける胸にはシリコンとは思えぬ乳房張り切って、赤子の口の裂目にそっと乳首を含ませれば、いちごピンクに染まった母乳が一筋むなしく流れ落ちた。
 唖然とする二人をよそにあかねは半ば放心の、笑顔うつろに子守歌を歌い始めた時、すぐ近くに救急車のサイレンが響いた。
 美也子は憤然と席を立ち、
「もう、手遅れよ!」
 言い捨てて、階下に駆け降りた。冬吉もあとにつけば、店に入ってきたのは救急隊員のみならず、四人ほどのスーツ姿のやつら。目つき鋭く、すぐさま二人を取り囲むや、その一人が言うことに、
「《プロジェクト・プシケ》の小杉美也子と今村冬吉だな。カード窃盗罪で逮捕する」
 逃げる間もなく二人は腕をねじあげられ、無造作な注射針が突き立ったさき、意識は闇の中に渦を巻いて……

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