見出し画像

【SF連載小説】 GHOST DANCE 19章

   

     19 たましい


 その日の深夜である。カードは再び取り上げられ、むしゃくしゃする冬吉のところに、自由を運ぶ一陣の風のようにささやきが現れて言うことに、
「刑天君が会いたいって……」
 冬吉はさっそくささやきをともない、廃墟の地下室に赴いた。

 刑天は、もはや生首なんぞいらぬお世話の、正常な姿でベッドに胡坐をかき、たくましい胸をはだけ、口と開いた臍にビールを流し込んでいた。冬吉を認めると、その目を輝かせ、
「よく来てくれた。まあ座って、ビールでもやってくれ。あいにく、つまみはないが」
「それより、刑天さん。お陰で、いのち拾いをしました……ありがとうございます」
「なに、礼には及ばない。大事の前、あれが俺にできる精一杯のこと。実は、ささやきに頼み、君の行動を見張らせた。悪いとは思ったが、視察のついで、デートのあとをつけたってわけだ。ブローカーは神出鬼没。しかし、君らには当てられたぞ。恋か。そう、この俺にして……」
 刑天はしばし瞑目ののち、
「それにしても、とんだめにあったものだな」
 それからささやきに目配せを送ると、これも心得顔で見張りのためと席を外した。
 刑天は立ち上がって冬吉の方に進むと、
「事情はささやきのボイスレコーダーで知った。《愛の臓器》とやら、ブローカーに剔出されながらも、見事再生したと聞く」
「はい。そうらしいです」
「恋の一念か」
「そう心得ています」
「無論、俺には難しい医学のことは判らない。ただ、俺の脳が再生したのと同じからくりだろう。して、君らの臓器を埋め込んだというエリートどものその後は……」
「聞くところ、二人揃って今朝狂い死にしたとか……」
「当然のことだ。仮に、五臓六腑に巻きついて再生した俺の脳を他人に移植してみろ。発狂は俺が保証する。ではなぜ、この俺がかく有様ながら平常心でいられるのか。思うに、俺はやはり人間だからだ。少なくとも、俺にはその自覚がある。《ブルー・サングラス》のやつらとは違う」
「そういえば、今日プロジェクトの一人に連れ出され、その《ブルー・サングラス》とやらを垣間見ましたけど……」
「どう思う。この俺と比べて。正直に言ってくれ」
「あれは単なる木乃伊。刑天さんとは全くモノが違いますよ」
「そう。あいつらは屍体だ。断言する。歓声に応え手も振る。首も振る。側近に耳打ちもするだろう。しかし、所詮屍体。が、それを口にするのはこの病院体制最大のタブー。君も、聞き及んでいるだろう。なぜか。今、人類は《滅亡の遺伝子》によって、絶滅に瀕している。『臓器移植』と《自動冬眠装置》を背景に、必死に『不老不死』の夢にしがみついているのが現状だ。しかし、夢は所詮ぬばたまの夢。はたして、ちはやぶる死神が人間ふぜいの買収に乗るものか。寿命は天命だと、俺は信ずる。よしんば青年並の臓腑と皮膚を保ち続けたとて、九十の命数を九十一に延ばすこともできないはず。ちはやぶる死神に抱きすくめられた瞬間、その体細胞あがけども、たましいは……」
 刑天はそこで言葉を切ると、思案ぶかげに目を伏せたのちベッド脇の箱を大切そうに持ち上げ、蓋を外して冬吉の目の前に突き出し、
「どうだ」
「……また生首ですか!」
「はっは。君が騙されるとは、俺も自信がついた。これは作り物だよ。ささやきの好意に甘え、これまでいくつもの生首をすげ替えてきたが、実はその間こいつを作っていた。神経工学やロボット工学の参考書を手掛りに何度も試行錯誤を繰り返し、唇も目も鼻も、俺の首の電気信号で思うまま。俺の昔の顔に近いぞ。まあ、見てくれ」
 刑天がやおらその義首を胴体にねじ込めば、たちどころに開眼の、口はしたたかに笑い頬ビクリと震えて、いかつい顎に幾分ギョロ目の精悍な面がそこにいのちを持った。
「なかなかの男前じゃないですか……」
「男前か。はっは。最後の花道に、少々二枚目に作りすぎたか。それにしても、久し振りに聞く言葉。君らの恋に当てられ、俺も思い出した。かの教官が俺をギロチンに送ったのは、女房を寝取られての報復の意味もあったのだろう。そう。かの教官の若妻こそ、思えば俺の初恋。女も、俺に応えてくれたもの」
「抱いたって、ことですか」
「そう。束の間の逢瀬ながら、抱かずして何が恋か。相手が奴隷一個とて、燃え上がった女の恋は純真なもの。君も、恋する人を大切にしてやるんたな」
「もちろん、判ってます」
 それから刑天は、口調をぐっと冷静に取り繕うと、
「さて、これで君ともお別れだ。たった一人のテロリスト、病院体制に目にもの見せてくれる。俺個人はもとより、俺のためにはらわたを売り尽くし、かつ一顧だにされなかったおふくろの意趣晴らし。そして、麻薬に溺れ、理想を失った『愛のパルチザン』を奮い立たせるためにも……」
「いったい、何をしでかすつもりなんですか?」
 答えず、首を振るのみの刑天に、
「刑天さん、……まさか死ぬ気じゃないでしょうね。僕にできる手助けでもあれば……僕としても、百年の夢を破られてのモルモット扱いに、恨みの筋は同じだと思います」
「前にも言ったはず。君は、もう俺のために十分してくれた。友よ。俺を人間として扱い、のみならず俺にも、君と同じ《愛の臓器》があるのだと信じさせてくれた。《愛の臓器》を宿した人間は、仮にいかにこの世の屑であったにして生きるに値するものだ。思えば、死んだおやじきはよく酔余のたわむれにこんなことを言っていたはず。自分のような屑でも……、いやこの世にあまねく、ゴキブリであろうが鼠であろうが生きる価値はあると。なくなってよいものなど、この宇宙には存在しないと。一箇の小石も、名もなき草花とて。そう。当時は、単なる愚痴としか思えなかったが、鼠やゴキブリを口に含む身となってようやく理解できたような気がする。
 一箇の人間とて同じことじゃないのか。盲腸ですら、今の俺には宿してしかるべき麗しの臓器と思えてならない。いわんや、遺伝子。書物で知ったことだが、遺伝子の中にはジャンクと呼ばれているものがあるという。がらくたと貶めるからには、さだめし人の世における俺のおやじ、いやこの俺のような存在と言いたいのだろう。なくてもよいもの。いっそない方がよいもの。思うに、脳における右脳と左脳の役割分担。今でこそ常識ながら、かっては右脳のことを暗黒の脳と貶め、なくてもよいものと信じられていたらしい。人間とはなんと傲慢のいきものか。かかる愚を犯しておきながら、あまねく存在するものにジャンクの烙印を押すとはな。
 はっは。君が生きていた百年前といえば、確か人類が神の領分に入ったと鼻息が荒かったと聞く。金髪に青い目、おまけに知能指数が高くスポーツ万能……そんな遺伝子を持った精子や卵子の売買。視野狭窄の価値観で選ばれた優秀な胤。そのつけが、この現代に現われたと俺には思えるのさ。がらくたや屑には生き延びる資格がないというファシズムの果て……。はっは、くだらん戯言と思ってくれ。さあ、そろそろ行け。ただ気をつけろ。《愛の臓器》を宿した友よ。君の愛する人と共に、一刻も早く病院を抜け出ることだ。恋の花を咲かせることこそ、真の革命と思え。それから、一つ約束してほしい。ささやきには、俺の決意を話さないでくれ」
「約束します」
 牢固として揺るぎない刑天の気迫に、冬吉は短く答え缶ビールのプルタブを引いて捧げ持った。刑天もビールを手にしたが、ふと思いついたけはいで、
「待て。最後に、ひとつ言っておきたいことがある。俺の遺言と思って聞いてくれ。なぜ、《滅亡の遺伝子》が働いたのか。答は簡単だ。すなわち、《愛の臓器》を人間どもが失ったからだ」
「…………?」
「はっは。なんだなんだ、その訝し気な面は。頭のある君にしてはチト鈍いんじゃないのか。はっきり言わせてもらおう。《愛の臓器》とは何か。そう。たましいのことだ。友よ。チェリオ!」
 一気に飲み干したビールには、閃光のようにほとばしる確かないのちの味がした。

 ⇦前へ 続く→


この記事が参加している募集

眠れない夜に

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。