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スター礼賛

 連日、野球の大谷選手の報道が繰り返されている。愛犬がどうの、結婚相手がどうの……と。


 別に大谷選手にはなんの恨みもないし、国民的スターであることも認めるが、ちょっとやりすぎの感は否めない。

 もとよりスターというものはその時代その時代に輝くものだろうが、これを報じるマスコミと、その裏の権力との癒着には注意が必要かも知れない。

 基本、スター礼賛の背後には「日本人礼賛」のイメージが付き纏う。日本は素晴らしい、日本人は優秀だ……ついては、かかるスターを生み出した体制は素晴らしい……とでも言いたいらしい。

 もちろん、マスコミもかなりズッコケた所があって、戦後まもない頃の大スターである力道山が実は朝鮮の人間であったり、王選手は台湾出身であったりもしたが……力技で日本人の範疇に押し込めたのだろう。

 言うまでもないが、必要以上スターを取り上げる背後には、国民には知られたくない政治の闇が潜んでいる。ちょっと調べてみれば、知れることである。

 本来報道すべき問題を伏せ字にし、その伏せ字部分にスターの話題を被せるというアザトサなのだ。

 目論みどおりに、日本は素晴らしいとばかり浮かれていては、思考停止に拍車がかかるだけのことである。

 確かに、その道で偉業を成し遂げた人間は称賛に値するが……何も、日本人に限ったことでもないだろう。どこの国の人間であろうが、素晴らしさには代わりはない。
 何も、日本人に限る必要もないはず。そう。あまねく人間こそ素晴らしいのだろう。

 要は、思考を巡らせ、過度のスター礼賛の背後に潜む、伏せ字の真意に思いを馳せる必要がありそうである。

 思いの他、伏せ字部分の内容は深刻なはずである。政治にしても経済にしても、……実際、日本のどこが素晴らしいのか? ……と疑いたくなるかも知れないのだ。

 もちろん、大谷選手は素晴らしい。しかし、日本人だから素晴らしいのでも、況んや、そんな選手を生み出した日本社会が素晴らしいわけではないのだろう。

 少なくとも、大谷選手が選挙の切り札に使われないことを祈るばかりである。

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