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父が他界②~心の拠り所の喪失

 先日、父が他界しました。

 こうしておけば良かったという後悔はあれど、何年も受け入れがたい事もあり、心の葛藤があります。
 後年、入退院を繰り返していた為、ほとんど実家にはいなかった事もあり、骨壺を見ない限りは、いつもと変わらぬ家の中の為、もう二度と会えないという実感がまだありません。

 家から独立されて、すでにご自身の家庭をお持ちの方であれば、親に何年も会っていないか、年に一度の帰省が普通でしょうから、親が亡くなったとしても、そのまま受け入れ、寂しいというような感傷に浸る事はないのかなとも思ってます。
 私の場合は、今は実家近くに独り暮らしであり、完全在宅で仕事をしている為、寂しさを感じてます。



 コロナ過が始まった2020年に10年以上勤務した会社を辞めました。
 何年も鬱積が溜まってストレス状態でもあったのが爆発しての退職でした。
 一旦はすっきりするも、次第に心がざわつき始め、部屋に居る事が嫌になりました。次が決まっていない生活不安も出てきました。
 現在は、何とか決まって、この年でも職に就くことが出来ましたが、前職を退職した1ヶ月間と、今の職に決まるまでの3ヶ月間は、毎朝毎晩1~2時間は散歩ならぬ早歩きをして、奇妙な気持ちを落ち着かせてました。

 そのような時、何度も実家の団地まで歩き、裏から父の部屋に明かりがついているか見にも行きました。
 透析も受けていた為、夜は早めに食事をして、自室に戻って何かしているか、ぐったりしている時もあったそうです。
 明かりがついている光景を見て、更に遠くまで歩き、そして戻ってきて「まだ起きてるな」と確認して帰宅して、早々に寝る。
 夜は余計なこと考えますからね。
 そして、6時頃に起きてまた歩き、ハロワに行ったり、紹介会社の方と連絡取ったりで一日を過ごすというルーティーンでした。

 もうここ2年近くは、朝歩く事はありませんが、ほぼ毎晩歩いてます。
 そして昨年夏からは父の部屋を確認するルートを取る事もなくなってました。

 自分にとっては、食い扶持である仕事が見つかれば、安心なのでしょう。
 しかし、それがない時は、誰かにすがるしかなかった。
 これまで、自分で全てをしてきたつもりですが、どうしてもできない事が、急に発生してきたのが、ここ4・5年でした。
 何人かその間に出会った方に助けられもしました。
 ですが、どこか心の拠り所としては身内だったのでしょう。

 他人は理解してくれないものです。
 親とて同じようなものです。
 彼女や彼氏、夫や妻が理解者になって手を差し伸べてくれる方もいるでしょうが、私にはそういった近親者は親しかおらず、やはり子供の頃から理解してほしかったというのが強かった為、最後には親に拠り所を求めていたようです。

 「いい年して」と思われても仕方がありません。
 一人暮らしの方は大勢おります。
 実家の団地の中でも、旦那さんを亡くされ、一人で住んでいる方は多くおられます。最近だと、男性でも多く見受けられます。
 先日乗ったタクシーの運転手さんも団地で一人暮らしとか。

 毎週子供が孫連れて食事をしている部屋もあります(夕食時声が聞こえます)。私も、10年近くは毎週週末に帰省して夕食を頂いてました。
 昨年からは、ほぼ毎晩帰省して夕食を頂いてます。
 ですが、父とは前回書いた通り、7・8年前に仲たがいが発生し、また数年前に入退院の繰り返しもあったため、顔を合わせたのは入院した時の1回の5分程度だけでした。

 「いてもいなくてもどうでもいい」という感情しかありませんでした。
 口を利くどころか、顔を合わせてもいませんでしたが、どこかに存在は感じていたわけです。夜のウオーキングでも、部屋の明かりを確認しにルートを取る事もあったくらいですから。

 
 実家に戻ると、常に部屋のドアが開いたままです。
 団地なので狭いですし、廊下なんてものはありません。
 火葬場から戻って骨壺を置きました。
 それ以来、その部屋に入るのを避けてます。

情報提供や考え方、そしてこれまでの苦々しい経験での対価として、ありがたく頂戴致します。