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けばけばしい化粧をしたニュースと、その中にあるすっぴんの事実と

三が日というのは毎年穏やかな時間が過ぎ、昨年の振り返りをしたり一年の目標を立てたりするものだが、2024年は元日に大きな地震が北陸に起き、2日は不幸な事故で飛行機が燃え、3日は小倉で商店街が燃えた。過去振り返ってみても類を見ないほど大きなニュースが多い一年のスタートになったと思う。

マスメディアの報道を見ていると「いやはや…」という気持ちになるのだが、世の中の人の中には「まあ別に関係ないし…」という人も少なくないし、実際にそのような発言を聞いたこともある。
社会心理学では「正常性(恒常性)バイアス」という言葉がある。異常事態が起きたときに「日常の延長線上にある」とか「大したことはない」という認知のありかたを指しているらしい。

だれしも世の中に起きているあらゆることを自分ごととして考えていたらそのうち気が滅入ってしまう。非日常に触れてもなお鈍感で居続けるのは、ある意味では人間のこころを守るための仕組みともいえる。
そして、その裏側には、世の中で起きていることを「自分にとってはどうでもいいこと」「どうということはないこと」として処理してしまう残酷さが人間にはあるということでもある。

この三が日の報道を見ていてふと思ったのだが、世の中の報道(特にbreaking news)は、私たちが持ち合わせている正常性バイアスにムチ打つものである。だから選ばれる言葉は煽情的であり、映像は刺激的であり衝撃的なものが多い。

それだけに「報道なんてそういう映像と言葉を選んでいるんだ、だまされないぞ」と思ってある程度冷めておくことは大事なのだが、それで目の前に映っている異常事態を他人事だと思っていつの日か忘れることが望ましいのかと問われると、なかなか首肯しづらいものである。

報道内容を見て「ふーん」と思考を止めるのではなく、地震であれば「もし当事者だったなら、どんな備えができるだろう」とか、火災などの被害であれば「大きな炎を見たらたぶん焦るよな…」とか、思いを至らせられることはたくさんある。要は報道に接する上でのバランス感覚が重要であるということだ。

派手な映像、脚色された言葉たちが作り上げる「けばけばしい化粧をした報道」のなかにある、いわば「すっぴんの事実」に目を凝らす能力がこんな日々だからこそ求められているのかもしれない。

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