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鈴木千佳子の日記19

~大好きな本~

パソコンを開いたらnoteさまに、『読書感想文を書いてみたら?』的な提案をされた。


今日はクリご飯の話を書きたいな、と勝手に思っていたし、読書感想文なんて小学校5年生以来書いてないしな、と思ったけれど、ちょっと挑戦してみよう。

時間のムダ遣いにならなければよいが、と恐る恐るパソコンのキーを叩いている。


私がいちばん好きな本は『モモ』である。

友人のカヨちゃんに勧められて読んだのだけれど、時代といい、登場人物といい、描写がとてもステキだった。

副題がまたよくて、”ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子”ってなんだろう、とワクワクしたものである。

ちなみに『モモ』を読んだのは私が30代のころで、30代女性が本を手に、”ワクワク”だなんてしててよかったのだろうかと、これを書くにあたり、早、暗雲が立ちこめた感じではあるが、がんばって続けてみよう。


モモは、聞き上手な女の子である。
”話を聞くなんて誰にだってできるじゃないか、と思うかもしれませんね。でも、ほんとうに話を聞くことのできるひとは、めったにいません”。

作中にこうあるが、私はその部分を読んだとき顔がカーッと熱くなったのを、今でも忘れていない。

だらしない主婦ではあったけれど、私はなぜか、友人たちに頼られ、たくさんの相談ごとを聞き、数々の助言を彼女たちにしてきた。

けれど、なんだかそれを、
「違うんだよ」
と、見破られたような気がしたのだ。聞く、ってこういうことなんだよ、と。


モモが、左官屋のニコラや、飲み屋のおかみさん・リリアーナから、
「モモのところに行ってごらん?」
といわれたように、私も私の友人A・B・Cから、
「千佳のところに行ってごらん?」
などといわれてみたいものだなあと、密かに願ったことも付けくわえておこう。


このように私は、けっこう野心家な女だったりする。



モモは、友だちが大好きな女の子である。
推定8歳から12歳のこの少女は、マリアやパオロやフランコといった、たくさんの友だちがいる。航海ごっこをしたり、ボール遊びをしたりする。

親友もちゃんといる。観光ガイドのジジと、道路掃除夫ベッポである。


私は、ベッポじいさんが自分の仕事について語るシーンが大好きだ。
「いちどに全部のことを考えてはいけない。つぎの一歩のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ」


たぶんそのころの私は、あくせく働くことに、そしてそれに付加するお金というものに対して、ちょっとした嫌悪感を持っていたのかもしれない。

なにしろバブリーホステスだったのだ、私は。大好きな仕事ではあったけれど、私なりになにかを感じていたのだろう。


このように私は、清廉なところもある女だったりする。



モモは、なぞなぞが好きな女の子である。
時間どろぼうと闘うにあたり、マイスター・ホラに会うモモ。いくつもの美しい花が行き来する場面も圧巻だが、マイスター・ホラがモモに与えるなぞなぞに、私は戦慄を感じたものだ。


時間という価値観は、ひとによって大きく違う。過去に縛られるひともいれば、未来だけに焦点を当てるひともいるだろう。


しかしモモはいう。

「未来が過去に変わるからこそ現在っていうものがあるんだわ!」

「でも、ほんとうは今の瞬間なんてぜんぜんなくて、あるのは過去と未来だけじゃないかしら? だってーーあたしがしゃべっているこの瞬間だって、あっという間に過去になってるもの!」


今、って。今、って。今、って。


今、は。今、は。今、は。


考えだすと、恐ろしくなる、時間。


モモは答えを出したようだが、私はまだ、答が見つからない。時間は、なぜか常に私を圧倒するのだ。


このように私は、ちょっと臆病な女だったりする。



亀のカシオペイアを味方に、灰色の男たちと向き合うモモ。ぬすまれてしまった死んだ時間を、生きた時間に戻して持ち主に返すために、震えながら立ち向かっていくモモ。


私はこの最後のシーンを読むと、必ず目頭が熱くなる。


”モモは隅にちぢこまったまま、花を胸に押しあてて首を横にふりました。言葉はどうしても出てきません。
最後の灰色の男はゆっくりとうなづきながら、つぶやきました。
「いいんだーーこれでいいんだーーなにもかもーーおわったーー」
そしてこの男も消えてゆきました”。


モモは、やさしい普通の女の子である。ちゃんと怖がって、だからこそ、なくなっていく灰色の男に、なにも言葉をかけることができなかった。


怖かったね、がんばったね、ありがとね、とモモに声をかけると同時に、時間をぬすむのはダメだけど、盗人はほんとにダメなんだけど、灰色の男たちがなぜ生まれたのかを教えてもらうと、みんな、生きていたいよな、とも私は思ってしまうのである。


私が時間を考えると畏怖してしまうのは、この辺に原因があるのかもしれない。


このように私は、デリケートなハートを持った女だったりする。


なんだかけっきょく、へなちょこな感想文になってしまった。


でも『モモ』を書いた作者さんを、私はミヒャエル・ダンテさんだと思っていたが、ミヒャエル・エンデさんだった。それがわかっただけでも書いてよかったのかもしれない。

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