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空と墓

 高校時代、すし詰め状態のバスで渋滞にはまるのが嫌で自転車通学を始めたけれど、じきに止した話を以前に書いた。

 その後は始発バスなら座れるとわかって、卒業まで始発で通った。
 具体的な時刻は覚えていないが、冬はバス停まで月を見ながら歩いていたから、4時半ぐらいに家を出ていたんじゃないかと思う。そうでないと計算が合わない。そのぐらいからバス停には人が並んでいて、始発は5時過ぎに出た。
 ある時、窓から見えた夜明け空のグラデーションが随分きれいで、ちょうどウォークマンから流れてきた曲と合わさって、何かのドラマのオープニングみたいだと思ったのを覚えている。

 やっぱり高校時代のある日、塾帰りに暮れの空を見ながら沢田が、「空の上の方が藍色で、下の方はオレンジで、その中間の色が何とも云えん」と言った。
 云われてみれば、確かに藍色とオレンジの中間部分には何とも云えない味がある。なかなか面白いところに着眼するやつだと感心した。
 沢田はすぐ近所に住んでいたが、交友グループが違っていて、高校までは関わることがなかった。
 たまたま同じ高校へ入って、初めて同じクラスになった。そうして同じ町から来ている者があんまりいなかったこともあって、ようやく交友が始まった。

「俺はスポーツマンで背も高いけぇ、女子にモテるんよ」と自身で言うようないけ好かないところもあったが、根はいいやつだった。
 高一の時、クラスでボウリングに行くことになったのだけれど、自分はそれまで一度もやったことがなかったので、事前に沢田に教わることにした。
「こう構えて、こう投げるんよ。最初は1歩2歩3歩で投げたらええじゃろ」と教えてくれたが、教わりながらやってもどういうわけか自分の投げるボールは溝にばかり落ちていく。
 段々嫌になってきた頃に沢田は後ろを向いて、「何を笑いよるんや」と言った。後ろで知らない者に笑われていたらしい。
 言われた者は気まずい感じで黙ったけれど、自分はいよいよ嫌になった。
「もうこれで終わりにしとこう」と言ったら、「ほいじゃぁ俺はもう1ゲーム投げるけぇ、ちょっと待っとってくれ」と、一人で投げ始めた。
 ごろごろぐわしゃーんと、投げる度に小気味良い音を響かせるのを眺めながら、女子にモテるというのもあながちデタラメではないように思った。

 沢田とは、ある時期からお互い口を利かなくなった。
 ある日、登校時に同じバスに乗り合わせたけれど、何だかお互い喋らないまま学校に着いた。あの時からだったように思う。
 別にケンカをしたわけでもないが、何だか微妙な空気が流れるようになり、そのまま卒業して自分は大阪の大学へ行ってしまった。
 そうして4年の時に、沢田は亡くなった。

 朝でも夕暮れでも、空のグラデーションを見るとそういうことが頭をよぎる。年末に帰省したら、彼の墓へ行ってこようと思う。

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