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ネタバレ注意「竜とそばかすの姫」を勝手に深読みしてみた

ネタバレがありますので、まだ、この映画を見てない方、ネタバレがダメな方は読まないでいただけるとお互いのためかと思います。

まず、この物語の中で着目すべきは「なぜ鈴(ベル)はオフラインの現実世界で大好きな歌を歌おうとすると吐くようになってしまったのか?」という点だと思う。

この点を押さえて映画を見るとラストでモヤモヤすることはない(と僕は思う)

まず、鈴が現実世界で歌を歌おうとすると吐いてしまう原因は母親の死であることは間違いない。では、鈴の心の中で何が起きているのか?

他人の子を救うために死んでしまった鈴の母。鈴は実の子供である自分よりも赤の他人の子のために死んだ母に疑問を感じていた。

「自分よりその子が大事なの?」

「なぜ、お母さんが他人のために死ななければならなかったの?」

「なぜ、助けたの?」

鈴は母が大好きだった。そして母と一緒に歌う事が好きだった。

鈴は他人の子供よりも大好きな母に生きていて欲しかった。他人の子なんてどうでもいい。もっと言えば、母ではなくあの子が死ねば良かったのに。そう思ってしまった。自分のことしか考えられなかった。

鈴は誰よりも純粋だった。だからこそ、一度思ってしまったことを自分の中で消すことができない。

ここが肝になる。

鈴は母の行動は理解できなかったが、大好きな母が何をしたかは理解していた。鈴の母は良いことをした。人のために命をかけて行動したことは、幼い鈴にも心の底でわかっていた。わかっていたからこそ、自分が思ってしまったことに苦しむことになる。

心の根底の部分で他人の子供の命なんてどうでもいいと考えてしまったことを母が知ればなんて思うだろう?悲しむ?嫌われる?きっと、私は母の娘として相応しくない。

鈴は自分を否定してしまった。大好きな母。その母が好きだった歌を歌う自分を否定することになる。

それが鈴の嘔吐の理由となる(と、僕が勝手に思っている)

では、なぜ、鈴は「U」の中では歌が歌えたのか?

誰も自分のことを知らないからである。良くも悪くも人間は共存する他人の目(認識)の中で生きている。

家族、友達、その他、自分を知る他人は、時として自分の生きる選択肢を狭めてしまうことがある。

母親の死がトラウマになっていることは、父もヒロちゃんも大好きなしのぶ君にも知れれている。トラウマを負った子という檻に入れられていることになる。

「U」ではその檻がない。本当の私を知る人はいない。大好きな歌を歌っても、ここでの私は本当の私じゃない。誰もトラウマに傷付いた少女という目では見ない。

鈴は「U」の中でもう一つの人格を作り出した。本当は母が好きだった歌を思いっきり歌いたい自分を曝け出す場所として。

ルカがしのぶ君に告白するのかと勘違いして、応援するとメールを返して泣くシーンから見ても、鈴は自分の本当の気持ちを抑圧するクセが付いている。

それは、根本的に母親よりも他人の子が死ねばよかったと思ってしまった自分が幸せになる訳にはいかないという思い込み。つまり、自分で作り上げた檻の中にいるのだ(と、僕は考えた)

鈴(ベル)が竜に惹かれた理由は、自分と同じ心に傷を持っていたからだ。

この映画における竜の存在は大きい。一見して、クライマックスで虐待を受けている兄弟が露わになることで、この映画のテーマが虐待だと捉われてしまいそうになるが、本当はそうではない(と、僕は思っている)

虐待はあくまであの兄弟の問題である。何事も助けは必要である。だが、自分たちの人生を諦めている兄弟には未来はない。父から逃げることも、助けを求めることもできない。

それは「僕が我慢すればいい」という少年の言葉にも表れている。その言葉が鈴の登場で変化する。虐待の問題は鈴が行動を起こしたことで完結していて、その先は視聴者の想像に委ねられる。つまり、この虐待に対する問題提起はこの映画のテーマではない(と、僕は考える)

他人のSOSに対して具体的な行動を起こすことは簡単ではない。現実世界において、命に及ぶSOSに対して、何とかしたいと行動を移すには莫大なエネルギーがいる。多くの人は傍観するか、見て見ぬ振りをする。それは鈴の母親が子供を助けに行く時にも周りの大人達の反応で描かれている。

鈴の母親のような行動を取れる人間は稀なのである。

その少年たちの虐待を見て鈴は率直に助けたいという気持ちになる。人からの評価や、押し付けではない。

ただ、助けたい。何かしたい。手を差し伸べたい。それが本当の自分の気持ちであることを知る。

その瞬間、母親が子供を救いに行った時の気持ちがフラッシュバックする。初めて鈴が大好きな母親の隣に立てた瞬間だ。

それは本当の自分であり、鈴がアンベイルでベルから本当の自分の姿、鈴として本当の自分の気持ちを歌うシーンに盛り込まれている。

この映画は心にトラウマを負った少女が「U」というSNSをキッカケに、自分と同じ心に傷を持つ少年に出会い、助けたいという気持ちとともに母親を理解するという物語である(と、僕は勝手に解釈した)

ラストの夏の雲のシーンは、視聴者に鈴がこの先どのような生き方をするのかを想像させるための余韻である。

父との生活、友達との関係、合唱団の活動、そして、しのぶ君とのその後。全ては視聴者の想像に委ねられ、そして、想像へのヒントは全て提示されている。

僕はラストの夏の雲のシーンで鳥肌が立ちました。

まだまだ語りたいことはたくさんあるのですが、今回は鈴の嘔吐の理由を中心に書いてみました。機会があれば、音楽のこと、絵のことなどについても書いてみようと思います。

最後に

人間は自分の過去に囚われ、自分で自分の生き方を狭めている。SNSはその狭まれた世界を広げると共に自分の可能性を見つける場所でもある。ただし、SNSでの自分は必ず現実世界の自分とリンクしている。正しく使えば、必ず、自分の人生を大きく開くことができる。

この物語はトラウマに苦しんで立ち止まっていた少女が自分の幸せに向かって一歩前に足を踏み出した、そんな物語である。

と、僕は勝手に深読みして感動しました。

以上です。

最後まで勝手な深読みにお付き合いいただきありがとうございました!

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