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《9/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【再婚、その後】
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ナポレオンがセントヘレナ島に流されてから1年余り経った1816年9月。
何とマリアはベルギーで再婚。しかもお相手は、ナポレオンのいとこという衝撃。
お相手の名はフィリップ・アントワーヌ・ドルナノ。
一体どういう人物なのか、駆け足で見てみましょう。
コルシカ島で、父ルイ・ドルナノと母イザベラ・マリア・ブオナパルテとの間に生まれました。
ブオナパルテをフランス
《8/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【ナポレオンの没落】
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マリアの離婚から4ヶ月ほど経った1812年12月。
ナポレオンはロシア遠征が大失敗におわります。
自分の政策に従わないロシアに痛い目見せてやろうと攻め込んだものの、ロシアの厳しい寒さに勝てず、50万人もの兵を失って帰国したのです。
翌年10月にはライプツィヒの戦いでも敗北。
反ナポレオンの国から一気に反撃を受け、1814年4月にフランス皇帝の座を降ろされま
《7/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【出産、パリへ】
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ジョゼフィーヌとの離婚を決めたナポレオン。
ウィーンで愛人マリアの懐妊が分かった後フランスに戻り、11月の終わりにはジョゼフィーヌに別れ話を切り出します。
そして翌年1月には離婚手続きを終えました。
一方のマリア。
…の記録は見つけられず、9月に妊娠→翌年5月ポーランドのバレビツェWalewiceで出産という事しか分かりませんでした。
一説によると、マリア
《6/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【妊娠】
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1808年3月─マリアがパリにやってきて間もなく─ナポレオンはスペイン方面の戦線に向けてパリを発ちます。
それに伴い、マリアはポーランドに帰ったのでした。
ここから1年と少し、マリアの足取りはよく分かりません。
そこでナポレオンの動きを見てみましょう。
◇
戦争を行う傍ら、ナポレオンは新しい計画に向けても動いていました。
一向に子供を授からないジョゼフィ
《5/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【ジョゼフィーヌの場合】
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前回の話から時計を1年ちょっと戻します。
ナポレオンがポーランドに入る3ヶ月前の、1806年12月。
ジョゼフィーヌはナポレオンと共にマインツ(現在のドイツ)にいました。
かねてより対立していたプロイセンが、再びナポレオンと争う姿勢を見せた為です。
ナポレオンはマインツに入った3日後、再び戦線へ。
ジョゼフィーヌはマインツに留まり2人は離れ離れになります
《4/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【2人の蜜月】
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冬が明け春になる頃、2人はポーランド北部のフィンケンシュタイン城に移ります。
9年前に妻ジョゼフィーヌの浮気を聞かされ、あわや離婚の危機を経験したナポレオン。
久々に、恋に恋する季節を過ごしたようです。
◇
一方のマリアはと言うと…
ポーランド全国民の期待を背に、ナポレオンにポーランドの復活を打診します。
しかしナポレオンはポーランド国民に対し
「
《3/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【ナポレオンとの出会い】
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マリア疑惑の出産から2年後の1807年。
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがポーランドに入り、国民に大歓喜をもって迎えられました。
と言うのも、ナポレオンは1805年にアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア軍を撃破。
翌1806年にはイエナの戦いでプロイセン軍を破っています。
ポーランドから見れば、ナポレオンはこれらの戦いによって、ポーランドを分割支
《2/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【結婚と出産】
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さてマリアはお嬢様御用達の修道院で教育を受け、輝くばかりに美しい女性に育ちました。
玉の輿に乗って貧しい家を救ってほしいと目論んでいたマリア母やきょうだいの計画どおりに育ったのです。
そして彼女が18歳になった1804年6月、家族の願い通り あるお金持ちがマリアに結婚を申し込みます。
名前はアナスターシィ・コロンナ・ワレフスキ伯爵。年齢なんと64歳。(マリアの46歳上)
こ
《1/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【少女時代】
今回は、ナポレオンが「ポーランドの妻la femme polonaise」と呼んだ愛人の話です。
先妻ジョゼフィーヌ、後妻マリー・テレーズと並んで彼に大きな影響を与えたとされる女性。
妻たちのキャラが強烈すぎる為か、愛人マリアは"ピュアで控えめな女性"というイメージで語られることが多い気がします。
一体どのような女性だったのでしょうか?
1500字以内の短め記事×9回の話です、よろしければお
【ショート】私はオランダのうさぎです
明けましておめでとうございます。
今週は記事の投稿を休む予定でしたが、12年に一度しか書けない話題を思い出したので突貫工事で記事を書きました。
駅伝見ない派の方、お笑いも飽きたなあという方、お正月のご予定がひと段落した方、お付き合い頂ければ嬉しいです。
◇◇◇
1806年、オランダ。
10年以上国王不在だったこの国で、新しい王様の即位式が執り行われていました。
新国王の名はルイ・ボナパル