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首都滞在を終えて思うこと

任地に帰ってきた。任地に本赴任してからはじめて首都に上がり1週間を首都で過ごした。先輩たちがみな口を揃えて任地に早く帰りたいと言っているのに、私は任地に帰りたいなんて全く思えなかった。

任地に帰っても、待ってくれる人や会いたい人、行きたい場所や落ち着ける場所、やらなければいけないことやできる仕事、これらすべてが私にはない。任地に帰る理由が見当たらない。

任地に早く帰りたいと言う先輩たちは、これらのうち少なくともひとつが任地にあるんだろうな。日本から遠く遠く離れたこの地でわずか2年間の任期の間になにかひとつでも任地にいる理由が見つけられるって本当に尊いことだし、すごいことだと思う。

ザンビアに来てもうすぐ3ヶ月になるが、まだまだ日本への未練はたっぷりで、ザンビアを大好きにはなれていない。

待ってくれる人や会いたい人、行きたい場所や落ち着ける場所、やらなければいけないことやできる仕事、これらすべてが日本にはあったんだということ、そしてそれが如何に恵まれたことで、幸せなことだったか、そして日本にいたときこのことの尊さに十分に気づけていなかった自分に気づく。

でも今は自分の選択でザンビアにいて、任期は2年間。任地で自分でなんとかできることは、落ち着ける場所を作ること、できる仕事を見つけること。だから首都滞在中に家を快適にするためのものや食材を大量に購入し、活動のための準備をしてきた。任地から首都に向かうとき、帰ってきたら自分の家に移り住めると言っていた大家さんの言葉を少し信じていた。そして、大家さんと連絡を取ってくれていたJICA職員からも壁の塗料が乾けば入居できると伝え聞いていた。期待はしていなかったけど、信じたかった。

でも案の定、家は未完成。とても数日以内に移り住める状況ではなかった。また裏切られた...

家を快適にすることへの意欲、活動への意欲、すべてがガタガタと崩れていく。 大家さんに対し怒る気力さえも湧かない。そして怒れない自分にも嫌気が差す。

間借りしている家に不満があるわけではない。電気は使えるし、水道から水はでるし、食事も出してくれる。

でも家具はベッドだけで、机も椅子もないし、好きなものを好きなタイミングで食べられないし、大家さんが流している爆音のザンビアミュージックが響き渡る。

期間が決まっているなら待てる。でも延期延期延期延期延期が繰り返され、もう2カ月が過ぎた。

私がここにいる理由が欲しい。待ってくれる人や会いたい人、行きたい場所や落ち着ける場所、やらなければいけないことやできる仕事。すべて自分の思い通りに作り出せることではない。だからせめて落ち着ける場所が欲しい。

日本では自分でなんとかできたことが、他人の手に委ねられている状況は想像以上に苦しい。

こんなに毎回毎回負の感情を綴っていて、『帰ってくれば?なんでアフリカなんて行ったの?やめればいいのに?結局後悔してるじゃん?』という外野からの声が聞こえてきそうだ。でもザンビアに来たことで気づけたこと、分かったこと、ここに来なかったら知らなかったこと、思わなかったことがたくさんあるから、ザンビアに来たことに後悔はない。負の感情と失敗ばかりの2年間になったとしても、それも立派な財産になると確信している。

いい思い出と成果を持ち帰れたら尚よしなのは言わずもがなだけど、そうならなくてもそれはそれでいいのかな、と思い始めている。

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