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村上春樹『街とその不確かな壁』を読む 海外文学と音楽 プレイリスト付き 後篇

 村上春樹さんの新作小説『街とその不確かな壁』に登場する海外文学や音楽について取り上げるシリーズの後篇です。ストーリーなどにはできるだけ触れないようにしています。

ヴィヴァルディ『ヴィオラ・ダモーレのための協奏曲』(イ・ムジチ合奏団)

 主人公が FM放送で聴く曲。
 ヴィヴァルディはヴェネツィア出身、バロック後期の作曲家。小説では、ヴィヴァルディが二百年間忘れられた作曲家だったという話が語られます。バッハがメンデルスゾーンによって再発見された話は知っていたのですが、ヴィヴァルディも再発見された作曲家だったんですね。

 ヴィオラ・ダモーレは、ウィキによると「バロック時代、特に17世紀の終わりから18世紀の前半に用いられた、6ないし7弦の演奏弦と同数の共鳴弦を持つ擦弦楽器」。
 共鳴弦を持つ擦弦楽器といえば、ノルウェーの民族楽器であるハーディングフェーレが有名で、『ロード・オブ・ザ・リングス』はじめ映画のサントラで時々使われています。綺麗な音色だなと思っていたのですが、ハーディングフェーレはヴィオラ・ダモーレから派生した楽器だそうです。

 小説内でこの曲を演奏しているイ・ムジチ合奏団は「ヴィヴァルディといえばイ・ムジチ」という感じの弦楽合奏団なのですが、ヴィオラで代用しているのかな。Spotifyにはヴィオラ・ダモーレを使った演奏もあって、とても良かったです(プレイリストにはイ・ムジチ演奏『ヴィオラ・ダモーレのための協奏曲 ニ長調』の第一楽章を入れました)。

アレクサンドル・ボロディン『弦楽四重奏曲』

 これもFM放送で流れる曲。主人公が自宅で聴いています。
 当時のロシアでは、ボロディンが音楽家としてより化学者として有名だったという話がラジオの解説者により語られます。ウィキによると、化学者として忙しすぎたので、有名なオペラ『イーゴリ公』も完成させることができず、ボロディンの死後にリムスキー=コルサコフたちが補筆したそうです。
 また、主人公は、ボロディンといえばロシア五人組の一人だけど、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ…と考えて、あと二人が思い出せません。ロシア五人組を思い出せないことが単なる物忘れなのか、他の理由によるのかは小説内では明かされていません。単なる物忘れかな。私も残りの二人を思い出せなかったので。中学か高校の音楽の授業で覚えたはずなのですが(ネットで調べたらバラキレフとキュイでした)。

 ボロディンは弦楽四重奏曲を二曲書いていますが、「滑らかな旋律と、優しいハーモニー」と主人公が言っているので、プレイリストには弦楽四重奏曲第二番の第一楽章を入れました。クラシックの作曲家でメロディーメーカーといえば、ドヴォルザークと並んでボロディンの名前が浮かぶぐらいに、とても綺麗な曲を作る人だと思います。

ジェリー・マリガン『ウォーキン・シューズ』

 カフェで流れる曲。「ピアノレス・カルテットでの演奏、トランペットはチェト・ベイカーだ」と主人公は思い出します。マリガンはバリトンサックス奏者・作曲家・編曲家で、この曲もマリガンの作曲です。

ガルシア=マルケス『コレラ時代の愛』

 ある登場人物が読んでいる小説。主人公は、出版された頃に読んだそうです。
 ガルシア=マルケス(1928~2014)はコロンビアの作家で、1982年にはノーベル賞も受賞しています。『コレラ時代の愛』は『百年の孤独』と並ぶマルケスの代表作で、映画化もされています(ハビエル・バルデム主演)。前にも書きましたが、個人的には二十世紀後半最大の作家だと考えています。
 村上さんの小説では、『TVピープル』でも主人公がマルケスの小説を読んでいます。マジックリアリズムの小説を読んでいるうちに、主人公のまわりでも不思議なことが起き始めて…という話でした。
 『街とその不確かな壁』では『コレラ時代の愛』の文章が引用され、登場人物がこう語ります。

「彼の語る物語の中では、現実と非現実とが、生きているものと死んだものとが、ひとつに入り混じっている」と彼女は言った。「まるで日常的な当たり前の出来事みたいに」
「そういうのをマジック・リアリズムと多くの人は呼んでいる」と私は言った。
「そうね。でも思うんだけど、そういう物語のあり方は批評的な基準では、マジック・リアリズムみたいになるかもしれないけど、ガルシア゠マルケスさん自身にとってはごく普通のリアリズムだったんじゃないかしら。彼の住んでいた世界では、現実と非現実はごく日常的に混在していたし、そのような情景を見えるがままに書いていただけじゃないのかな」

村上春樹『街とその不確かな壁』

 「マジックリアリズムと呼ばれてはいるが、彼にとってはこれがリアリズム」という話は、ガルシア=マルケスの読者なら誰でも理解していることだと思います。村上さんは、この会話を通じて、登場人物たちの世界との向き合い方を説明しているのでしょうか。

 ガルシア=マルケスの長編小説は、分厚い単行本&南米のややこしい人名のせいでとっつきにくい印象がありますが、読んでみると、ストーリーが非常に面白く、作品世界に引き込まれます。村上さんの長編小説がお好きな方は、ガルシア=マルケスの小説にもはまる確率が高いと思います。

  こちらもおすすめ。


スカーレット・オハラ

 主人公とある登場人物の会話で言及されます。マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』のヒロイン。映画では、ヴィヴィアン・リーが演じています。村上さんの小説では、「スカーレット・オハラの時代でもないし」と話していますが、これはスカーレットの時代(南北戦争前後のアメリカ南部)には、女性たちがきついコルセットを着けていたことを意味します(当時のコルセットはウエストを細く見せるために着用した)。映画でも、スカーレットがメイドに手伝ってもらってコルセットを締め付けるシーンがあります。


エーリッヒ・ショイルマン『パパラギ』

 ヨーロッパを訪ねたサモアの酋長が島民たちに西洋文明を語って聞かせた話という体をとっていますが、実際にはショイルマンによる創作だそうです。小説内では、この話に出てくる寓話をもとに、ある登場人物が自分たちの置かれた状況について説明します。
 私は知らなかったのですが、日本語訳のKindle版が発売されていたり、Amazonのレビューも二百近くあったりと、かなり人気の作品みたいですね。


 以上、二回にわたって、村上春樹さんの新作小説『街とその不確かな壁』に登場する海外文学や音楽について書いてみました(次回はエピグラフとして使われているコールリッジの『クブラ・カーン』について、ネタバレありで取り上げる予定です)。


プレイリスト。前篇に書いた曲も含みます。
 


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