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『海辺のカフカ』を読む 前編

 『海辺のカフカ』を読み終えた時、「今のところ、村上さんの長編で一番好き」とツイートしました。
 少し時間を置いた今は、『世界の終わりと…』&『街とその不確かな壁』も好きだし(二作で一作と勝手にカウント)、『ダンス・ダンス・ダンス』や『国境の南、太陽の西』もいい、それに『ねじまき鳥クロニクル』は別格の作品だよねなどと考えて一作に絞れなくなったのですが、あの時は『海辺のカフカ』という小説の凄みと奥深さに圧倒されてしまったのです。

 前にも少し触れましたが、村上さんの小説に登場する人たちは、私とは共通点が少ないです。それなのに、なぜか我が事のように夢中で読んでしまう。そこが村上さんの小説の強みだよなぁとよく思います。
 でも、『海辺のカフカ』は、親や社会との間に鬱屈を抱えた少年が主人公ですよね。前回「カフカの『変身』など」に書いたように、私自身も同じ鬱屈を抱えていたので、他の小説以上に我が事のように感じた、という面もあると思います。
 ただ、鬱屈を抱えた少年の登場する小説は少なくないし、若い頃はその類の青春小説を読み漁りました。あまりにも多く読みすぎたのと、自分が青春時代から遠く離れてしまったこともあり、最近では、少年を主人公にした小説にはそこまで入り込めません。
 それなのに、(ある意味、不覚にも)『海辺のカフカ』に強く心を揺さぶられたのは、この小説が神話的な色彩を帯びた作品だからだと思います。

    *

 若い頃は、古代ギリシアの作品群――ホメーロスの叙事詩や戯曲などで書かれる当時の人間観が理解できませんでした。
 古代ギリシアの作品では、人間の人生は予め定められています。例えば、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』に登場するアキレウスは、トロイア戦争で大活躍した後に、戦死すると決まっています。アキレウスは神に愛された英雄なのですが、神でさえ彼の運命を変えることはできません。
 英雄たちの戦死も、トロイアの滅亡も、神々でさえ変えることができない定めなのです。

 その定めを、予言・神託という形で本人やまわりの人たちが知ってしまうこともあります。『海辺のカフカ』で言及されるオイディプス王もそうです。オイディプスの父親は「お前の子どもはお前を殺し、お前の妻との間に子どもを作る」という神託を聞いて、生まれたばかりの息子を殺すように命じます。息子を殺して、神託から逃れようとしたのです。
 しかし、オイディプスは殺される代わりに山に捨てられ、人に拾われました。成長したオイディプスは、実の父親が聞いたのと同じ神託を聞くのですが、養父母を本当の両親と信じていたために、親元から離れれば神託から逃れられると考えます。
 神託から逃れるための行動が、結局、神託を実現させてしまったのです。

 若い頃の私は、「人の人生が予め定められている」とか「予言からは逃れられない」なんて、いったい何なんだと考えていました。人には意思があるのだから、何かに縛られるなんてあり得ない。ただ、昔は今より色々な面で不便や不幸が多かったから、こんなネガティブな人間観だったのかなとも考えました。

 でも、時を経て今の私は、人生には自分で決められることはそれほどないのだという気がしています(村上さんの小説にも、ときどきそんな人生観が登場しますよね)。アキレスやオイディプスの例は極端ですが、それにしても、ある程度定められたレールの上を歩くしかないのだと。
 意思や理性によって進む道を決める人もいますが、そうできない人の方が多いでしょう。理性があれば絶対にやらないような馬鹿げたことをしでかして、自分やまわりの人たちを損なう人たちを大勢見てきました。
 それに「予言や信託から逃れたいのに、逃れられない」という状態は、自分でも信じていない教えや伝統に縛られたり、尊敬しているわけでもない人の言葉を受け入れてしまったりといった話につながります。これも、よくあることではないでしょうか。

 『海辺のカフカ』の主人公・田村カフカの父親は、息子の未来を予言します。

僕は言う。「予言というよりは、呪いに近いかもしれないな。父は何度も何度も、それを繰りかえし僕に聞かせた。まるで僕の意識に鑿でその一字一字を刻みこむみたいにね(中略)お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになるって」(中略)
「それはオイディプス王が受けた予言とまったく同じだ。そのことはももちろん君にはわかっているんだろうね?」  
僕はうなずく。「でもそれだけじゃない。もうひとつおまけがある。僕には6歳年上の姉もいるんだけど、その姉ともいつか交わることになるだろうと父は言った」

村上春樹『海辺のカフカ』より

 少年は、オイディプスと同様に予言から逃れようとして、家を出ます。その一方では、自分が予言に縛られているのを感じ、それならいっそ予言を成就させてしまって、予言から解き放たれたいとも思うのです。
 望んでいないことに縛られるという状態は成人にも起きることですが、未成年には特に多いですよね。親の意思や言葉に縛られる状態。父親の予言に縛られるカフカ少年の姿が、親に言われるままの人生を送るしかない(意識してであろうと、無意識のうちにであろうと)若者たちに重なります。

 しかも、カフカ少年の父親の予言には、古代ギリシアの予言とは違う面があります。古代ギリシアの予言や神託には、人の感情などは入る余地がありません。でも、カフカ少年の父親は自分の望みを遂げるために、息子を予言で縛るのです。これも、よくある話です。自分のエゴのために、子どもの人生を支配しようとする親たちという。
 その意味でも『海辺のカフカ』は、田村カフカという一人の少年の物語でありながら、親や教師、社会の求めるままに生きざるを得ない、多くの若者の話にもなっていると思うのです。

 以前、森鷗外の『カズイスチカ』の感想文で書いたように、オイディプス王の「父殺し」は、様々な作品のモチーフになっています(感想文では、スターウォーズとカラマーゾフの兄弟を挙げました)。でも、「母と交わる」部分は省略されていることが多いです(スターウォーズでもカラマーゾフでも、母親は先に亡くなっています)。
 でも、村上さんはそこを省略せず、更に姉と交わるという予言も付け加えました。そのあたりを不快に思う方もいるかもしれませんが、私は、その部分を省略しなかったことで、『海辺のカフカ』がより凄みのある傑作になったのだと感じました。
 カフカ少年は父の予言、父の呪いを乗り越えることができるのか……。神話的、普遍的でありながら、田村カフカという一人の少年のパーソナルな成長物語でもある。私たちの想像力の限界を試す作品にも思えました。

 『海辺のカフカ』のもう一人の主人公、ナカタさんについても書きたかったのですが、長くなったので、彼については次回に。
 


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