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村上春樹『羊をめぐる冒険』 悪との対峙、大江健三郎さんなど 【読書感想文】 

 この小説、最初に出てくる耳の綺麗な女の子のエピソードには、あんまりのることができなくて。いったい、この子は何なの? と思いながら読んでいました。登場シーンの少ない元妻の方は、「こんな感じの女性なのかな」と思い描くことができたのですが。

 耳の綺麗な女の子には第六感のようなものがあり、主人公の冒険を導くことになります。でも、その役目はある時点で終わり、彼女は主人公の日常から消える。いともあっさりと。主人公にとって、彼女は何だったのだろう。都合の良い部分だけ利用して、冒険のステージが変わるとポイ捨て(主人公が捨てたわけではないけど、結果的にそうなった)。別に、女性が皆そうだというわけではなく、耳の綺麗な女の子がそれだけの存在だったのかもしれないけど、こうやって文字にしてみると、ちょっともやもやします。

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 といっても、女の子について書いてみたからもやもやするだけで、実際には、羊のパートの印象が強くて、彼女のことは忘れていました。
 「羊をめぐる冒険」パートは、すごく良かった。後で振り返ると、アニメやゲームなどによくある話だという気もするけど、読んでいる時には「どうなるのだろう?」と惹きつけられたし、読み終わった後には、物哀しい余韻にひたりました。

 悪(邪悪な存在、思念)に乗っ取られそうになった人が、悪を滅ぼすために自分を犠牲にする。普通は悪を何とかして外に出して、悪だけを滅ぼす、といったパターンが多いと思うけど(『ヴェノム』のように共生するパターンもある)、実際には悪ってそう都合良く滅びてくれるものではないから、鼠(主人公の旧友)は覚悟を決めたんでしょうね。

 鼠は、何と孤独な人生だったことか。もちろん、孤独で、何かを求め続け、時には大いなるものに身を任せたいとさえ願ったために、悪=羊にスキを突かれたのかもしれないのだけど。
 真性の憑依ではなく、洗脳といった言葉に置き換えると、私たちだって、鼠のようになる可能性はあります。そんな時、私たちはきちんと悪と向き合えるのか。

 以上は、鼠視点というか、素直な読み方の感想です。
 主人公視点で読んでみると、全く違うようにも読める作品でした。
 先日お亡くなりになった大江健三郎さんの小説『取り替え子(チェンジリング)』を思い出しました。この小説は『羊をめぐる冒険』よりも二十年近く後で書かれたのですが、親友の自殺の真相を追う主人公が幻想的な世界や陰謀論めいた世界をさまよう話なんですね。『羊』では親友の自殺を最後に知り、『取り替え子』では最初に知るという違いはあるものの、主人公二人の置かれている状況は、かなり似通っている気がします。

 だとしたら、大江さんが村上さんの小説にインスパイアされたのでは? と思われるかもしれませんが、『取り替え子』は、現実に起きたことがもとになった小説なのです。若い方はご存じないかもしれませんが、映画監督の伊丹十三さん…昭和末期〜平成初期、不況だった日本の実写映画界を支えていた方、宮本信子さんの夫、池内万作さんのお父上、という方なんですね(十三さんのお父さんも、戦前の有名な映画監督だそうです)。

 大江さんは、伊丹監督とは高校以来の親友で、妻のお兄さんという間柄でもある。大江さんの小説の中では、ご本人がモデルになった登場人物は「生活力ゼロ、小説しか書けないダメ男」と設定されることが多いのですが、伊丹さんの方は万能型のスマートな天才、どうやっても追いつけない親友と描写されています。
 そんな親友が突然、自殺してしまう。マスコミで流れた自殺の理由は、大江さんにはとても信じられない。
 『取り替え子』を読むと、親友の死を受け入れるために、大江さんがこの小説を書いたのではないかと、作品の奥にあるものまで感じずにはおれません。

 それと同じように、羊をめぐる冒険は、主人公にとって、必然的なイベントだったーー逆説的ではあるけど、親友の死を受け入れるための通過儀礼だったようにも思えます。
 主人公が鼠の死を知るのは、冒険の最後なのだけど。とはいえ、無意識のうちに鼠の死を予感していたのかもしれないし(悲しいことだけど、若くして亡くなったと聞いても、それが驚きではない人って、いますよね)、小説に書かれたことが本当のことなのかどうかも、わかりません。

 村上さんの長編小説は、『多崎つくる』→『騎士団長』→『1Q84』と読み、今は『風の歌を聴け』から発売順に読んでいる最中なのですが、『騎士団長』や『1Q84』では、小説内の出来事が主人公の妄想ではないことが、無関係の第三者の言動等で明示されています。
 でも、『羊をめぐる冒険』では、一応、黒服の男などがからんではくるものの、現実と主人公の妄想の境目が曖昧です。羊男は、鏡に映らないみたいだし。最後の事件も、本当に起きたかどうか、主人公は確認していません。
 鼠は、本当に大いなる存在に乗っ取られかけたのか、あるいは、主人公が親友の死に大きな意味を与えたくて、鼠との会話を妄想したのか…。

 妄想であれ、現実に起きたことであれ、冒険を通じて、主人公は親友の死と自分の過去を受け入れて、新たな人生を始めるのでしょうか。Amazonのショッピングサイトが『ダンス・ダンス・ダンス』を羊四部作の四冊目と教えてくれたので、まだこれで終わりではないのだなと既に理解しているわけですが。

 
 

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