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【読書感想文】 川端康成『山の音』

 川端康成の小説を初めて読んだのは小五か小六の時です。当時は、中学受験界にSAPIX(大手の塾です)が参入する前だったので、受験勉強用のメソッドが確立されていなかったんですね。国語は漢字や熟語・慣用句などを暗記して、あとはひたすら名作と言われるものを読むだけでした(私は暗記が嫌いだったので、本を読むだけでしたが)。
 川端は『伊豆の踊り子』と『雪国』を読んだはずです。『古都』も読んだかも。小学生には早すぎる内容ですよね。自分や自分の親に似た人たちの話を読むだけでは世界が広がらないのは確かですが、だからって、中年男と芸者の淡い交わりを読ませるのも……。
 『伊豆の踊り子』は『雪国』よりは理解できましたが、「だからなに?」という感じでした。当時読んだ本は、親との縁が薄い青年の話が多かった。下村湖人『次郎物語』や井上靖『しろばんば』など。親の愛を知らずに育ち、寂しさを抱える青年の話には、飽きがきていたのかもしれません。

 伊豆が舞台の小説なら、松本清張の『天城越え』の方が面白いのに、と思ったものです。『天城越え』はほろ苦青春ミステリーの傑作だと思います。映画化もされているみたいですが、ちょうど同じ頃にNHKのドラマを再放送で観て、とても感動しました(作者の松本清張がカメオ出演していたのをよく覚えています)。

 そんな具合に、小学生の私にとっては、川端康成は印象に残らない作家だったのです。その印象が長年続き、再び手に取る気になったのは一昨年でした。中村真一郎さんの評論『この百年の小説』に載っていた解説に興味を持ったのと、村上春樹さんが「日本の国民作家」に挙げていらっしゃったので。
 
 中村真一郎さんと村上さんの影響で読み始めた川端康成。最初に読んだのは『みづうみ』です。この小説はとても良かったです。正直言って主人公は変態、というか犯罪者でさえあると思うのですが、幻想的な雰囲気のおかげで不快にもならず、主人公の心理に引き込まれました。自分には全く縁のない性癖なのに、読んでいる間は怪しい中年男になりきっていました。
 といっても、『みづうみ』は他人にはすすめにくい。当時、同年代の方に「ちょっと無理でした」と感想をいただきましたが、そりゃそうだろうと思ったものです。多分、私は若い頃に暴力的・反社会的なミステリー小説ばかり読んでいたので、そういう面に鈍くなってしまったのでしょう。

 次に読んだのは『千羽鶴』。『みづうみ』より前に読んだなら、「あれ、川端って案外面白いな」と思えたはずですが、『みづうみ』の後では、美しくはあるものの、怪しさが足りないように感じてしまって。川端の書く女性は理想化され、幻想の中に住んでいますが、この小説では女性が本人の言葉で語る箇所があるせいで、かえって魅力に欠ける女性像になってしまった気がします。

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 その次に読んだのが『山の音』です。この小説は今のところ、私にとっての川端の最高傑作です。私は谷崎潤一郎の大ファンなので、「谷崎があと三年長生きしていたら、日本初のノーベル文学賞受賞者は谷崎になったはず」と常々考えていました。作家として、川端康成よりも谷崎の方が上だと思っていたのです。
 でも、『山の音』は本当に素晴らしい。幻想的でありながら、リアリズムを追求した作品でもあり、主人公を通して老いや喪失、哀しみを我がことのように感じました。若くして亡くなった初恋の人の記憶、息子や娘とのすれ違い。主人公の感情は深いーーそれでいて、その感情にとらわれることなく、淡々と日々を生き、小さな出来事に楽しみを見出しています。それが何ともリアルで、「人って、こんな風に生きていくんだよなあ」と身につまされました。

 中国で川端康成がブームだというニュースを読みましたし、サッカーの浦和レッズにいるショルツ選手も川端のファンだそうです。『山の音』を読んだ後では、そうしたニュースが当然のことに思えます。極めて日本的なものを書きながら、人間の本質を深く捉えた作家ーー川端康成が時代や国を超えて読み継がれる作家であることを実感した作品でした。

 
 


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