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愛した人(短編小説 3 )

(あらすじ → 5年前に亡くなった恋人、隼人が
かつて住んでいた住居を、美紀が訪ねると……。
そこには、隼人そっくりの住人がいた。
イヤ、そっくりというより、隼人本人? に
見えたのだが……)



長い抱擁の後、美紀を抱き締めていた手を緩めると
隼人は言った。
「本当に久しぶりだね」

「うん、そうね……」

(だって、あれからもう5年よ……)

2人はひとまず、ソファーに並んで腰かけた。
ベージュ色の革張りのソファーは、程よい柔らかさで心地よい。

(このソファーに座るのも、久しぶりだわ)

ソファーの前には木目調のテーブル。そして、グレーの絨毯。壁にはミュシャの絵画が掛けられている。以前と変わりない。最低でも、週に1回はここに来ていた。隼人と過ごす時間は、美紀を心身ともに癒した。

ショパンのピアノソナタは既に、第4楽章へと進んでいる。抑揚のある激しい旋律に、美紀は聞き耳を立てた。ドラマチックに盛り上がり、ラストに向かう第4楽章が一番気に入っている。今日、ここでこの曲を聴くことになるとは、想像することすらできなかった。

隼人と話したいことは山ほどある。
何から話せばいいのか……。

「ねぇ」
「美紀……」
同時に声を発した。
2人は顔を合わせ、クスッと笑った。

「ねぇ、私、夢を見てるのかしら? 隼人が生きてたなんて」

「美紀、何言ってるの。僕はこの通り、生きてるし元気だよ」

「でも、隼人、交通事故で死んじゃったのよ……」

5年前、隼人は同僚の送別会に参加した後、信号を無視した車に跳ねられた。即死だった。容疑者は未だに分からず。
共通の知人から連絡が入り、隼人の死を知った。

「僕が死んだ? そんな、すぐにばれるような嘘、いったい誰が言ったの?」

隼人は驚きを露わにしている。

「沢井さんよ。彼も送別会に参加していて、隼人が事故にあって亡くなったと、連絡があったの」

沢井は隼人と仲が良い、同性の同僚だ。
以前、隼人が勤務する食品卸会社で、美紀は短期のアルバイトとして働いていた。隼人とは自然に仲良くなり、やがて付き合うようになった。そのことは沢井も知っていた。

「沢井が? 彼がそんなこと、美紀に伝えたの?
随分と悪い冗談だなぁ。何でまた、そんなことしたんだ」

隼人は苦笑いをした。

「仮に、もし僕が死んでたら、こうやって美紀と話したり、触れたりできないよ」

「うん、そうなんだけど。でも私、隼人の骨、確かに拾ったのよ。この手で」

「骨? 僕の骨を拾ったって? どこで?」

「斎場に決まってるじゃない」

「美紀、いったいどうしちゃったんだよ。久しぶりに会えたのに、何でそんな趣味の悪い冗談言うの?」

隼人は半ば呆れてはいるが、親しみを込めた笑みを美紀に向ける。

目の前にいる隼人は、まるで生身の人間に見える。

(ちゃんと足もあるし……)

でも、隼人が死んだのは事実だ。
隼人の棺が焼却炉に入れられるのを、ちゃんと見届けた。扉が閉められ、着火音がボ〜っ、と響き渡ると美紀は耳を塞いだ。後から後から、涙が零れた。
まだ将来の約束をしていたわけではなかったが、
心底愛していた。
やっと巡り逢えた大切な人だった。

(でも隼人が生きてるということは、隼人が死んだという夢を見ていたってこと? まさか、そんなこと……。それとも、死んだけど生き返ったとか?
そんな、ホラー小説みたいなこと、あるわけないでしょう) 

美紀が無言でいると、隼人が問いかけてきた。

「美紀、もう冗談はいいよ。それより、何で音信不通だったの? メールも電話も応答しないし。
嫌われたのかな? って思ったよ」

「えっ? あっ、ごめんね。ちょっと、いろいろ忙しくて……」

メールも電話も届いていないが、とりあえず話しを合わせる。

「美紀、寂しかったよ」

隼人は美紀を抱き寄せ、そっと唇を重ねる。
同時に、ピアノソナタの第4楽章が終わった。
華麗な余韻を残しながら……。


      つづく





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