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ティール組織という神秘的な組織

初めて“ティール組織”という言葉を知ったのは1年半くらい前だったと思う。

会社の組織に居心地の悪さを長年感じ、なんとかこの状況を打破できないかと思っていた。マネジメントや組織論に関するネットの記事を読み漁っていた時期だった。
下っ端平社員にできることはほとんどないのだが、どうしても勉強せずにはいられなかった。そんな折に見つけたのが“ティール組織”というものだった。

全ての人格を預けられる組織…!?
そして自主的...?な、なんて魅力的なんだ!

ネットで読める無料の記事もあるけれど、やっぱり本も読んでみたい。
と思って近所の図書館で借りようと思ったら予約で7人待ち!まじかよ。

もう少し人が少なくなってから予約しようと思って待っていたが、いつになっても7人待ち…これは行列に並ぶしかない、ということで予約を申し込んだのは2019年12月だった(遅)。

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“ティール組織”なるものを知って、それに大きな可能性を見出していた去年のあの頃。閉塞感溢れる職場を変えてやろう!と思っていたあの頃。

時は流れ、2020年8月。


あの頃一人で悶々と考えていた当の組織の会社は辞め、私は新しい職場に転職していた(経緯は過去note参照)。

順番が回ってきてようやく手にしたこの本を読み始めてみると、当時描いていた希望や期待とは異なった感情をまず覚えたのだった。

「…特に目新しいことがない…」

いたって普通の、常識的なことしか書いていないような気がする。むしろ常識的な態度を、ここまで懇切丁寧に言語化して説明してるねすごい!という感覚。

その理由はわかっている。

1年で、私の考え方、思想の土台が変わって、筆者の考えに既に寄ったからだ。今の社会状況で常識的な判断をしながら組織を作っていこうとするとこうなるのも不思議ではない。

私が言語化できなかったことを、懇切丁寧にわかりやすく言語化すれば、概ねこの本のような感じになると思う。私がやればニュアンス的にはもっと暗くなるところだが、いろんな人に伝わりやすい今風の表現をすればこんなふうに未来志向的な本になるのだ。

ところが私ときたら…ここ1年くらい、未来志向的な言説に心躍ることなく、どんどん意識重い系になってるときた。

このような理由から、全ページをくまなく読むことはできなかった(言い訳かw)。私の次の予約が埋まっていたので、貸出延長はできずにきっちり2週間しか借りることができなかった。なので、最初と最後の部分をメインに、ざっとみた感想を述べたいと思う。

まず、この本を読むにあたり念頭に置かねばならないことは、ここに挙げられている組織の例(進化型、多元型、順応型等)は、一方通行矢印に連なってモデル化されてはいるが、下位が悪く、徐々に良くなっている(近代的にいうと「進歩」している)というのは間違いであるということだ。筆者も随所で述べている。これは自分への戒めも込めている。

この考え方は好みである。

全くその通りで、私も読者が短絡的な思考に陥ってこの本を誤って理解することを恐れている←何様

ティール組織最先端!最高!ではない。

あと、ビジネス書特有の断定的かつ未来志向的な内容の後に、それを陰で支える土台の存在を同時に指摘しているように見受けられる点も良いと思った。

ついわかりやすい良い方ばかり見てしまうが、ものごとにはある意味それの存在証明ともいえる悪い方(オポジット側、磁石のN極とS極のように、一方が無いと一方が成り立たないようなもの)を意識することで、良い点を生かし切り、全体性を獲得していくことにつながる、と。

孤立した概念だけでは不安定なのだ。

私はここに書かれている内容について、福田恆存を通じてわりと真剣に考えていたこともあって既視感を覚えたのだ。

が、内省の趣味や、何かについて意識的に考え続けることを無意識にやっていない人たちにとっては未知の世界だろうし、理解しえない世界の本かもしれない。合わない時は合わない。今すぐ別の本に乗り換えよう←

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さて、これは自論になるが、おそらく人間というものも、組織というものも、あらゆる能力を備えていると思われる。

人あるいは組織の個性や特性というものは、あらゆる能力のどの部分が強く発現するかの違いであり、皆はあらゆる能力を既に持っている。そして、個性は自分を抑える枠(他人との関わり、社会とのかかわりなど外部とのかかわり)にぶつかって初めて認識されるものである。

このように考えると、あらゆる組織は、どのパラダイム(進化型も神秘的も順応型もその他もすべて)を包含している状況によってどのパラダイム要素が強く出るか、それだけである。

むしろこの本で組織化以前の状態とされている「神秘的な組織」の状態を、言語で明確にしているのが進化型組織なのではないかとさえ思えてくる。

ティール組織は別に特別なものではない。
ずっと前からあったし、書き言葉もない時代からあったので神秘的と括られているが、その内実はティール組織に近いものだったのではないか。

1年半前の私が読んだらえらく感動して「目からウロコ!」「これからはティール組織の時代!」とかってなっていたかもしれないけれど、今は「いたって普通の、常識的な組織の在り方を示している」というふうに捉えている。そして、自分の全体性を発揮できる場所はどこにでもあるわけじゃないだろう。

だからティール組織で誰もが自由に!とか優しいものではなく、様々な組織、集団の共生しか自然なのだ。画一化ではない。

みんな平等でユートピアな世界、ではなく、しかるべき場所で生きることである。

ラルーの経済観、歴史観は私のそれとはわりと異なる(私は自分の方が妥当だと思っている頑固者です)と思ったけど、組織論は概ね賛同できた。

後は具体的な頁とコメントを載せてこの記事を終えたいと思う。ここまでお付き合いしてくださりありがとうございました。


最後に、『ティール組織』を翻訳した鈴木立哉氏がこの本を翻訳するに至った経緯を書いたブログを紹介したいと思う。確か2020年頭にティール組織のツイートしたら鈴木氏本人から返信があり、あるブログの記事を紹介されたのだ。こんな一般人のティール組織のつぶやきにコメントしてくださるとはよほど思い入れのある本なのだろう。そんなことがわかるブログだった。

ある本が世に出るまでは、こういう物語もあるようだ。
一人一人が劇的な人生である。

本当の目利き ー 『ティール組織』(原著)を発見した人 - 金融翻訳者の日記

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p.51 達成型の陰

イノベーションの行き過ぎについて言及されていた。
これはまさにそう。基本的欲求の大半が満たされると、企業は次第にニーズを作り出そうとし、私たちが本当には必要としていないものが増えるほど幸せになれるという幻想を人々の間に膨らませようとする...実体経済を異常に上回ったまさにバブルの状態。本当に必要な生活インフラの整備は放置し、実体のない投機的な市場に注目してしまう全体感の無さ。

まあ、それ自体をゲームとして楽しむ人種がいるのでそういう人たちにはいいんでしょうけど。そういうのに乗らないのが常識的な人だと思う...って本筋とは関係ない話ですが。


p.64 第Ⅰ部 第2章 発達段階について

巻頭カラーの組織モデルの印象や進化という言葉のイメージから、「進化とは必ず良くなるものである」という認識で物事を見てしまうことへの警鐘。私たちはついそのような単純な見方をしてしまうが、筆者のこの考えは本書を理解するうえで重要だと思う。故に、ティール組織が最上の組織形態という誤認は絶対してはならない。筆者もこのような浅薄な単純化を随所で戒めている。

人はある特定の瞬間に、ある一つのパラダイムに「基づいて行動している」。これはその通り。すべての組織はあらゆるパラダイムを包含しているものであり、条件によって出現するパラダイムの割合が変わるというのが私の認識である。レッドがよくてアンバーが良い、というわけではない。

大事なのは、今自分たちの組織がどういう状態であるべきかを考えているかどうかだと思う。

盲目的であってはいけない。ものごとは実践的(プラグマティック)になすべし。


p.73 第Ⅰ部 第3章 進化型(ティール)

この章は重要だと思う。と、同時に、この手の内容であれば私的には福田恆存その人の言葉を手引きに考えていた。

今時のビジネス書だとおそらくこういう未来志向的な文章が流行るのだろうけど、どうにもならない不自由(エゴも含む)から出発した福田の文章の方が地に足付いてる感じ(にもかかわらず、未来志向)で私の好みのリズム、というだけである。

エゴは前提である。あるものはある。その扱い方を、教養と呼ぶ。

「内面の奥底」は「エゴ」ではないか?それを自覚しないでエゴに埋没することを恐れると、いつか自己欺瞞に陥るのではないだろうか。

補足するなら、p.75にあるような「この判断は正しそうか?」「私は自分に正直になっているか?」だってエゴではないか?

だから、エゴは前提であるということを自覚しないといずれ自己欺瞞に陥ってしまうと思うのだ。

ああ、あまりにも頑固すぎて、福田の言葉を通じないと世界を理解できない体になったようだ←

意識重い系の世界にようこそ。エゴイズムは型におさめるもの。