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スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(128)


前回:スポットライトが見えずとも~上総台高校アクター部がいる!~(127)





 出番を終えた晴明が、呼吸を整えてから講堂の外に出ても、まだキャンパスは混雑していた。その賑やかさはバケツをひっくり返したような雨にも似ていて、自分たちの文化祭との規模の違いを晴明に思わせる。

 サークルが出店している屋台からは、ソースの焦げる香ばしい匂いが漂い、屋外で演奏しているバンドの前には、人だかりができている。

 参加する誰もが学園祭を楽しんでいるようで、上総台では考えられないなと晴明は感じた。ぼんやりとだが、初めて大学生活をイメージしたりもした。

「どうする? 教室の方には漫画や映像といった文化系のサークルの展示もあるけど、そっちも見てく?」

 晴明たちが初めて見る光景に改めて倒されていると、片桐が訊いてきた。構内図をざっと見ただけでも、三〇分ではとてもすべてを回れそうにない。

 芽吹が三人を代表して、「いえ、ここで大丈夫です」と答える。出店は道の両脇に一〇店以上も出ている。食べ物だけでなく、射的やスーパーボールすくいといった夏祭りを連想させる出店もあって、退屈はしなさそうだった。

「そっか。じゃあ、もし行きたいとこがあったら、また声かけてね」

 それからは片桐の案内で、三人はキャンパスを巡った。

 桜子や芽吹は出店を巡り、射的を楽しみ、わたあめができるところを見て浮かれていた。二人とも長身で目立つから、もっと控えめに行動してほしいという晴明の思いもなんのその。童心に返ったかのように、学園祭を満喫していた。

 キャンパスにはいくつかクイズも貼られていた。全てに正解すると、景品がもらえるらしい。なぞなぞみたいなクイズを解こうとする桜子たちの傍らで、晴明は学園祭を完全には楽しめていなかった。少しは気分が浮かれはするものの、それも片桐が隣にいるとすぐに沈下する。

 しげしげと桜子たちを眺めるこのOBを晴明は、申し訳ないが苦手だなと思わずにはいられなかった。

 出店で買った食べ物で、晴明たちが遅めの昼食を摂っていると、ベンチの後ろからギターの歪んだ音色が聞こえた。エッジの効いたイントロを桜子は知っていたようで、急いで焼きそばを食べ終えて、「見に行きましょうよ!」と言う。

 歌が始まると、芽吹もピンと来たらしく、手にしていたフランクフルトをあっという間に食べ終えた。三人の視線が自分に向いていたから、晴明も押されるようにお好み焼きを食べ終えて、ベンチを立つ。

 四人で向かった校舎の横には、既に五〇人ほどの人だかりができていて、曲がサビに入ったのか手を挙げてまで、リズムに乗っている人もいる。

 晴明たちは、その最後尾に立った。だけれど人だかりに隠れて、晴明からは演奏している人のほんの頭ぐらいしか見えない。知らない曲だからそれでもよかったが、そんな晴明を桜子は慮ったようで、「ねぇ、ハル。前の方行こうよ」と声をかけてくる。

 だけれど、こういった人だかりが苦手な晴明にとっては、それはありがた迷惑でしかなかった。

「いいよ。俺はここで見てるから。それにお前が前に行ったら、後ろの人は迷惑だろ」

「それは、ちゃんと屈むから大丈夫だよ。ハル、よく見えないでしょ」

「いいよ、別に見えなくても。そんな興味ある曲じゃねぇし」

 「そっか」とあっけなく桜子は晴明を誘うことを諦めて、代わりに芽吹に一緒に前の方に行こうと持ちかけていた。芽も二つ返事でOKしていて、二人は人の隙間を縫って、前の方へ向かっていく。

 一応腰をかがめて、後方の人の迷惑にならないようにはしていたが、そこまでして学生バンドの演奏を聴きたいのかと、晴明は少し疑問に思った。

「どう? 似鳥くん、学園祭楽しい?」

 片桐の目は、はっきりと晴明に向けられていた。演奏しているバンドメンバーからも、顔を逸らしているのは見えていることだろう。

 だけれど、片桐はそんなことはお構いなしに、晴明に話しかけていた。実行委員を前にしては、否定的な返事は晴明にはできなかった。

「は、はい。楽しいです」

 オウム返しのような晴明の返答に、片桐は大きな疑問を持たなかったらしい。「そっか。ならよかった」と軽く流している。晴明がどれだけ気を遣っているか、気づいていないみたいに。

 いや、もしかしたら片桐はそれを承知の上で、晴明を和ませようとしているのかもしれない。

 少し緩んだ表情から、晴明は片桐の思惑を読み取れなかった。

「似鳥くんは大学進学とか考えてるの?」

「い、いやそれはまだ……。というか、ライブ聴かないでいいんですか?」

「いいの。俺こういう音楽、そこまで好きじゃないから」

「……そう、ですよね」

 バンドメンバーが聞いたら、演奏を中断してまで文句を言いそうなことを、片桐は平然と言っていた。だけれど、バンドメンバーは一曲目を終えて、間髪入れずに二曲目に入っていたから聞こえていないらしい。

 それでも晴明は、演奏している人に失礼だなと思う。同じように思ってしまっている自分のことも、人知れず責めた。

「この前はごめんね。あんなこと言って。迷惑したでしょ?」

 まさか謝られるとは思っていなかったから、晴明は片桐の言葉をどう受け取ればいいか迷った。ここで「はい、迷惑でした」とは、口が裂けても言えない。

「いえ、そんな。急に表舞台から姿を消して、迷惑をかけたのは僕ですし。むしろ、僕の方こそごめんなさいですよ」

 ピアノをやめてから、周囲の期待を裏切ってしまって申し訳ないという気持ちは常に持っていたし、それはアクター部に入部してからも小さくはなっていたけれど、消えてはいない。晴明にとっては偽らざる思いだ。

 なのに、片桐は「そんなこと言わないでよ」と笑顔で否定するから、晴明の感情は行き場を失くす。

「俺たちファンにも、悪いところはあったと思う。神童だなんて一方的に持て囃して、似鳥くんの気持ちをまるで考えてなかった。似鳥くんを潰してしまったのは、俺たちにも責任があるから」

 片桐の言葉は、自分を思ってのものだ。そう晴明には分かっていたけれど、その一方でまったくの的外れだとも思ってしまう。

 まず、自分は潰れてなんかいない。着ぐるみに入って必死に汗をかいている自分を、潰れたなんて言ってほしくない。

 それに、晴明がピアノをやめた原因は、もっと内的なものだ。片桐たちファンとはあまり関係がない。知ったような口を利いてと、反感すら芽生えてくる。それを心の中だけに収めておくことは、晴明にはできなかった。

「片桐さんは、僕に何があったのか知ってるんですか?」

「ごめん、知らない。というか知る手段がないんだから、知ってるわけがないよ」

 深く考えることもせず、即座に答えた片桐に、晴明はひどく失望した。悪い言い方をすれば、見切りをつけたくさえなった。知らないなら、何も言わないでほしい。自分たちの事情に、首を突っこまないでほしい。

 サビに入った曲は大きな盛り上がりを見せ、今度はより多くの手が上がっている。桜子や芽吹も屈みながら、楽しそうにリズムに乗っている。

 晴明たちのことを振り返ろうとは、少しもしていない。

「片桐さん、前の方行きましょうよ。ここじゃ見えづらいです」

「でも……」と渋る片桐をよそに、晴明は人をかき分けて、桜子たちのもとへと向かった。楽しんでいるところに水を差されて、何人かに嫌な顔を向けられる。

 でも身体がぶつかっても、一度謝るだけで、晴明は深く気にしなかった。



 水曜日は一週間以上活動が続いていたので、部活は休みとなった。

 晴明たちはまっすぐ帰ることをせずに、千葉駅から東京方面へと向かう総武線に乗っていた。五十鈴や植田は当然仕事がある、部員のみでの外出だ。晴明は高校に入ってからというもの、千葉県の外に出るのは初めてだったので、妙な緊張を味わう。

 江戸川を越えて東京都に入ると、自分だけが場違いなように思えて、スマートフォンを見ていることさえ辛くなる。呑気に話している桜子たちが、信じられないほどだ。

 新小岩駅に到着すると、晴明たちは総武線から降りて、北口から目的地へと向かう。勝手の知らない街は、晴明にとっては遠く離れた異国にさえ思える。誰が見ているか分からない。

 晴明は身を屈めながら、四人の後についていった。

 上総台の制服は、この街では完全に浮いている。だけれど、前を歩く四人は特に気にしていなかったから、晴明はこんな風に大らかになれたらと思った。

 目当ての建物は、角を曲がる前から、晴明たちには見えていた。イソノ東京総合病院。この辺りでも屈指の規模を誇るその病院は、一〇階建てということもあり存在感は抜群だった。白と黒のコントラストが青い空に映える外観は、晴明に病院というよりもホテルに近い印象を与える。

 本来あまり来たくはなかったのだが、その病院はどこか洒脱な雰囲気を漂わせていて、晴明の緊張をいくらか軽減させていた。

 五郎が入院している病室は、五階にあった。四床あるうちの窓際右のベッドが、五郎が寝ているベッドだった。

 開院して五年も経っていない病院は、カーキ色の設備がいちいち真新しい。

 病室に入ると、気配を察知したのか、勝呂がいち早く五人を迎えた。数日ぶりに会った勝呂は目の下に隈ができていて、頬も少しやせたように晴明には見えた。                               

「皆さん、今日はわざわざこんな遠いところまで来てくださってありがとうございます」

「いえいえ、これくらいどうってことないですよ。それより勝呂さん、五郎さんは大丈夫なんですか?」

「ええ、今はだいぶ落ち着いてきました」

「そうですか」と渡が言って、五人は五郎のもとへと向かっていく。

 病衣を着て横になっていた五郎は、晴明たちを見ると、自然と顔を綻ばせて、ベッドから体を起こした。「そんな無理しないでください」と成が言っても、「大丈夫大丈夫」と言って聞かない。

 左腕には点滴が注されていたが、五郎の表情には無理している様子はなかった。

「来てくれてありがとね。わざわざこんな爺さんのために。遠かったでしょ?」

「いえ、そんなことないです。電車ですぐでした」

「五郎さん、お体の具合はどうですか? どこか調子悪いところはないですか?」

「全然大丈夫だよ。もう明日にでも退院できるくらい。ただ血圧が高すぎって医者に言われちゃったから、味の濃いものやお酒は控えないといけないけどね」

 晴明たちの質問にも、五郎は終始笑顔で応えていた。穏やかな表情には、心配させまいと気丈に振る舞っている様子はない。

 少し開けられた窓から、涼しい風が吹きこんで、シーツをわずかに揺らしていた。

「ところでごめんね。和己を俺にかかりっきりにさせて、部活に顔出せなくさせて」

「いえいえ。確かに勝呂さんがいないと不安ですけど、五郎さんの体調が回復するのが一番ですから」

「ありがとね。早いとこ退院して、また和己を君たちのもとへ送れるように、俺もできるだけがんばるから」

「親父、何をがんばるんだよ。医者からは安静にしてろって、言われてんだろ」

「だから、その安静にすんのをがんばるよ。じっとしてるのは苦手だけどな」

 晴明たちが来るまでたくさん話をしたのだろう。勝呂と五郎のやり取りは自然で、肩ひじを張っているようには、晴明には見えなかった。五郎が元気そうでいることに、晴明はとりあえず一息つく。

 芽吹や桜子も声をかけていて、五郎の周りは病室とは思えないほど賑やかだったから、他の患者から注意されないか晴明は少し心配になった。

「本当に、早く退院できるといいですね」

 ふと晴明からこぼれ落ちた言葉を、五郎は聞き逃さなかった。晴明に暖かい眼差しを向けてくる。その気丈さが、晴明の胸を人知れず締めつけた。

「うん。まあそれは俺じゃなくて医者が決めることだけど、俺も早く家に帰りたいよ。和己にも仕事があるのに、ずっと俺と一緒にいるわけにもいかないから」

「はい。僕たちも早く、勝呂さんには戻ってきてほしいです。今のアクター部に、絶対に必要な方ですから」

 晴明としては思っていることを言っただけなのに、五郎は目を細め、視線を向けられた勝呂は少し恥ずかしそうにしていた。

 隣のベッドからテレビの音が聞こえてくる以外は病室は静かで、言葉の輪郭を際立たせる。

「よかったな、和己。こんなにも必要としてくれる人がいて」

 照れくさそうに頷く勝呂。褒められることに慣れていないのだろうか。身体を少し縮こませている。

「いや、本当にありがとね。正直俺から見れば、和己はまだまだ未熟者だけど、教えることは教わる人間だけじゃなく、教えている人間にとっても勉強になるから。やっぱり君たちのもとに和己を送って正解だったよ。またこれからもよろしく頼むよ。ビシバシ鍛え上げてやってね」

 最後の一言が自分たちにはそぐわなくて、晴明たちは「はい!」と返事をしたり、大きく頷くことはできなかった。ただ、微妙に笑みを作るだけ。

 それでも、五郎は気をよくしたのか、大口を開けて笑っていた。ふと晴明が横目で見た勝呂は、父親のあまりの元気さに、少し戸惑っているようにも見える。

 だけれど、五郎はそんなことは気にせずに、三〇分の面会時間が終わるまで、体を起こしたまま晴明たちと話し続けていた。闊達な声は、本当に病人なのかと疑わしく思ってしまうほどだった。

 それでも、成や渡たちは飽きずに、最後まで五郎と話していた。五郎の周りは、陽気な空気に包まれている。

 晴明はふと勝呂を見た。ぎこちない表情は、まるで鏡で自分を見ているようだった。


(続く)


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