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おばあちゃんからの年賀状。

新年、おばあちゃんからの年賀状が届いた。

この一文だけ見ると、何を当たり前のことを、と思う方が大半だと思うけれど、わたしのおばあちゃんは特養(特別養護老人ホーム)に入所している。

そして、脳に病気があり、記憶がほとんどない。幾度の入退院で心臓はペースメーカー、足にはボルトとロボばあちゃんなのだ。


以前は年に2回ほどおばあちゃんの元を訪れていたが、高校生あたりから家族全員バタバタしており、なかなかおばあちゃんに会える状況ではなくなってしまった。

そうこうしているうちに、おばあちゃんが倒れた。

大動脈解離で、もう助からないかもしれないとも言われた。


けれど、懸命な治療とおばあちゃんの生命力により、おばあちゃんは助かった。
それから一度倒れたけれど、ペースメーカーでなんとか今も生きている。


おばあちゃんに会えない間に、おばあちゃんはすっかり弱ってしまった。

わたしだけは忘れないでいたい。そう思い、季節ごとに絵はがきを送りつづけていたが、仕事のストレスやプライベートでバタバタしていたこともあり、一度手紙が途絶えてからはなかなか送るタイミングを見失っていた。


そんな去年のある秋の日、実家に帰った時に母から驚くべきことを聞いた。

要約すると以下のような内容だ。

おばあちゃんから直接「寂しいから、声を聞かせてほしい」と電話があった。精神的に参ってしまっているらしい。「私なんて誰も覚えていないんだ」と、自暴自棄になりかけているとのこと。


それを聞いたわたしは、背筋に汗が伝う心地がした。

わたしが手紙を送るのを止めたことが、トリガーになってしまったかもしれないという可能性。

そして、返事のなかった手紙が、少なからずおばあちゃんの心のよりどころになっていたかもしれないという可能性。

この2つの可能性が浮上したのだ。


わたしは何を躊躇していたのだろう。

おばあちゃんは、わたしの手紙を楽しみに待っていたのかもしれない。

それを、裏切ってしまったのかもしれないのだ。


その日の帰り、わたしはクリスマスカードを買って帰り、しかるべき時期に送った。

そしてその後、年賀状も大晦日にポストに投函し、おばあちゃんが少しでも安心してくれるように願った。




そして、冒頭に戻る。

母が代表者であるため、年賀状は実家に届いていたけれど、確かにわたし宛ての年賀状だった。


思いもよらない便りに胸が躍る。

わたしは、とってもうれしかったのだ。

おばあちゃんが、手紙の返事をくれたことが。


しかし、その文言にわたしの心は少し陰ってしまった。

震える文字は、確かにこう綴ってあった。

「おべんきょう がんばってネ」


高校生あたりから会ってない、と前述したが、わたしは浪人時代にICUに入ったおばあちゃんに会っている。

でも、当の本人はきっと意識もままならず、わかっていなかったと思う。


空白の高校生時代を考えると、おばあちゃんの記憶の中ではわたしは良くて中学生、悪くて小学生で止まったままなのだろう。

ショックといえばショックだったが、会えていなかった自分にも落ち度がある。

ここで、「わたしはもう働いているよ」と伝えてしまうと、かえって混乱させてしまうのではないか、とも思うので、このまま黙っておくのが賢明なのか悩むところだ。

症状が進行してしまっている今、アップデートも難しいかもしれない。


何はともあれ、年賀状を送ってくれたのがおばあちゃんの意思なのか、ケアマネージャーさんの助言なのかはわからないが、それでも筆を取って年賀状を送る、というアクションを起こしてくれたのが嬉しかった。


しばらく手紙を送るのが遠のいていたが、先日再開させたクリスマスカードからおばあちゃんの何かが変わってくれたのであればそれでいい。


これからもできるだけおばあちゃんに手紙を送り続けることが、わたしに今できる最大限のことだ。


感染症予防の観点から面会が制限されているのもあるが、実のところ自分のことを覚えているのか怖くて、会いに行けないという気持ちもある。

でも、まだおばあちゃんの記憶の中に少しでもわたしが残っているうちに、そして元気なうちに会いに行きたいと思う。


それまでは、お手紙で。

おばあちゃんのことを覚えていられるのは、まぎれもなくわたしたちだけだから。

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