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「短歌と絵と」展とショートストーリーにまつわるエトセトラ

ARTHOUSE企画展
「短歌と絵と Vol.3 -揺れる三つ編み-」
無事に終了しました。ありがとうございました!
私は期間中に展示に足を運ぶことが叶わなかったのですが、
搬出の際に作品を拝見したり、作家さんやギャラリーオーナーさんとお話できて楽しかったです。

過去作の『ラブキリン』も額ごとお買い上げいただけて嬉しい限り。
この細長い額は、2014年にARTHOUSEさんで開催した個展「ミヤザキ秋のパンまつり」(我ながらふざけたタイトル)のためにふたつ購入したものでした。
それを2016年の第一回「短歌と絵と」でも使用し、その時に『星ぶどう』を中に入れた片方だけお買い上げいただき、私の手元から去っていきました。
そしてまた2018年の「短歌と絵と vol.3」で別の方のもとへ。
けっこうお気に入りの額だったのでなんだかしみじみしてしまいました。

歌人・高田ほのかさんの短歌によせて
ARTHOUSEゆかりの作家さんの作品が並ぶコラボ企画。

今回、私はこの↓歌からインスピレーションを得て絵を描きました。

よかったね、よかったよねって受話器もち
I LOVE HERで繋がるふたり

それぞれ雰囲気の違う女の子が、
同じ少女漫画を読んで盛り上がり夜中に長電話してしまう…という解釈。
のちにこれをもっと膨らませて、ショートストーリーを綴ってみたりもしました。思いの外リアクションをいただけて嬉しい。

幼少期〜思春期の女の子の、ジェンダーにまつわる悩みなどを語ったお話。
「最後に創作って書いてあって驚いた(自叙伝だと思って読んでいた)」
というコメントを複数いただきました。冒頭からそれを狙って書いていたのでそう読んでいただけて光栄ですが、実際に似たような体験をしている人が確かにいるということでもあると思います。
「自分の経験を振り返りながら、わかるわかるって思いながら読みました」とのこと。
ツイッターでもいろいろと感想をいただけてありがたい!
以下、「なるほど」と思ったもの。

今回はふたりの女の子と"女の子らしさ"に焦点をあてましたが、老若男女LGBTQ問わずこうした"らしさ"の魅力と閉塞感のジレンマに囚われている人、いるんじゃないかなーと思います。


「親から与えられたもの」を無邪気に受け入れられるのって、たぶん幼稚園くらいまでですよね。小学校に上がる頃にはもう自我が芽生えて、そういうのを拒否する子も出てくると思います。
(早ければ幼稚園でもう…)
大人になって振り返ると「女子と可愛さで戦わ」なければならん必要なんて実は別になかったのでは…?と思えるんですけど、戦わなきゃって強迫観念を刷り込むものはそこらじゅうにあったよね。とも。
たぶん男子にも似たような構造があったんじゃないかな。
「男子が腕相撲で女子に負けるのは恥ずかしい」みたいな。負けちゃったら「男のくせに情けない」あるいは「あっちがおかしい、あの"男女"め」みたいな。
別にそんなこたぁない。「○○ちゃんはすごいなぁ」てだけの話。

「かわいい」て言葉にはほんといろんな意味が含まれすぎていると思うんですけど、あえて換言するならこれって「愛しい」てことなんじゃないかなぁと個人的には思います。可愛い。愛することが可能。
「パンケーキをカワイイっていう感覚がわからん。食べ物じゃん」
→「美味しい」だけでは言い足りない、「ほんとにだーいすき!」の気持ちが込められているのでは?
なんて。
だから自分にとって気に入らない、愛せない人はたとえどんなに美人でも「ブス」で「生意気」で「かわいくない」て言えるんじゃないかなぁ。
たとえその対象が自分であっても。なんて。
「自分はブサイクだ」て思い込んでる人って実際けっこういるし、そう思い込んでいる人にとってはそれが真実だから、他人が何を言っても聞く耳を持てないんですね。
そしてそういう状態の時に「自分ブサイクだから」て自虐で防波堤を作るのが処世術として有効だというのもよくわかります。
たまに自分もやっちゃう。
こうしたコンプレックスが自分を磨く原動力になる場合もあるから、一概に悪いとも言えないんですけど。
「自分は美しくない、かわいくない」と定めている人に「あなたは美しいよかわいいよ」と言うことは、その人にとっての「美しい」「かわいい」の価値観の否定にも繋がるのかなと思うと難しい。

「自分だーいすき!」てとこまでは振りきれなくても、
「まぁまぁいけてるやん?」くらいの感覚になれれば自分も周りも息がしやすいんとちゃうかなぁと思います。
それがなかなか難しいんだけどね。

「ぼくと少女漫画」は
自分の体験、自分以外の人から聞いた話、今まで読んだフィクション作品の影響、SNSで垣間見た実在する人々の呟きとかに、「こうあってほしい」という希望などを織り重ねた創作です。だからまぁ、半実録とも言えますが、でもフィクションってそういうものですよね。だから物語は人を救うんですきっと。
こういうのって、人によってはほんっとーに深刻に悩んで悩んで、大人になってからもずっと囚われたままもがき続けているセンシティブなテーマですよね。だから暗いままでは終わらせたくなかったというか、救いとまではいかなくても希望のかけらを提示するような幕引きにしたいという思いがありました。そんなふうに感じていただければ幸い…

余談ですが、きっかけが「高田さんの短歌」=「自分以外の誰かの作品」だから、なんとなくハッピーエンドっぽくまとまった感があります。
自分ひとりだけだと、高確率でバッドエンドルートを爆走してしまうので…


ちなみに、このお話に感じるものがあった方には
「ご近所物語 特別編 カラフル」
もスキかもしれません。単行本5巻収録。
あれはジェンダーのお話ではないですけどね。


ところで、今回の短歌にはいくつか他の解釈もありました。

よかったね、よかったよねって受話器もち   I LOVE HERで繋がるふたり

この「ふたり」、性別の指定は特にないんですよね。
だから最初は
「少女漫画に惹かれた男の子と女の子が性別の壁を超えて意気投合する」
絵にしようかなとも思ったのです。
青い女の子のほうが、いわゆるボーイッシュな外見になったのはその名残。あまり細かく解釈を練る余裕がなかったので、
描き慣れていて、かつ絵を見た人に伝わりやすそうな「それぞれ個性の違う女子ふたり」に結局は落ち着いたのですが。ベリーショートの子の方が青、ロングヘアの子の方がピンクというのもわりと古いジェンダー感覚に寄った結果なので、多少思うところはある…
ショートストーリーで「女の子らしいものを避けて青い持ち物を好むようになった」エピソードを入れようかとも思ったのですが、冗長な気がして削ったという裏話があります。私の幼少期にはまだ「女の子はピンク、男の子は青」という価値観が厳然としてあった気が。
私は幼稚園でピンク大好き!→小学生でピンク嫌だ→大学生くらいでアレ?ピンクええやん… となったクチです。それはそれとして青も好き。

全く別の解釈では
「美少女アイドルのライブ帰りの男子ふたりが電話で盛り上がっている」
というのも浮かびました。
それもまた、少女漫画の主人公とは別の意味での「ヒロイン」。
たぶん展示会場で浮くだろうなぁと思ってやめました(笑)

さらに
「ひとりの男子に三人の女子が恋をして、そのうちのひとりだけが男子との恋を成就する。選ばれなかったふたりが、"でも親友である彼女も大好きだから、ふたりには幸せになってほしいよね"と泣きながら語り合う」
という、少女漫画にありそうかなー?という解釈も。
ややこしくて、一枚絵で表現するのは難しそうです(笑)
このシチュエーションに萌えるという方にはこちらの小説をおすすめしたい
(ズバリそういうお話というわけでは全然ないですが)

深キョン主演で映画になった「下妻物語」の続編です。
女子ふたりの交流が好きな方はぜひ。


徒然なるままにずいぶん長くなってしまいましたが
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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