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そうだ!シドニーに行こう!【日仏夫婦のなれそめ⑤-🇦🇺オーストラリア出会い編-】

〈前回までのお話〉
▶︎第1弾 最愛の夫の第一印象が最悪だった話
▶︎第2弾 策士なの?天然なの?ねえどっち?
▶︎第3弾 絶対に忘れられない恥ずかしすぎる初めてのキス
▶︎第4弾 当たり前の関係

その日、車はブリスベンに向かっていた。

彼が勤め始めたレストランはワンマンオーナーがやりたい放題の考えられないほど粗悪の労働環境だった。短期間ではあるものの働いた給料すら払ってもらえることはなかった。埒が開かないので辞めることに決めた彼だったが落ち込んでいたので中華でも食べに行こうとなったのだ。

私 「ねぇ、でもいいの?お金。あんな真面目に働いてたのに。」
彼 「僕だって悔しいけどできることはもうやったよ。ワーキングホリデーっていう限られた時間を嫌な思い出にするのはもう嫌かな。」
私 「そっかぁ。」
彼 「勉強になったって思うようにするよ。」

私も結局まだ仕事見つかってないし、ブリスベン気に入ったらブリスベンに引っ越しちゃおうか!なんて冗談を言いながらドライブを楽しんでいた。

〈写真〉私がよく気に入って何度も通っていたノビービーチにあるBSKT cafe。
ビーガンメニューもしっかり美味しくて感動でした。

ーーーーーー◇ーーーーーーー

彼「ねぇ、君がさオーストラリアに来た理由って何?」
私「色々あるんだけどさ、オーストラリアが父との最期の旅行の場所だったんだよね。でも小さかったからあんまり覚えてないのよ。でいつかまた来たいなってのがずっとあったのかもしれない。その場に来れば思い出すかな?とか」

私の父は私が6歳の時にガンで他界した。入院してたった1ヶ月でお空に行ってしまった。家族4人で行った最期の旅行がそうオーストラリアのシドニーのだった。

ある日テレビの旅番組でコアラを抱っこしているのを見て、当時5歳だった私が「いーなぁ。コアラちゃん抱っこしたい、コアラちゃん抱っこできたら死んでもいい!」と私が父に行ったことがはじまりだったらしい。

それを父が聞いて、すぐにチケットを取り1ヶ月後にはオーストラリア連れていってくれた。まさに幸せの絶頂だった。その旅行が4人家族最期の旅行になると誰が予想していただろうか。

父は何かあれば海外に、旅行にといろんなところに連れて行ってくれた家族想いの人だったことがよくわかるエピソードだがこの話を人づたえに聞くたびに胸が苦しくなる。

すごく愛されていたんだなと嬉しいと同時に、当時小さすぎて父のことを申し訳ないほど思い出せない自分がいるからだ。

彼「シドニーに行こう。」
私「え?」
彼「次は僕が君をシドニーに連れて行く!もう決めた。」

彼の提案は全て家を引き払って車でロードジャーニーをしようというものだった。
ゴールドコーストからシドニーまで約850km。休まず運転しても9時間の距離がある。
突拍子もない彼の提案に初めは笑って聞いていた私だったが、彼の決心は揺るがなかった。
知り合ってまだ1ヶ月の人と?いやいやという理性も働いた。

でも、どうしても僕が私をシドニーに連れて行きたいと懇願する彼の姿に
亡くなった父の姿を見たような気がした。

ありがとうと言いながらなぜか涙が出て止まらなくなった。
それを見て彼ももらい泣きしている姿を見てなんだかホッとした。

彼とならきっと大丈夫だ。

それからちょうど1週間後、車はシドニーへと向かって走り出した。

〈写真〉私が当時ハマっていたピタヤボウル。アサイーボウルのドラゴンフルーツ版。
カランビンにある「The  Salt  Mill」で食べたものが1番のお気に入りでした。

ーーー今回のあとがきーー
私、正直幼少期にあんまりいい思い出がありません。父が亡くなるまで専業主婦だった母が働いて女手1つで、私をここまで育ててくれました。

多分父がまだ生きていた頃はあまりにも幸せすぎる人生だったんですよね。だから多分その落差が激しすぎたというだけで母は全く悪くないとは思うですが、幼少期のことを思い返すと最後にはなぜかいつも「寂しかったなー。」という感情が出てきます。

「コアラが抱けたら死んでもいい」そう呟いただけでオーストラリアに連れて行ってくれた私の父。父が他界した後、何度も色々な方々から聞かされたこのエピソード。

幼いながらにいやいやそれ私の人生の頂点だったんじゃね?もうそんなノーテンキな幸せな人生は過去の昔にとっくに終わったわ。っと思っていました。でも、ずっとその時の自分になりたい、戻りたいと何度も思ったし過去の自分が誰よりも1番羨ましいとずっとずっと思って生きてきました。

この時のように誰かに愛されてみたいなという思いがずっと根底にあったんだとおもいます。

ーずっと『愛されているってどんな感じか知りたい。』と思って生きてきました。

父が生きていた幸せ絶頂だった頃の自分。愛されている自分を思い出せるんじゃないか?そしてずっとずっと思い出せない父の姿がそこにあるかもしれない。
そう思って向かったオーストラリアでしたが、1人で行くのがなんだかこわいような気持ちが私にシドニーではなくゴールドコーストを選ばせていたのかもしれません。

「僕が君をシドニーに連れて行く、もう決めた!」彼がそう宣言した時、流石に初めはいやいやと思いました。ましてやまだ出会って1ヶ月も経たない人と?いやありえないでしょって思ったのも事実。

でも彼が絶対折れなかったんですよね。それであぁ、この人はあの時の父のように彼は私を喜ばそうとシドニーに連れて行こうとしてくれているんだとすぐに分かりました。

そう思うと彼の気持ちが嬉しくて嬉しくて、ブリスベン帰りの車の中で鼻水を垂らしながら大号泣しました。(笑)

そんな私の姿を見て彼ももらい泣きして大号泣(笑)

そんな彼の姿を見て、尚更あぁこの人とならきっと大丈夫だ。シドニーに行くなら今しかないっと強く思ったことを今でも覚えています。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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それではまた明日!

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