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パッヘルベルのカノン~忘れられない出会いの曲

パッヘルベルのカノン。

人生最後に聴きたい曲は?と聞かれたら、真っ先にこの曲と答えるでしょう。

出会いは、1980年代半ば。NYのデザイナーの「SHAMASK」の婦人服を、当時私の勤務先のデパートではプライベートブランドとして展開していて、私はそのショップの担当として働いておりました。ときはバブル、ボディコンシャスが流行りでしたが、ミニマルでまるで和服のような直線のデザインはストイックとも言えるほど美しいものでした。残念ながら、爆発的に売れるということはなかった。時代のせいか、はたまた販売員のせいか(ごめんなさい)。

そのSHAMASKのコレクションのショーの様子を、店頭のビデオ(!)で流したときがありました。その様子に私はたいそう衝撃を受けました。

<ここからはショーの記憶> (雰囲気が少しでも伝わりますように...)

ランウェイには砂が敷いてあります

雷鳴が轟きます

ああ、曇りのどんよりとした日の海なんだな、とわかる

モデル達は皆裸足で砂の上をゆっくり歩いてきます

身につけているのは、上質なリネンの軽い軽い服

まるでただ布をまとっているだけのように体の動きについて来るけれど、崩れることのないシルエット

そしてモデル達の何物にも囚われていないような面持ち(勝手に感じただけですが)

雷にも、これから雨が降るかもしれない天候にも動じないような意志の形(勝手に想像しただけですが)

画面からでも伝わる、透明で張り詰めていて、でもゆったりと流れる海岸の空気

そして、そこに流れて来たのが「パッヘルベルのカノン」だったのです♪♫♬

演出の雷鳴のように、私は何かに撃たれたように感じました。ああ、こういうの好きなんだ...って、知らなかった自分に出会えたような感覚でした。クラシック音楽なのに、なぜか禅のような感覚になる。「リラックスしている感覚と研ぎ澄まされている感覚」が相まっているこの曲は、「自分がそういう人でありたい」「そういう日々を過ごしたい」という生き方に導いてくれるような気がしました。もしかしたらSHAMASKのこの曲の捉え方、演出が大きく影響していたのかもしれません。

それにしても、この音楽ってなんだっけ。私はそのとき曲の題名を知りませんでした。音楽は大好きだったし、ジャンルも問わず聴いてきたけれど、悔しいことにその曲の題名がわからない。周りに聞いてもわからない。当時はネットで検索するなんて便利なものもなかったし。そのまま時は過ぎて行きました。

その後、ショップに新しい人が入ってきました。その人はピアノの経験者でクラシックに詳しくて、たまたま何かで流れた曲に「あ、パッヘルベルのカノンだ」と言ったのでした。もうショーのビデオはかかっていなかったのだけれど、なんたる偶然!

その人とはあまり親しくなることがなかったし、すぐにやめてしまいました。短い付き合いでしたが、彼女との出会いは曲名を教えてもらうためだったんだろうと思っています。どんな人とでも、出合いには必ず理由がある(ここでまた、転んでもただでは起きないがめつさが)。

でも、SHAMASK氏との出会いもパッヘルベルのカノンを知るためだったのかとは言い切ることはできません。もっと何か、氏のこだわりや信条みたいなものの影響が自分にあったように思います。

SHAMASK氏とは来日されたときにショップでお会いし、さらにお城に興味があるということで見学に同行もしました。自分がニューヨークに旅行をしたとき、勤務先のつてでSHAMASK氏のアトリエを訪ねたこともありました。私は、ただ単に仕事で担当しているからだけではなくて、彼のファンになっていました。物静かで言葉を選びながらお話をされるようなシャイな方なのですが、作品同様どこか透明で凛とした雰囲気のある方でした。お会いできてよかった。

あれから何十年も経ってしまったけれど、パッヘルベルのカノンは、やっぱりいつ聴いても私を落ち着かせてくれます。初めて意識したあの日の、リラックスしつつも研ぎ澄まされたあの感覚は今も感じます。そして、その「生き方」とも言える自分の在り方を教えてくれたあの頃に、感謝しています。果たして望み通りに生きてこられたかは...う〜ん、どうかなあ...。

でも、最後には「この曲のように生きられた」と、満足して人生を終わらせることができますようにと願っています(まだまだ先のことだと思いたい、絶対)。

#思い出の曲

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