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映画 星の子を子どもが見ると (映画から宗教を考える)

2020年公開の映画ですが、

先に主人公の芦田愛菜さんについてお話ししておきますと、

最後のシーン、

めちゃくちゃ素敵に映っています☆

あと、演技が自然でとてもいいです☺

子役のころは逆にもっと演技をしていましたよね笑。


(ややネタバレを含みます。ご了承ください。)

2022年7月8日の元総理大臣狙撃事件以来、

度々宗教の問題が取り上げられるようになった今だからこそ、

見るととても嵌る映画ではないでしょうか。

おそらく、

大森監督や原作の今村さんは、

公開以前からずっと、

宗教の問題を何とかしないといけない!と

考えておられたのでしょうね。

私の個人的な考えでは、

宗教は特定の人に、

生きていくための指針を与えてくれるものだと思っています。

宗教が自分の中に入り込みやすい条件として、

自分や身内の人が病気になったり、事故にあったことがある、

事業が上手く行かないなど、挫折を味わっている、

などなど、

様々な理由で落ち込んでいて、弱っているということがあります。

誰かに振られた後をねらって、優しくする!

みたいなことと似ているかもしれませんね。。

そのような時に、

誰かにこうすればいいんだよ!と言われると、

そうなのかな、、と判断が鈍っていることもあり、

人は流されやすくなります。

また、

自分で選択し、判断するのが苦手で、

元々自我が弱いタイプの人にも宗教が入り込みやすくなるのだと思います。

映画では、

両親とも自我というか、感情の表出が弱いように見えます。

その両親と妹のちひろも性格が似ていて、ゆるい関係性で漂うように家族として繋がっているように見えます。

そして、

ちひろが幼い頃、病気が宗教の力によって治る経験を実際にします。

その神秘的体験がきっかけとなり、両親は宗教へのめりこんでいきます。

このような経験は、

あらゆるところで、実際に起きているのでしょう。

普通に考えると信じ難い事なのですが。。

身体一つとっても、

まだまだ科学では解明出来ていないことがたくさんあるということなのでしょう。

そして、

主人公ちひろは、イケメンが好き笑

幼い頃からすでにそうなのですが、

表面的な情報を優先して受け取ってしまうタイプのように見えます。

なので、

深く内面を想像したり、考え込むタイプではないようです。

姉は自我が強く、周りもよく見えて、周囲の人との深い関係性もあるので、

両親のおかしさに気付いてしまいます。

それで自ら家族から離れてしまう。。

宗教の世界の外側に住んでいる人からすると、

自然でまともな行動に見えます。

そして、

ちひろは中学になり、

イケメン教師に恋をして、

その教師の内面を知ることで、

物事の内側の大切さに気付きます。

最後の方のシーンでは、

わが子の姉のみならず、

妹のちひろまでも自分の元から離れるかもしれないという、

危機感から、両親は我に返ったように見えます。

3人で星空を見上げるシーンは、

とても伝わってくるものがあり、

静かなシーンなのに、

心が揺さぶられるような不思議な感覚がありました。

作者の方は、

この最後のシーンに特に伝えたいことを凝縮させたように見えます。

他者と同じ空間で、同じ体験をし、同じ感動を共有すること。

そしてそれはそんなに簡単ではない事。

日常にそのような体験がない場合、

宗教が代わりになることが多くあるのでしょう。

自らの生活を苦しめるような、高額の寄付やお布施は問題外ですが、

これだけ世界中で宗教を信じる人が居るのですから、

宗教を簡単に否定は出来ないと思っています。

個人的な自分の生きる指針を持ちにくい人にとっては、

特によりどころとなるでしょう。

その人々を否定は出来ません。

でも、

自分が主体的に選び、

その選んだものに同じように関心を持ち、

同じ考えの人が集まり、

協同することや、

同じ様に感じることで、

宗教が必要ない生き方が出来るということなのでしょう。

これを保育に落とし込むということになりますと、

幼児期は思い切り好きな事をする!

という事になりますでしょうか。

また、

年中さんの後半ごろから、

同じ興味や好きな物で仲間が集まり、

他者と一緒にすることの楽しさを十分に味わう!

というねらいになるかなと思ったりしました笑

対象は、小学校3年生くらいに宗教に軽く触れるために、一度見ておくといいかもしれません。のちに高学年以上で2度目見ると、また違った見方になるかもしれません。

国試保育士遊asobu☆

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