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愛と行動2022

人はいつか死ぬ。望むと望まざるにかかわらず、誰もが死に向かって生きている。どのような最期を迎えたいか考えることによって、どのように生きてゆけばよいのか分かる。何が自分にとっての生きる喜びとなるのか、どこへ向かえばよいのか、分かる。
死にたいと思ったことは一度もない。痛いことや苦しいことが苦手だし、本当に辛くなった時にそんな元気がない。せいぜい、一日食事をとらないことで、休日に風呂に入らないことで、一晩眠らないことで、もしくはだらだらとただ眠り続けることで、じわじわと衰弱させていくだけ。これも自傷なのかもしれないと思う。存在ごと消えてしまいたいことはある。ただ静かに消えてなくなりたいと時々思う。だけど死にたいとは思わない。思ったことがない。私はいつも生きていたくて、生を全うしていたくて、そのひたむきさが何よりも辛い。「◯◯って、人生とめちゃめちゃ向き合ってるよね」「きちんと自分と向き合っている姿がとってもかっこいいよ。尊敬してる」、言ってもらえたこと忘れない。私は見て見ぬふりとか、受け流すとか、そういうのがひたすらに下手くそなだけなのだけど、だから何でも間に受けて、簡単に絶望する。

生きててよかったと、喜びで身体が震えるような出来事が何年かに一度ある。ハタチの頃、所属してた部の運営に追われていた時期があり、終電で帰ることもあって、その努力がはっきりと報われた日、一緒に頑張ってきた先輩と泣きながら夜ご飯食べた。あのカフェもうなくなっちゃったんだよな。学生のうちに行っておきたいと心の故郷を一人で訪ねた時、アポもなく13年ぶりに再会した近所のママに「考える時の顔がちっとも変わらねのう」と言われた。最高に酔っ払ったまま夜行バスに乗って帰った。早朝新宿に着くまでB'zのイチブトゼンブだけをずっとリピートして聴いた。卒業しなかった小学校の学年文集には、私のものも載っていた。集合写真にも私がいた。道を歩いていて新たに思い出した記憶もあった。長らく私の片思いだと思っていたけど、確かに私はそこにいたのだと、そこに育ったのだと、実感できた。友達と行くはずだった卒業旅行、初めての海外旅行、直前にドタキャンされてとてもショックで、一人でも絶対に行きたくてぎりぎりになって探し直して参加したツアーで、5年経った今でも親交の続く友達ができた。帰りの飛行機で、親しくなった一人ひとりに手紙を書いた。特に、ある女性とは、帰国して空港で解散する時、泣いて抱き合って別れた。今でも母のように慕っている。就職して数年経ち、理想と違う社会人生活に燻っていた頃、一緒に泣きながらご飯食べた先輩から「私たちだったら何でもできるよ、一緒に何かしよう」と連絡が来て、帰り道にLINEを見た瞬間にものすごく昂って、長らくサボっていた自炊もその日から再開できた。これだけ原動力になるってすごいことだと思った。転職を考えはじめた頃、「絶対にここだ」「出会ってしまった」「ここで働きたい」と思う場所を見つけた時の、体温の上昇していく感じ。求人募集していないのに電話して直談判して面接もしてもらった。面接に向かう電車に揺られてる時の高揚感忘れない。少しも緊張しない。興奮でドキドキしていた。道中、最寄駅からは離れ急な坂を登るのだけど、毎朝その坂を登る自分もはっきりとイメージができた。結局希望する職種は人が足りておりまったく別の会社に転職したが、何の悔いもなかった。最強だった。

ちょうど転職した頃にコロナの第1波が流行しており、一日も出社することなくしばらく自宅待機となった。少し時間が経ち落ち着いた頃、久しぶりに友達と会ったら、「普通に話が通じる」ことが心の底から楽しくて驚いた。それほどに何か我慢をしていたのかと驚くほどに、ただ心を許せる友人とのお喋りが楽しくて仕方なくて、帰ってから興奮してまったく眠れなかった。多幸感が強すぎると動けなくなる。強烈だ。彼女と知り合って15年は経つのに、ライブ行った後みたいにドキドキした。死にたいと思ったことはないけど、あんまり最高な夜だったから、ああもうなんにも未練ない、今なら死んでもいい、この気持ちのまま終わりにしたい、とこの時は確かに思った。それは希死念慮とはまったく違うものだ。「生きててよかった」の種類が前と変わった。家にこもってる間に刺激に弱くなったのだろうか。単純に行動する場面が、外に出る機会が減ったから、そうなっているのかもしれないけど。どれも、人生最高の夜ということには変わりないのだけど。以前のような全能感はなかった。

すべてに言えるのは、私は間違っていなかったということ。人生の伏線を回収する瞬間(その時が訪れるまで、それが伏線だということにさえ一切気がつかないのだが)が好きだ。これ以上に生きていることを実感できる場面は私にはない。知らない。伏線の回収には、条件がある。自分の心の動きに従って、まっすぐに行動した時。自分を信じて行動した結果、それが報われた時、やりきった時。もしくはそうさせるほどの出会い。原動力となるような思い出。私の原動力は、「好き」。大好きな場所だから必ずまた帰りたい、大学で専攻して大好きになった人の墓参りにどうしてもウィーンへ行きたい、大好きな人に手紙を書きたい、大好きな人たちと何か面白いことを企画したい、大好きな人から期待されているのに応えたい、大好きと思った場所に所属したい。好き。好きが大事なんだ。私が好きな私でいるためには。そして、好きを原動力として行動していることが、そういう私でいることが、きっと人生の意味なんだ。結局、何年も前から胸にある行動指針に立ち返る。「愛は行動で伝える」。行動足りてない。ここ2年で、たぶん、愛、見失ってる。大学四年生から時間がずっと止まっている気がする。2年前、転職活動で久しぶりに点火したけど、やっぱり越えられない気がする。でも、久しぶりに行動のチャンスが来た。LINEの通知がちらりと見えた時、喜びで震えた。鳥肌も立った。好き、好きが大事なんだよ。10年住んでる街。私を必要としてくれる人。絶対やりたい。絶対っていうのも、たぶん結構大事なんだと思う。絶対に頑張りたい、絶対に行きたい、絶対に会いたい、絶対に優秀論文に選ばれたい、絶対に最高の学生生活にしたい、絶対にここで働きたい、私たちなら絶対できる、この人となら絶対できる。絶対って、信じたいってことだと思った。自分や相手を。信じたいものに対して行動で示したい。何が好きかも分からなくなっている。そんな鈍い大人になんてなってたまるか。私は、これからも私を大好きでいるために、絶対何も見逃さない。絶対見逃したくない。

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