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ひとり、を軽やかに

 独り身になった私の抱えていた気持ちは大半が不安と呼ばれる類のもので、親が死んでしまったら、友人たちが子育てに追われるようになったら、新しい家族を持たない自分に自信をなくしたら、と途方に暮れることがよくあった。もともと一人遊びがすきな子どもだったのに。たまたま世間話をする空気になれば即座に居心地の悪さを感じてしまう質なのに。

 どうしてこんな風に哀しくならなければいけないのか、考えてみると答えは一つにまとまる。今ある楽しさが失われるのがただ怖い。親もいて、友人たちとも気軽に関われる状態で、結婚していない知り合いもまだたくさんいる。時間が進んだ先で自分が孤独を感じる気がして、そんな不安で心を満たしている。

 結婚していた時は、早く子どもが欲しかった。昔から、我が子を育てる母親に憧れていた。毎月、早く授かれないか不安でたまらなかった。結婚するまでは、とにかく結婚がしたかった。あてもなくさまよう飛行機がちゃんと最後には着陸するように、安心したかった。

 みんな、遠い昔の憧れ。

 今は、結婚は一度したけれど想像していたよりも苦しいものだと判って、もう一度結婚してもしなくてもどちらでも良いと思うようになった。子どももひとりでは授かれないし、きっと授かった大変さや喜びは私の想像を軽々と超えるだろう。この先で自分が誰かの妻になってもならなくても、誰かの母になってもならなくても、どちらでも良い気持ちがしてくる。

 それに、憧れが呪いになるのは少し哀しい。たとえいつかの自分が陥るかもしれない、後悔や孤独を助ける呪いだったとしても。

 ひとりなのもそう悪くないと思える気がしてきた。時間も自由もたっぷりとある。誰かをすきになることも、自分の時間に没頭することも、憧れから外れた私のもとに返ってきてくれた。取りあえず今は楽しく暮らしているのだし、どの道を選んだって心悩ませるものはつきものなのだろうし。それならば確かな今を味わう他ない。良くも悪くも一寸先は闇なのだから、見えないものに気を回すのもなんだか勿体ない。

 繋がれていない、先もわからない。ただりとりで漂っている私を、今は贅沢に味わおうではないか。

 

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