残されたもの

「愛」ではなく、「存在を消す」こと。



元から、わたしは好きな人からはおろか誰からも愛される価値はないことを知っていた。
だから、「好きな人から愛されたい」という思いを殺して就活をしなければならなかった。

転移、というテクニックを利用して、わたしの殺していた感情を戻そうとした。
言葉を道具にして、わたしのこころを壊していった。

わたしが、転移なのか勘違いなのかで気持ち悪い感情を持ったと知った途端、相手はわたしを拒絶した。
共依存匂わせ、弱者にしかマウントを取れない気持ち悪い公認心理師のことだけ守り続けた。
いや、気持ち悪い共依存を見せ続けることで、わたしのような気持ち悪い婆には愛されたいなんて思うことすら烏滸がましいと教示した。


「仕事ができてるんだから、それでいいだろ」
「仕事から作られるもの(こころ)だってある。」

そう思うでしょうね、それがあなた方の【お仕事】ですから。

仕事から作られるものなんて、ない。
仕事から作られるものは、仕事でしか使えないものだ。

拒絶するなら、口だけ謝って許されると思うのなら、揶揄ったり変な感情を植え付けられたくはなかった。

わたしが納得していないからって、

「そんなつもりはない」
「傷つけるつもりはなかった」
「話にならない」

そう言うのなら、私の壊れたこころを再生しようとも思わないのなら傷つけてほしくはなかった。

わたしとサシで向き合う気もないのなら、余計なことをして欲しくはなかった。
傷つけて、拒絶して、話にならないと切り捨てて加害者の元支援員の女だけを守ることが支援員の仕事って…とてもおめでたい仕事だと思う。

いや、一人の人間としても、酷い仕打ちを受けたんだと思う。

そんな、愚かで気持ち悪い婆に残されたもの、知りたい?
それは、「存在を消す」こと。

人は、二度死ぬというけれど、わたしは、最低三度は死ぬんじゃないかなと思う。

勿論、肉体が滅びて死ぬことは目に見える「死」。
二度目は、こころから亡くなった人の存在が消える時。
これは二度目の「死」だろう。
三度目の死、それは今のわたしのように、身体は生きていてもこころが死ぬことではないか。

だから、ここで順番は変わるだろう。

一度目の「死」は、自分のこころが死ぬこと。
二度目の「死」は、肉体が滅びること。
三度目の「死」は、だれかのこころから存在が消えること。

わたしは、生きているけれど一番目と三番目の「死」はもう終わっている。
あとは、二番目の「死」を達成するだけ。

それを早めてくれた、支援員、あの人には感謝しないとならない。
けれど、感謝なんてできないのも事実。

こんなに生きていたくないってことを、あの場所で教えられたくはなかった。
さっさと遺書書いて準備しよう。
自分自身にGOを出したら、色々とここで綴るだけではなく動いてもいいかもしれない。

わたしが、こころを殺されてもがいていった無様な姿をさまざまな形で遺したい。
その準備は、少しずつ進めよう。




愚かで気持ち悪い婆に与えられたもの。
それは、こころの「死」と早く存在を消すこと。
そして、好きな人からは一生愛されることはない無能で無価値な非人間だと認めること。


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