ショートショート:みみちゃんとコハルさん
誰にでも、どう考えてもあり得ないことなのに、なぜかはっきりと記憶に残っている、そんな出来事がおありでしょう。
妖精を見たとか。不思議な世界に行ったとか。いるはずのないお友だちと遊んだとか。
子どもの頃の記憶なんて曖昧なものですので、きっと思い違いだとはわかっているのですが、あまりにも鮮明で具体的なので、それを疑うのも幼い自分に申し訳ない気がしてしまうような記憶でございます。
コハルさんにも、そんな記憶がありました。
コハルさんはもうすぐ三十才。とても仕事が好きで、クールな女性です。会社のなかでも営業成績はトップクラス。今日も午前中だけで契約をふたつ取ってきました。
会社に戻る前、コハルさんは少し休憩しようとコンビニで買ったアイスコーヒーを片手に、公園の木陰にあるベンチに座りました。暑い日が続いていますが、今日はいつもより涼しくて優しい風が吹き抜けます。
ベンチのまわりには、たくさんのクローバーが生えていました。コハルさんはベンチに座ったままクローバーを眺め、とある不思議な出来事を思い出しました。
あれは、コハルさんがまだ小学校低学年くらいの頃でしょうか。コハルさんは近所の公園で遊んでいました。ちょうどこの公園のように、クローバーの生えている公園です。
コハルさんは、木の下で自分より小さな女の子が泣いているのに気付きました。当時から勇敢で優しかったコハルさんは、すぐに近寄ります。
「どうしたの?」
「戻れなくなっちゃったの」
お家に戻れなくなったのかな、と思いましたが、女の子は不思議なことを続けました。
「もとの姿に、戻れないの」
女の子は、みみちゃんと名乗りました。
みみちゃんの話はとても不思議でした。
みみちゃんの本当の姿はウサギで、それも普通のウサギではなく「特別な選ばれしウサギ」だそうです。「特別な選ばれしウサギ」は、四つ葉のクローバーを使って好きな姿に変身できるらしく、みみちゃんは人間の女の子に変身しました。
「そしたらね、クローバーをなくしちゃって、もとに戻れなくなっちゃった」
そしてみみちゃんはまた、大きな声で泣きました。
コハルさんは当時から賢く、冷静です。少し考えてみみちゃんに話しかけました。
「四つ葉のクローバーだったら、なんでもいいの?」
「うん」
「わかった。それなら、一緒に探そう!」
コハルさんはみみちゃんの手を引いてクローバーがたくさん生えているところに行きました。みみちゃんもようやく泣き止み、しゃがんで四つ葉のクローバーを探し始めました。
「あった!」
しばらくして、コハルさんは大きな声で言いました。右手には、立派な四つ葉のクローバーが握られています。
みみちゃんは嬉しそうに、コハルさんに抱きつきました。
「ありがとう!コハルちゃん、大好き!」
「これで戻れる?」
「うん!」
みみちゃんはぴょんぴょんとびはねました。
「そうだ、コハルちゃん、このクローバーはあなたが大事に持ってて。そしたらまた遊べるから」
「わかった」
「ありがとう!約束だよ!」
みみちゃんは笑って四つ葉のクローバーをコハルさんに渡しました。
その瞬間、みみちゃんは消えて、小さな薄茶いろのウサギが走っていくのが見えました。
どう考えても、あり得ないことでございます。でも、とコハルさんは思います。バッグから手帳を取り出し、開きました。そこには、小さな手作りの栞。その栞には、古い四つ葉のクローバーがラミネートされていました。
もしあの記憶が嘘なら、この四つ葉のクローバーは何なのでしょう。
みみちゃんとの約束通り、コハルさんは四つ葉のクローバーを大切に持っていました。あれから、みみちゃんとはまた遊んだような気もするし、会わなかった気もします。
あれは現実だったのか、夢だったのか。
どちらにせよ、コハルさんにとっては大切な思い出です。
コハルさんはそっと栞と手帳をしまうと、立ち上がりました。
すると、公園の向こうで女の子が泣いているのに気付きました。
大丈夫かしら、転んだのかな。コハルさんが近寄ろうとすると、それより前に別の女の子が「どうしたの?」と駆け寄りました。
聞こえませんが、ふたりは何か話しています。やがて、元気に走り出したので、コハルさんはホッとして公園を出ました。
一瞬、ふたりの姿が幼い頃の自分とみみちゃんに見えた気がしました。
そんなわけない、と思いながらも、コハルさんはふたりの女の子に素敵な思い出ができることをこっそり願ったのでありました。
※フィクションです。
世界中の「夢か現実かわからないけど記憶に残っている体験」を集めてみたい。
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